立野純三(たての・じゅんぞう)
株式会社ユニオン代表取締役社長
1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。
平田晃久(ひらた・あきひさ)
建築家
1971年生まれ。1994年京都大学工学部建築学科卒業。1997年京都大学工学研究科修了。
伊東豊雄建築設計事務所勤務の後、2005年平田晃久建築設計事務所を設立。2015年より京都大学准教授就任。
主な作品に「桝屋本店」(2006)、「sarugaku」(2008)、「alp」(2010)、
「coil」「Bloomberg Pavilion」(2011)、「Kotoriku」(2014)等。
第19回JIA新人賞(2008)、ElitaDesignAward(2012)、ベネチアビエンナーレ建築展金獅子賞
(2012、伊東豊雄・畠山直哉・他2名との共働受賞)、LANXESSカラーコンクリートアワード(2015)等受賞多数。
「A Japanese Constellation 展」(2015、ニューヨーク近代美術館)参加。
著書に「現代建築家コンセプト・シリーズ8平田晃久 建築とは<からまりしろ>をつくることである」(LIXIL 出版)等。
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立野
昔から昆虫などがお好きで、生物学者と建築士とで将来を悩まれたと伺いました。結果、建築を選ばれて良かったですか?
平田
う~ん、どうなんですかね(笑)。良かったと思っています(笑)。
立野
(笑)。生物学は後続が研究すればするほど次々に新しいことが発見されていくと思いますが、建築はつくったものが一生残りますからね。そこの違いがまた魅力ですよね。
平田
はい、建築は面白い仕事だと思いますね。生物学者になる夢もかなり強かったのですが、それが今の建築の仕事で思ってもみないかたちで合流してる感じがしますね。そういう意味では、建築の道を選んでよかったかなと思ってます。
立野
それが今の平田さんの作品に生きていますよね。
平田
そうですね。最初は全然意識していなかったのですが、今になって思えばそうですね。常々なんとなく自然の野山のような場所がつくりたいなと思っていまして。
立野
基本的には自然を生かしながら──、建物を目立たせるわけではなくて自然と溶け込むようなものを狙ってらっしゃるのですか?
平田
例えば樹木というのは、隣の樹木のことを考えるというより、何よりも自分自身のことに精一杯に生きているところがありますよね。自分の建築もそれと似ていて、やっぱり生きる事に精一杯な様子を出していきたいと思っているので、建築が周りに溶け込むと同時に華やかに目立つようにしたいなと思ってます。
立野
最初はその建築が周りに対して異彩を放つけど、何年か経過したとき周りに溶け込む感じなんですかね?
平田
そうですね。この間、群馬の駅前に建てた『太田市美術館・図書館』はまさにそういう感じでして。真っ白な建物にしたのですが、ロケーションである駅前は寂れていて初めて訪れたときは本当に誰も歩いていなかったのですが、調べると20年前くらいまではとても賑わっていたようでして、そのような活気のある感じに戻したいという街の人たちの共通の願いがありまして。これからできる建築があまりにも周囲に溶け込みすぎると人がワッといる感じがあまり感じられないので、出来たときの驚きとか新しいものがあるなというそんな気持ちが大事だと考え、あえて少し目立つ感じにしています。しばらくすると溶け込むようになってくと良いなと思いますね。
立野
やっぱりまちおこしというか、そういう役割を担う建物があると一般の人も集まってくるだろうし、そこまで意識すると期待できるいいものが出来るんですよね。
平田
そうですね。本当に誰もいなかったのですが、どこにこんなにたくさんの人が隠れてたのっていうぐらいいっぱい人が来ていて、その意味では段々とその気配が漂ってきているかなと思いますね。
立野
京大にも何人も素晴らしい先生方がいらっしゃると思いますが、他ではなくて伊東豊雄さんのところで修行された理由は何かあったのですか?
平田
僕がちょうど大学を卒業する頃というのが、阪神淡路大震災やオウムの事件があった1995年でして。その年を境になんとなく建築も内向的なムードが漂ってしまっていて、流行っていた建築の雰囲気も一気に変わったんです。今まで雑誌などに載っていたもの、もてはやされていたものが急に消えていくような感じの中で、何を信用していけば良いんだろうという感じになってしまっていました。その時に後に伊東さんが設計することになるせんだいメディアテークというプロジェクトのコンペティションがありまして、伊東さんの案を見たときに、この考え方は流行り廃りとかそういうものとは別次元の新しさがあるなと感じて、世界的に見ても面白いんじゃないかなと思いました。それから、そういう人が日本にいるんだったら、そこへ行ってどうやったらそういうアイデアが生まれてくるかということを学びたいという気持ちが芽生え、門を叩きました。伊東さんという存在も当時の自分はあまり認識していなかったのですが、せんだいメディアテークを見て、伊東さんの経緯を遡って見ると、「あ、こんな考え方でやってきたんだ」と建築に対するポリシーみたいなものに気づき、興味が湧いてきまして、是非行きたいと思ってトライしてみました。
立野
そうなんですね。伊東先生は独自のアイデアがあり、そこがまた洗練されてますよね。なにかお互いに惹かれるものがあったんでしょうね。
平田
そうですね。しかし、入りたての頃は本当に使えない所員だったと思います。全然ダメで(笑)。それから3年くらい経った頃にやっと自分でもこうした方が面白いのではないかと伊東さんにも提案できるようになってきて、そこからはすごく楽しく仕事ができていましたね。
立野
表参道のTOD‘Sの建物とかもその頃ですか?
平田
そうですね。TOD‘Sもその頃くらいに提案したりしていました。あれは日の影絵が重なるようにしてできるストラクチャーっていうのが僕が提案したアイデアなんですが、コンクリートとガラスが混ざったような建物が良いんじゃないかっていう見た目のコンセプトにつながる話は伊東さんが最初にされていましたね。表参道の建物はガラスの建物貼りの建物が立ち並ぶ中で、ガラスだけのファサードの建物ではなく、コンクリートもガラスも組み合わさっている建物が良いのではないかという話になり、その上で考え始めるのですが、その時にどういう混ざり方が面白いかという話になってアイデアを出しました。
立野
建材の面から言うと、既製品でなく、全てオーダーだという──。そういう建物の設計は我々メーカーにとったら技術を試すことができてありがたいですよね。
平田
そうですね。やはりあれはあの時代じゃないと中々できないですよね。今つくったらあの頃より3倍くらい価格が高くなるんじゃないですかね(笑)。今は普通の建物であの建物くらいの坪単価ですからね。
立野
そうですね。しかし、今はどこもほとんど既製品が多いですよね。せいぜいカスタムメイドと言いながら寸法を変えるか、向きを変えるかくらいです。昔は建物によって設計者がドアハンドルも考えていましたが、今は大体みなさん、既製品の中で選んでしまうという傾向にあります。僕からしてみたら、せっかく色々工夫しながら設計されたものがあるのだから、その中の建材は凝っていただきたいなと思いますね(笑)。
平田
そうですね。実は既製品があまりにも良過ぎるからその中から選んじゃうっていうのもあるのかもしれないのですが(笑)、確かにそういうところまでデザインできると本当に楽しいですよね。
立野
せっかくファサードや内観をこだわってるものが多いので、もちろん既製品の中で合うものもあると思いますが、もう少しこだわりを持ってもらった方がいいです。我々も技術を常に向上させたいのですが、そういった無理難題がないと我々の技術が上がっていく機会がそもそもないのです。今のままいくと、恐らく、技術力の平均値が段々と落ちていってしまうと思います。
平田
なるほど。その点、この間太田で関わった図書館美術館のときにも言えます。もともと中島飛行機があった町で現在スバルで有名な街なのですが、中小のモノづくりをする工場がいくつか集まってAIラボというグループを組んでいて、その方たちと一緒に家具を作ったりしたのですが、その方々も普段一から家具を作ってるわけではないので、こういう技術があってこういうものを使用してこういったものが出来ないかというのを一緒に作って、うちのスタッフも工場に行って一緒に組み立てたりしました。何よりやってみるとすごく楽しくて、決まりきったパターンの中でのやり方でつくるのも時には必要なのですが、一から考えて作るってことはそれとは比べ物にならないくらい、ものすごく楽しいなと思いました。
立野
例えば建築家の村野藤吾さんは建築ごとに新しいハンドルを作られていたので、その都度、無理難題も多かったのですが、それに伴って我々の技術も上がりました。最近はそういったものが少ないなと思いますね。
平田
カスタムメイドのドアハンドルって、例えば今頼んだらすぐできるものなんですか?
立野
できますよ!サンプルは3Dプリンターで次の日にでもできますから。大きいサイズだと少し大変ですが、小さかったらいつでも雰囲気を見て頂くことはできますね。色を塗ることもできますから。ご興味あれば、是非!いつでも言ってください。
平田
そうなんですね!すごく興味があるのでチャレンジしてみます。
立野
カスタムメイド製品があると、僕らが取引している各種のメーカーの技術も上がるんですよ。既製品で要望に応えられるか分からないケースもあるので、まず最初に既製品は提示しないで、お客さんの要望を聴きながら新しいものを作っていくという流れをつくります。
平田
なるほど。写真家の二川幸夫さんが生前、今の建築家はサッシにしても何にしても部品から考えないからダメなんだとおっしゃってて、そういう機会が与えられないからと思ってしまう反面、その言葉の重みを感じて、「確かに」と思いましたね。
立野
そうですか。僕も初めてのニューヨークに行った時に建物を見て、それから金物を見て、こんなものを昔からアメリカで作っていたのかと驚きました。今はごく普通のありきたりのものを使うことが多くなっているのですが、日本でもそんな流れになるのだろうなと思います。
平田
バウハウスのグロピウスの建物の建具が未だに動いていて、それがすごい精巧な仕組みで動いてるのを見たとき、かっこいいなと思いまして、これをあんな時代に作ったのかと驚きました。
立野
ヨーロッパもそうですけど、日本も金物ひとつとってみてもすごいデザインのものが多くて、工夫してモノづくりをされていたことが伝わりますね。自分の中で残したいもの、そういう想いでデザインしていく。われわれも一緒にそれを実現していく。こういう掛け合いがやはり必要だと思うんですよね。そうでないと、つまらない建物だけがあるだけになる。既製品だけでも我々のビジネス的には問題はないんですけどね(笑)。でも技術の向上のためにカスタムメイドを一緒にやらせてもらいたいと思いますけどね。
平田
なるほど。つくることの楽しさが全然違いますもんね。
立野
そうですね。
立野
日本と海外とどちらが建築の仕事がやりやすいですか?
平田
海外だと細かいことにこだわり始めるとうまくいかないことが多いので、あるところから先は思い切ってバサッと切り捨てようとか、内装は十分に凝れなくても仕方ないとか、思い切りの良さというか、即座の判断というか、どこまで譲って良いかということを判断出来るか、そういうことを試されていて、さらにその代わりになにか大きいものが出来るかなどが試されていると感じますね。日本のものづくりが冴えなくなったとは言っても、丁寧に作る人が未だにいて、「こんなややこしいのは無理です」などと言いながら内心喜んで丁寧にしっかりと作ってくれる人がいたりします。そういうのは日本にしかできないなと思っています。
立野
デザインとか表現は海外でもできるけど、一つ一つのこだわりと言えば日本の方がその思いを実現できるんですかね。
平田
そうですね。でも一概には言えないですね。ヨーロッパでパピリオンを建てた時に身に思ったのは、イタリアの職人さんにもそれぞれ得意分野があって、ある部分に関しては日本の職人よりも全然上手だったり、すごく高い技術力が必要なことを軽々とやってのける人もいましたね。それからヨーロッパの職人さんと一緒にモノづくりをしてみたいなって思ってて。出来る限り多くの職人さんと関わってみたいですね。ベルギーでは伊東豊雄建築設計事務所時代に仕事をしたことがあるのですが、クラフトマンシップというか、ピシッと何かをつくることに関してはやはり何か違うものがあるなと感じまして、そういうところでやってみたいとは思いますけどね。
立野
そうなんですね。やっぱり日本では職人さん自身がいい歳になってきているのが気になりますね。若い人はやらないんですよ。継承っていうのが今の日本にはとても大きな問題となっています。僕がいつも思っているのが、いつまで経っても施主と請負とその下、そのまた下という…この地位が変わらないことと、それから若い人がやるだけの魅力と給料が整わないといつまで経っても変わらないなと。これをやっぱり日本は早急に考えないといけないですね。日本は年々急激に技術力が落ちてると思います。ヨーロッパの人なんかは職人の扱いが結構巧みなのですが、日本の場合、職人や伝統的な技術は結構取り上げられはしているけれど、実際建築でもそうですがいかんせん下っ端扱いなんですよね。一流の人は別ですが、大工さんでもそういう方々はいつまでも下っ端扱い。こういう状況は本当に改善していかないと若い人が続かないと思うんですよね。ハンドルを作る人もみんないい歳になってきてるもんですからね。これからどうなるんかなと。例えば大阪に真鍮の鋳物を作っていた職人がいたのですが仕事が無くなったんで地方に行ったんですね。その後地方でまた仕事がなくなってしまい、今度は中国に移った、そういったことが起きている。大問題ですね。
平田
そうなんですね。真鍮の取っ手とか少しやってみたいですけどね。
立野
もう今は本当にないですね。真鍮の取っ手は。面白いですけどね。経年変化で色が変わっていくところが楽しいです。
平田
ああ、そうですか。
工場とか見てみたいですね。
立野
工場でどのように作っているのかなどを見せたりしていきたいですね。
平田
大学とかでもやっぱりそういうのは学生に見せた方が良いですよね。
立野
これからは本当にそうした方が良いと僕も思いますね。そこで見てもらって柔軟にやってみたりしてね。そしてなにか重要なものを覚えてもらったりすれば嬉しいんですが…。
平田
伊東豊雄建築設計事務所に入った頃にアルミ構造で住宅をつくるというプロジェクトを担当して、アルミの工場で合金にはどんな種類があるか等をしっかり勉強して、アルミに関してはある程度いろんな知識がある状態になったのですが、アルミに対する愛情みたいなものが生まれてきますね。見るたびに良い光り方をしてるなとかって思うんですよね。そういう何かを1つをちょっと知っているだけで、愛着が湧いて作りたくなったりとか、やはり学生のうちから物がどうやってつくられているのかとか知ってもらうのは大事ですよね。僕自身も日本の工場ではあまり見たことが無かったのでやっぱり興味はありますね。
立野
やっぱり鋳物って良いですよね。それはアルミの鋳物だったのですか?
平田
いえ。その時は日軽金やスカイアルミや三協アルミとかがいくつか集まってアルミ協議会っていうのをつくっていて。押し出しが主でしたね。
立野
最近は多くないのですが、25年くらい前までには至る所にアルミの外壁があったんですがね。やぱりコストがかかるってそれで今変わってしまってますよね。
立野
建築というものは本当に面白いと思いますけどね。
平田
建物のソースというか建てられる数は日本のような国だと人口の減少に伴って減っていくと思うんですけれども、逆にあんまりたくさん建たないので建てるのであればちゃんと建てないといけないという意識になっていくと良いなと思います。
立野
そうですね。大阪でも原広司さんが設計された梅田のスカイビルの空中庭園は、年間で20万人くらいの方が訪れるみたいです。建物の存在って大きいですよね。そのような感じで、何の変哲もないありふれた建物ではなく、デザイン性あふれる良い建物を建てればもっと多くの人が訪れるということですよね。ますます人が減っていくなかで、何十年も観光客を呼び続ける、そういうデザイン性のある建築をつくっていくべきだと思うんですよね。
平田
そうですね。日本の街でもそうですが、ヨーロッパの街が街として存在し得る背景に、これだけの建物を今までこの街で生きてきた人達が本当に頑張って造ってきたおかげなのだなとしみじみと感じるときがあって。時代時代でいろんな挑戦があって、今はそれが集まっているから、例えばパリの街はすばらしい魅力があったり、そういうのは本当に良いなと思いますね。日本の街もそういう風にしたいですよね。
立野
やっぱり街それぞれに何か特徴のあるものを造っていかないと、どこに行っても同じものに見えてしまいます。
平田
どこに行っても同じじゃないものを造りたいと段々みんなそれを思っているのが良い傾向だなと思いますね。
立野
今の若い人たちがそんな感じになっているということですかね?
平田
そうだと思ってます。ただ、みんなお金を持っていないんですよね(笑)。そこが問題かもしれないですね。
立野
ははは(笑)。やはりそういうチャンスが必要ですよね。迎賓館とか、昔の日本は会社の利益とかではなく、それよりも良いものを造っていますもんね。あのような感じをもう1回復活して若い人たちにチャンスを与えるっていうことが出来ると良いと思いますけどね。
平田
日本の政治家とか政府とかにも日本の建築っていういろんな意味での財産があることをもっと知ってもらいたいなと思ってます。
立野
そうですよね。大阪市内で昔の建築の見学会とかもあるんですがね、とても面白く、建物に個性がありますよね。地下鉄でも宣伝されていて。そういうのがもう少し欲しいですね。
平田
建てる人がそういったマインドになっていくと良いですね。
立野
歴史的な建物をちょっと工夫して建て替えたりとかですね。そのときは我々もサンプルになるような建物を建てたいなと。
平田
そうですね。そういう建物を設計したいですよね(笑)。
立野
ははは(笑)。
平田
どういった場合でも制約はあって、かえってその制約が発明の親になる事もありますからね。とは言っても、建てる人が建物に対する愛情を持っているか否かっていうのが一番気になりますね。
立野
建築っていうのは情熱とエネルギーが必要となってきますからね。図面とか、建物の大きさによってエネルギーが変わると思うのですが、それらを考えている時はどれくらい集中してエネルギーを使われるんですか?
平田
そうですね。群馬は3年間のプロジェクトだったんですが、基本設計をわずか半年くらいで行いまして、その間に市民ワークショップで一緒に設計の内容を決めていったんですね。それを設計の中に組み込んでいって、図面は200個くらい合計で作ってました。
立野
へえ。すごい。
平田
それはもう事務所をあげてやってましたが毎月1回ミーティングがあるので、本当に溺れるように泳いでいる感じだったんです。でも楽しかったですね。まだ見えないものが見えてくる感覚で、その議論の中で沸きあがってきたものを取り入れながら。やはり自分たちで考えていると落ち着いてしまうんですね。自分が見てかっこいいなと思ってしまう方向になっていってしまうんですが、他者を巻き込むとある程度の範囲内の中で考えるしかなくなるので、かこつけてるわけではないのですが、ものすごく勢いのあるものが出来てくるんですね。建築はやはり、そういった全然違うものに晒されて、それを巻き込みながら成長していくもののほうが今後は必要だと思いますね。そういったことがもっといろんな形でできていくと建築は建築家の作品でもあるんですが、それだけじゃない勢いというか、もっと多くの人と、街全体を立ち上げるみたいな。たくさんのものが集まって出来た強さというか、そういった方法で今でしか造れない建物が生まれてくるかもしれないという感じがしますね。
立野
話は変わりますが、平田さんの言われる『からまりしろ』では関係性というのがキーワードになってくると思うのですが、住宅の設計における内部と外部との話で人と人との関係性の中で、個人のスペースや人との関わりの部分も設計すると思うのですが、うちってドアハンドルをやっているので、壁とかドアとかの境界となっていくものが今後どうなっていくのかなあと思いまして。その中で壁やドアの役割を感じられていましたら教えていただきたいです。
平田
そうですね。壁って安定した壁としてあるよりも、奥を押していったらグニャグニャとした得体の知れないものになっているっていう『からまりしろ』の考え方で捉えたいかなって思いますね。だからと言って完璧に壁がなくなるというわけではないんですね。やっぱりある程度、単純に解いていかなきゃいけないし、ドアに関してもそうですが、僕は結構レバーハンドル単体が好きなんですけど、やはりまずは一つの形としてオブジェクトとして見えてくるじゃないですか。そこで終わらず、今は1個のものの中に色々な見え方がたくさん折り畳まれている方が豊かだと思いますね。『からまりしろ』の中では人が絡まるというわけではなく、例えば昆布に魚の卵があったら子持ち昆布になって、その子持ち昆布が海底にあって、それがさらに他のいろんな海藻に絡まるっていうように、どんどんどんどん幾重にも要素が絡まるという、そんな感じでドアを見たら、ドアハンドルがあって、さらにドアハンドルをよく見たら物質の素材の感じが見えてくるみたいな、そんな奥行き感があった方が色々とまた面白いと思うんですよね。ドアハンドルとかそういうものが持ってる魅力っていうのは建築の中で折り畳まれたものにあるって考える感じです。一般的な壁とかドアっていうのを、完全にないものとする理論ではなくて、そういうのを含めて今まで考えてきたことをもう一歩外側から総合的に考えていくような考え方がないかなと最近は思います。
立野
先程の話の中でも出てきたと思うのですがアカデミックに籍をおかれているからこそ建築に反映できるものがあるんじゃないかなと思っていて、その点、何か感じていることはありますか。
平田
京大で教壇に立つ建築家の先生が定年でお辞めになっていき、とうとう自分の番かと(笑)。自分も何人かの建築家の先生にお世話になって今の自分があると思うから、やっぱり学生たちにも教える立場っていうのが必要かなという気持ちでいるんですけど、大学だけの人になるつもりは毛頭ないんですよ。基本的に自分は建築をやって、学生がそれを見て、なんぼの世界というか、なのでアカデミックなフィールドでなにかがしたいというそれほどないのですが、せっかくいるから、お金が儲からないような実験的なものや、他にも基礎的なものやもっと大きな未来像に対してどう考えるか、大学ではそういった大学でしかできないことをやっていきたいですね。設計事務所と同じことを大学でやっていてもしょうがないんですね。そういう意味で、もっと今お話させていただいていること等をもっと学生たちと考えていけたら自分にとってもすごく面白いかなと思っていますね。しかし、教えるのって大変ですよね(笑)。
立野
そうでしょうね(笑)。学生は誰に教えてもらったかで変わると思います。そのときにどれだけ刺激を与えられたか。そして就職し、しばらく務めたところでまたステップアップをするために別の会社やアトリエを受けてって感じで、それで独立されてね。平田さんもそうされてたように、そういった人を受け入れて、育てることが大事なんでしょうね。あとは、私も色々な本を見ていたりするのですが、やっぱり建築学生にも生物学とか色々な本を読むようにと言ったりするんですかね?
平田
本を読むようにとは言っていますね。講義でも、今日の授業の内容に関係する本がこの本とこの本でって話をして紹介したりはするんですけどね。中々読まないですよね(笑)。
立野
(笑)。今の若い学生は全く読書しないですよね。やっぱり本を読むって大事ですよね。図書館にはあんま置いてない本ってわけでもないですよね?
平田
いえ。図書館にこれとこれ置いてあるからとしっかり言っているんですけどね(笑)。
立野
建築家の方々ってすごい蔵書を持たれていますよね。いろんな本を読まれています。建築とは全然関係のなさそうな、歴史の本なんかも置いてあったり。建築っていうのは本当に色々な知識が必要ですよね。
平田
そうですね。いろいろな事に関わって建てるので。だいたい一個プロジェクトをやると、そのクライアントのやっていることとか、プロジェクトに関係する本をが~っと集中してすごく読みたくなりますね。建築のおかげで色々な事を知ることができます。コンペがあったらその街その場所に行ったりして、そうすると一つ一つをやるごとに少しずつ自分の中での新しい分野ができていくんですよね。やってて面白いですよね。
立野
しかし、建築の方って本当に色々なことを知っておられるなといつも感心します。植栽もそうですし、建築って色々なことに介入するので、色んなことを知っておくことは大事ですよね。フラクタルとか、あんまり気にしたことなかったけど、平田さんの本を読んだのをきっかけに面白いなと思い、調べるようになりました。
平田
そうですね。形が持ってる可能性っていうのは色々なもので引き出せたらなとは思いますね。しかし、それだけに注力するだけだと形態の部分で一部分だけが突出して出来ていって全体的にどんどん均一になってしまう。なので全然違う話も取り込まないと、様々な人が見たときに色々な場所があるなと思えるような状況にならないと思いますね。そういうものをどうやって作っていくかっていうのは、とても興味があります。その意味で自分1人で考えるのではなくて、出来るだけたくさんの人を巻き込むような方向に可能性を感じますね。ビッグデータで、例えばインフルエンザがなんでそういう風に発生するかわかんないんだけどここで起こるみたいなことがわかる様な感じで、たくさんの関与し得る情報を処理能力が高い計算機で処理してしまうと分かるとか、そういった今起こってるものを設計の考え方に反映して単に幾何学じゃない豊かな建築の在り方をもう少し見つけていけるかなと感じますね。
立野
僕はつい先日、ある建築家の方と話をしまして、学生が知識をつけるというか覚えるということに対しての創造性がないと言われていたのが印象に残っています。平田さんは学生を見られていますが、新しいものを考える力っていうのはどう思われますか?アメリカやヨーロッパでは教育スタイルが全然違いますよね。東大でも決められた点数を取れば入れるけど、物を考えさせるっていうのはないですね。これからの社会っていうのはほとんどが人工知能が考えるわけですからね。建築と建築以外のあらゆる分野を統合して考えて建てられた建築だったり、そういうものをもっと主張していかないと建築も陳腐なものになってしまうと感じますね。
平田
そうですね。どういう問いを立てるかという。でも日本人の中でも発明的な人が何人もいると思いますし、それが欧米と比べて劣っているかは見ようによっては日本人もかなり卓越したはたらきをしていると思うんですよ。なので教育の問題とは無関係に、そういった人が何人か出てくるのかなと思っていたりはしますね。一方で、ひたすら考えさせます。しかし大学でいきなり開花するというよりは、その人のポテンシャルは既に決まっているんじゃないかと思ってて、教育として本当に大事なのは小学校の先生など、そういった方々じゃないかなと思っていますけどね。
立野
そうですね。その部分に関して、先生は生物の分野に興味を持たれていたというところも影響が大きいですよね。そういうのを無しに京大に来るために必要な情報を覚えただけだと、やっぱりそういった発想は出てこないんですかね。色々と観察をして想像する、考えるっていうことがね。なので、今の若者はそういったことを若いときにやっていかないと全部が人工知能に変わってしまいますからね。やっぱり唯一人間って一つのことだけじゃなく色んなことを考えられるっていうのがすごいですよね。やっぱ人間ですもんね。人工知能には変わらない分野というものが絶対に存在しますよね。
平田
想像的なものも人工知能が出来るようになるって話もありましたよね。
立野
そうですか。そうなったらどうしようもないですね(笑)。そういえば、料理も人工知能でやればできるみたいでね。レシピ覚えさせたら材料さえあったらってのが海外で行われていますからね。弁護士でも今までの事例を調べれば人工知能でもできるって言われていますね。そうなると、アメリカの弁護士の半分以上が必要なくなるそうです。なので多くの人がこれまでと同じことをやっているだけじゃ、仕事が無くなってしまいますよね。しかし、建築っていうのは人工知能には出来ないと信じたいですね。味気ないものはコンピューターとかでも出来ると思いますけどね、デザインとか色々と考えることがたくさんあるので。
平田
そうですね。何よりも興味を持つということが大事ですね。それは小学生の時に育つ都市環境であったり、周囲にあるもの、出会う人が重要となりますね。安藤さんが建築をされるきっかけとして隣にいた大工さんの仕事を見てて好きになったって言われてて、やはり何か一つのきっかけっていうものが必要なのかもしれませんね。
立野
そうですね。トカゲに興味を持ったりとか。
平田
大した執念ではないんですけどね。子供にとってはそれが全てって言うか。
立野
オニヤンマ(笑)!
平田
!(笑)。読んでいただいてありがとうございます。オニヤンマは本当に何者にも変えがたい喜びでしたね。ただ、捕れない。
立野
僕も昔捕ったことがありますね。
平田
本当ですか。なんとも言えない魅力がありますよね。トンボの中でも。
立野
本当に稀少ですからね。
平田
この間、道を歩いていた時にオニヤンマがたまたま目の前をピューって飛んでいったんですね。その時に子供の頃のようにドキドキした気持ちになりました。捕まえるわけではないんですが特別な存在ですね。目の緑色のキレイさが全然違うんですよね。死ぬとすぐに色褪せるんですよね。だんだんだんだん色褪せて、茶色くなってしまう。
立野
ギンヤンマとかウチワヤンマとか大きめで個性的なトンボがいろいろいるんですが、断トツオニヤンマなんですね。
平田
ギンヤンマもいいんですが、まあ比べ物にならないですね(笑)。
(終了のお知らせ)
一同
ありがとうございました。
企画:宮本 尚幸、桑野 敬伍
撮影:宮西 範直
聞き書き:桑野 敬伍