立野純三(たての・じゅんぞう)
株式会社ユニオン代表取締役社長
1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。
重松象平
建築家
1973年福岡県生まれ。九州大学建築学科卒業後オランダへ留学。
現在、建築設計集団OMAのパートナーおよびニューヨーク事務所代表を務める。
1998年の入所以来、OMAのアメリカ大陸およびアジアのプロジェクト多数をリーダーとして牽引しており、
個人住宅から美術館、商業施設、都市計画にいたるまでプロジェクトのコンセプト検討から竣工に至るまでデザインを先導し、
OMA全体のディレクションを担っている。
主な作品はCCTV(中国中央電台)新社屋、プラダ巡回展「ウェイスト・ダウン」、コーネル大学建築芸術学部新校舎、
コーチ表参道フラッグシップストア、カニエ・ウェスト・セブンスクリーンシネマなど。
コロンビア・ボゴタの新都心マスタープラン、ニュージャージー州・ホーボーケンにおけるハリケーン・サンディ後の
復興計画など、都市的規模のプロジェクトからケベック国立美術館新館(2016年竣工予定)、
ファエナ・アーツ・センター (マイアミ 2016年竣工予定)、マリナ・アブラモヴィッチ・インスティテュート(ニューヨーク)、
蔡 國強のアトリエ(ニューヨーク)、ベネチア・ビエンナーレ・ドミニカ共和国パヴィリオンの展示デザインなどの
アートにかかわる建築、サンフランシスコやマンハッタンでの高層集合住宅などのディベロッパーとの仕事まで、
世界各地で多岐にわたるプロジェクトが進行中。
2013年よりハーヴァード大学デザイン学部大学院GSDにおいて「Food」と都市・建築との関係を考察する
「Alimentary Design Studio」を率いている。
1
立野
今はニューヨークに拠点を?
重松
はい。1997年に福岡からオランダに行きまして、大学院も含めて9年半くらいオランダにいました。それから2007年の最初にニューヨークに移ったんです。なんでもう、ちょうど10年くらい。
立野
OMAで?
重松
そうですね。ずっとOMAで。
立野
へぇ。
重松
でまあ、ニューヨークにはディレクターになるということで移ったんですけど、たくさん変化があって。今やっと落ち着いてきた感じがしますね。
立野
へぇ。……僕はニューヨークは結構好きなんですよ。
重松
あ、そうなんですか。
立野
はい。何回も行ってまして。
重松
どういうところが好きなんですか?
立野
やっぱりねぇ、息抜きになるというかねぇ、エネルギーを感じる。…美術館とかいろんなものが揃っていて、ミュージカルとかもあるし、ジャズもある。そういうのも楽しいですけどね。やっぱりね、街が生きている感じがします。
……9.11、あの時いてました。
重松
僕もいました。
立野
あの時ね、僕ボランティアやってたんです。セーブ・ザ・チルドレンって。
重松
へぇそうですか。
立野
ご存知ないですか?セーブ・ザ・チルドレンって。
重松
セーブ・ザ・チルドレン?何となくですが……。
立野
アメリカで結構有名なんですけどね。アメリカのニューヨークにある本部にいて、ちょうどあのとき、ニューヨークにある本部にいて、30分くらい前にそこを出たんですよ。混んだらいかんと思って早く出たのが正解だった。それがなかったら巻き込まれてた。あのビルではないから、うん…ってことはないかもしれませんが、巻き込まれてたら大変なことになったかもしれないですね。
(少し沈黙。交換していた名刺を見ながら…)
重松
え!?これ僕らと同じ建物ですよ(驚)!
立野
え!?本当ですか(笑)!?
重松
180番地。
立野
そうですか!偶然に(笑)!
何階ですか?
重松
13階なんですよ。
立野
一度ぜひいらっしゃってください。一緒のところだったんですね(笑)。……あの辺のビルってたくさん建築の方がいますよね。
重松
そうですね。もともと印刷工場だった建物があの辺集中していて、すごい頑丈なんですよ。それを戸割にして、クリエイティブ企業とかが入っているんで。
立野
へぇ~。
立野
ところでオランダを選んだ理由は?
重松
僕、アメリカに子供のころに親の仕事の関係でちょっと住んでいまして…、
立野
そうですかぁ。
重松
ボストンに住んでいて、まぁ英語ができたんですけども、アメリカの大学は学費が非常に高いですし、あとイギリスの大学も考えたんですけど、英語圏じゃないところに行ってみたかったってことと、みんなが行くようなところに行っても差異化ができないかなぁと思いまして、それでオランダは意外とみんな知らないし面白いしと思って……、行きました。
立野
なるほど。あそこはやっぱり建築としてもいいんですか?オランダは。
重松
そうですね。あの時ちょうどオランダが注目され始めた時期で、僕が入ったOMAのレムコールハースっていう方も、ちょうど世界的に有名になり始めました。
立野
それはオランダ?
重松
そうですね。でも僕はOMAがあるからオランダというわけではなく、その前に大学院にいくのが目的だったので。大学院としてアメリカとかイギリスとか、みんなが行くようなところに行ってもライバルが増えるだけで、どこか違ったところに行った方が面白いんじゃないかって。非常に今思うと安易な考えでしたね。
立野
(笑)。
いやいや、そんなことないですよ(笑)。
でもそれがよかったんでしょうね(笑)。
重松
それが僕にとってはよかったとは思うんですけど、OMAってところはアカデミックな側面とデザインとをうまく融合して建物をやっているところがありまして、日本でも2タイプあると思うんですけど、いい若手を輩出する事務所と、輩出しない事務所があるじゃないですか、有名な事務所でも。OMAってあの~、ザハハディッドっていう最初に国立競技場に勝った……、実は彼女も元OMAでして…
立野
OMAなんだ(驚)。そうなんですねぇ。
重松
AAっていうイギリスの有名な建築の学校があるんです。OMAのレムコールハースって人もザハハディッドもそのAAスクール出身でして…
立野
そうですかぁ。
重松
そういういい若手を輩出する事務所に行きたいなという思いがありまして
立野
なるほど。独立して、認められるっていうのは日本では割と少ないですよねぇ。
重松
なんというか……日本だとちょっと暖簾分けみたいなところがありまして、ある有名な事務所を出た後は、その師匠と同じようなものを作っていける雰囲気が日本にはあると思うんですけど、海外では逆に師匠と同じようなことをやっていたら批判される。そこがちょっと文化的には違いますけど、いい若手を輩出する事務所が常にあるっていう点では設計事務所は世界中共通です。
立野
ねぇ。でも今日本でその若い人がね、なかなかこのチャンスがないです。今若い人はほとんど海外で活躍するようになって……。日本で今仕事をもらえるっていうのはなかなか少ないですよねぇ。今ねぇ。
重松
だから、どこまで切羽詰まったら、風向きが変わるのだろうというか。海外に出ればそれなりにチャンスはあると思いますし、あとやっぱり業界自体を変えていこうという力がない限り、何も変わらないですよね。
立野
そうですよねぇ。
重松
あとやっぱりゼネコンとか、組織設計が90%以上建ててますから。
立野
ええ。
重松
そういう状況、現況を変えていかないと。
立野
ということはある程度そのオーナーというか発注側自身も考え方を変えるなり…
重松
そうなんですよ!アメリカなんかでもよく言われますけど、建築家だけを育てるのではなくて、クライアントも育てなきゃいけないって。クライアントや行政のリテラシーが低いと、いい建築家を使おうってことにならないですよね。だからそういうところ自体を変えていく。なので、建築の話ができる人をもっと輩出するとか、やはりデザイン業界とか広告業界の方がそういうところって非常にうまいと思うんですよね。社会との接点をつくっていくって。建築家ってどうしてもまだ難しいイメージがあって、そういうところから変えていくしかない。
立野
それもあるね。もうちょっとコンペみたいな形ができればいいですね。
重松
そうですね。でもコンペには経験がないと入る資格もないですからね。日本ではほとんど。
立野
チャンスを与えてあげないとですね。
重松
そうですね。
立野
日本では若い人にチャンスがあまりない。だからほんとに目標になる様な方がね、海外に出てしまっているケースが非常に多くなっていくと思うんです。これから。
重松
あ、でも僕やっと東京と福岡でけっこう大きな仕事がありまして、こうやって一回海外に出たんですが、やはり最終的には日本で何かしら還元したいというか、恩返しというか、そういうことをしたいと思ってますね。
立野
向こうで名前が売れてこられたわけですからね。こっちで受け入れやすくなるけど、はじめからこっち側でやっていて、もし今みたいになれたかどうかって言われたらこれはちょっとむず……
重松
それは無理でしょうね(笑)。
立野
(笑) 。
重松
ですね(笑)。九州の田舎の出身ですし、そういう直感もあって日本を出たと思うんですよ。僕1973年生まれなんですけど、世代別で言うと、第二次ベビーブームなので、受験も就職も全部、倍率が今まで日本一高いとか、メディアで散々聞かされていて。更にちょうどバブルがあって、大学に入った瞬間バブルがはじけた。だから、非常に悲観的な状況が多かった。それで日本を出たっていうのがもしかしたらあるのかもしれないですね。
立野
そういう境遇の人の方がバイタリティがあるでしょうね。僕も第一次ベビーブームですから。
重松
なるほど。
立野
戦後生まれて…昭和22年ですから。その辺からグーッと人が増えてる。
重松
はい。
立野
その年代の人はバイタリティありますよ。
重松
そうですね。競争に関しては慣れているのかもしれないですね。こうやって僕の世代で海外に出た人ってごまんといるんですが、やっぱり日本人てどうしても帰ってくることを目的にしちゃうんですよ。箔をつけるというか。僕はなんかあんまり日本に帰っても明るい未来がないなって漠然と思ってたので、海外でそのまま通用するようになりたいって、居座るつもりで出てっていったんですよ、その差がやっぱりあると思いますね。日本人はどうしても2、3年やって、帰ってきて~っていうパターンを作ってしまっているんで、もう少し海外でやり続けるっていう人が増えてくると、変わってくるかもしれないですね。
立野
我々の事業かて、今後はグローバル見据えてなかったら企業が持たないです。建築は今、久しぶりに右肩上がりっていうか、オリンピックがあるわけですから。20年以上下がってきてやっと横ばいになって、やっとここ6年くらいは右肩上がり。でもそれが続くかって言われたら、そんなことはありえない。この後、落ちていくと思うんですよ。だから企業存続を考えるとやっぱり海外へ出て行かずにはいられない。それはやっぱりねぇ、今の若い人って意外と海外へ出て行かないですね。だからもっと外に出て行こうという気持ちを持ってほしいと感じますよね。
重松
僕はこの20年でその…日本が昔は海外!海外!って言っていたのがドメスティックに回帰したのはいいことだと思うんですね。でも今僕、アメリカの大学で教えているんですけど、あの~、日本人の学生が全くいないんですよ。
立野
そう聞きますよね。今ねぇ。
重松
アイビーリーグの大学って半分以上はアジア人なんですよ。その中で日本人が今学年に一人いるかいないか。
立野
そんなもんですかぁ。
重松
あとは全員中国人、韓国人、…台湾人とかなので、今はいいとしても20年、30年後、それは絶対決定的な差になって現れてくると思うんですよね。だから僕は海外がいいとか、日本のドメスティックがいいとかっていうよりも、選択肢の一つとして海外もありっていう多様性を保っていかないと将来、国際的な競争力がなくなると思うんです。
立野
40年くらい前かな。初めてニューヨークに行ったんです。
重松
はい。
立野
貿易やろうって。
重松
はい。
立野
で、そのときにうちの商品を持っていきましたら、設計事務所の先生とかがね、「juwely」て言ってくれたんですよ。だから「買ってくれ!」って言ったんですが、「高すぎるっ!」て言われて(笑)。そういう面でやっぱりず~っと僕はアメリカだけじゃなく、ヨーロッパも全部見て、確かに我々の製品の中にも歴史のあるいいものはたくさんあるんですけどね、近代的になるにつれて建物に全くマッチしていない貧相なものが付いてきているような気がするんですよ。その辺はどういうふうに見られます?
重松
そうですね。経済原理とかのプレッシャーがかかってくると、建築家もそこまで気が回らないというか、設計期間の短さとか、スピードとか……あとはやっぱり装飾とか装飾的なものに対する疑問というか、そういうことを気にするよりも、全体的なコンセプトっていう流れがあり過ぎて、僕もそういうのはやっぱり変えていかなくちゃいけない、と。昔は建築家がインテリアデザインもやる機会が非常に多かったんですが、最近では建築家にインテリアをやらせる商業空間はほとんどないですからね。
立野
そうですかぁ。
重松
やっぱりそれだけ建築家とインテリアデザインの職能の差も広がってきているというか……
立野
う~ん。僕ら自身が直接は何もしてないんですが、最初にスタートしたころ、そのときの建築家ってやっぱり自分の建物を建てたら、細かいところまでものすごいこだわりを持っていましたよね。家具なんかでも常に一緒に立ち会って見られていた。今はもう外側はやるけど、あとはもう知らん顔。ということが非常に多くなってます。
重松
それはたぶん建築家の責任でもあるけど、やはり経済的なプレッシャーに対応できずにそこまで気が回らないって方が僕は大きいと思いますよ。したくてもさせてもらえない。デザイン期間が短いので、デザインする暇もない、と。だったらもうインテリアデザインをずっとやってる人に頼んだ方が効率がいいって風にどうしてもなってしまうんですね、クライアントの方が。
立野
そうなんですねぇ。
重松
日本はまだいい方だと思いますよ。海外はもっともっと分業化が進んでますよ。あとこれだけ建築が商業的なものに取り変わると、建てるデザインの意図が変わってくるというか、昔は公共建築とか、こだわって全体をつくりあげるような建物がもっと多かったと思うんですけど、今はどうしても商業的な建築が多いんで、そういう……
立野
なるほどねぇ。東京もそうでしょうし、大阪でも、期待はしてるんですが。世界中の建築家を目指す方、あるいは建築に興味がある方に見られるような、そんなデザイン性のある建物が建てられるかなて思っていたらまったく普通のこう、言ったら何でも建てますよ、デザインなんかっていう。そういうものが東京もそうでしょうし、大阪もそうでしょうから。そういう状況を見て実際どういう風に思われてますか?
重松
日本はすごくいい意味で言うとニュートラルな建物が多いですよね。それは多分リスクを怖がる社会性もあるとは思いますけど、やっぱり個性的なものはあんまり好まないというか……
立野
そうねぇ。昔はね、けっこう個性あったと…
重松
そうですよ!だって、80年代、90年代くらいまではやっぱりあったし、大阪ってね、高松伸さんとかその最先鋒の……タカヤマ建築事務所とか、あそこまで変わったものは定期的にはなかったですが。僕はこの後のレクチャー(dレク)でも言うつもりなんですけど、経済的に停滞が長く続くと、どうしても元気が、全体的な表現力が落ちていくと思うんですね。例えば無印良品ってあるじゃないですか、あれってあたかも日本の美的感覚を表現しているように海外ではブランディングされてますけど、排除された真っ白なものしか売らないっていうのは非常に一元的な見方でしかないと思うんですよ。日本の文化に対して。なのであれが日本の代表になってしまうのは非常に残念だなって思うんですよね。
立野
それとユニクロとかはね。そういう感じがしますよね。
重松
そうですね。
立野
僕はやっぱりね、建物っていうのは印象に残るようなものを作るべきだと思うんですよ。もちろん商業的な、経済性のある建物もいいんだけれども。何十年ってそれが街の中心に残っていき、それにマッチして新しいのができていく、そういうものがこれからの街づくりに必要だなって。
重松
それをつくろうっていうクライアントというか、発注者もなかなかいないというか、発注者も経済的なプレッシャーを受けてますから、簡単ではないでしょうね。
立野
もちろんある程度予算ていうのは組みますけどね。その中でどれだけ魅力のあるものができるのか。それと、僕は全体をしなくてもいいと思うんですよ。例えば照明だけでもいい。ロビーだけでもいい。やっぱり一部だけでも凝ったものにしようとしなかったらおっしゃるような経済的な圧迫が大変だと思うんですよ。僕が最近建築の先生に言うのは、一部だけでもやはり凝った、職人を使うようなのをやって欲しいと言ってるんですよ。そうでないと職人がいなくなるって。これが今日本の最大の問題。たぶん何年かしたらアメリカと同じように、誰もいないという、そういう状況になるって気がして仕方がないんですよ。
重松
そういう流れっていうのが日本の地方で一方ではあると思うんですが、建築業界全体のレベルではまだまだないですし、最近ゼネコンのレベルも相当下がっているって……
立野
(笑)。
重松
やっぱり日本でやっている人から聞きますよね。だから、それは悲しい状況ですねぇ。
(ここから、建築家であるインタビュワー平沼孝啓氏(以降、平沼)も参加する。)
平沼
重松さんが扱われているボリューム、スケール、て大きいものが見られるんですけど、逆に住宅クラスくらいのスケールって…
重松
住宅も僕やってますし、展覧会とかもやっているんですけど、どうしても僕は都市的な影響力があるものをやりたいっていう願望が強いので、ちょっと大きくなりがちですけど、小さいものも別の感覚でやっているつもりであります。はい。
平沼
表参道に作られた、あの~。
重松
ああ、COACH!?
立野
COACHのねぇ、うん。
平沼
はい、COACHの、あれだけの印象の深いつくり込み、小さな空間なのに小さくボリュームをつくっていく、ソースをもたれていくような、なんかコツみたいなのあるんですか?もしかしたら本当は重松さんってもっとスケールのちっちゃいものが……プロダクトだったり、人とのヒューマンスケールくらいのスケールの方が好きなんじゃないかなって思ってまして。
重松
あ、それは是非やりたいとは思っているんですけど、今まで機会がなかったというか。ファッションという業界に僕はすごく付き合いが長くて。
立野
そうですかぁ。
重松
はい。で、プラダの仕事をしてて、この仕事をいただいたときに、商業空間の最小単位ってなんだろなって思ったんです。っていうのはCOACHってその……昔は非常に革の、まぁ……
一同
(笑)。
立野
どっちかっていったら(笑)。
重松
最初は財布しかなかったんです。それが今、1コレクションで2,000点くらいつくるんです。
立野
2,000点!?へぇ~。
重松
それくらいの企業に成長してしまって、そうなると、ディスプレイもロゴも色ももうグチャグチャなんですよ、毎回。じゃ、それを整理していくことからブランディングを始めましょうということで。そのときのショップが木の棚でできたすごい小さなお店だったんですね。それを最小単位にして棚で全部形成していきませんかって提案して、それで図書館のように、整理することによって生まれる空間てあるじゃないですか。そういう風にしようと。もうひとつは、表参道界隈の…青山界隈のファッションと建築家のコラボを見ていたときに、内と外の乖離具合というか、外は建築家にやらせるんですけど、中は別のお抱えのインテリアデザイナーとか、独自のブランドのディスプレイを使うっていう場合が非常に多いんですよね。プラダぐらいなんですけどね、両方やらせたのは。
立野
あ~そうですか。
重松
なので、僕は……棚って普通室内のものじゃないですか。それを、ファサード取って、室内をそのままファサードにするというアイデアでショッピングの単位をそのままファサードにするっていう、コンセプトを。
立野
へぇ、そのコンセプト面白いですねぇ。
重松
あとそのファッション業界がいかにディスプレイを毎日いろいろ練って、変えていくかってキュレーションしているかってのも知ってたので、そういうキュレーションが直にコミュニケーションできるような仕掛けをつくりたい。そういう意図が重なってこういうものをデザインにしたんですけど。
平沼
立野社長がね、今建築が大きなスケールになって、ディティールがなくなっていく方向になっているなぁと。
重松
はい。
平沼
昔はまあモドリックさんみたいなところが代表されているんですが、すごい繊細な ……
重松
はい。
平沼
まぁユニオンさんも、そういう意味では、まじめに、金物を……
立野
はい。金物をやってきたんですけどねぇ。
平沼
金型で成型されたものを実現化するときにやっぱりディティールがでてくるわけじゃないですか。
重松
そうですねぇ。
平沼
立野社長がこれからちょっと質の高い金物とかを打ち出そうとする場合、どんな金物を求められるのかなぁって、ちょっとヒントを。
立野
(笑)。
重松
う~ん。
平沼
やっぱりこう、あまり表層では目立ってはこない方向……
重松
はい。
立野
やっぱり主張しすぎてもだめだよね!
平沼
なのか、それとも金物自体が機能を見出した美しさを前面に出していくべきか…
重松
う~ん、まぁ、ちょっと難しい質問ですけど…、僕、両方あると思うんですね。最近流行っているのは家電周りも全部、電話とかで操作できるというテクノロジーで合体しているじゃないですか。まあ、そういうのがいいってわけじゃないんですが、やはり美しさとか素材感、デザインだけで、今の時代で進化していくのは難しいと思うんですが、そういう風に両側から行くというか、そういう新しい可能性は何かっというのを多角的に見つめていくしかないと思うんですけどねぇ。
立野
新しいテクノロジーも取り入れながらのデザインが必要ですね。
重松
そうですね。建築やデザインが必ず飛躍するときってそういうテクノロジーの進化が伴っていますし、あとは僕はアンチクラフトかもしれないですが、3Dプリンターって、ある情報があれば、真っ直ぐの何の特徴もないものから非常に複雑なものまでボタン一つでプリントできてしまう。そうなると、複雑なものと複雑でないものの差ってのがなくなってくると思うんですよ。そしたらやっぱりドアハンドルだって今まではクラフトの、ロジックではできなかったような非常に複雑なものができてくる可能性がありますよねぇ。でも、3Dプリンターって未だに機械だけに頼ってても、まだいいものはできずに、やはり手とハイブリッドな両方の感覚が必要なんで。だから、若い人とか色んな人にデザインさせてみて、何か可能性を探っていくっていうのを見ていくっていう。あとはやっぱりドアがどういう役割をしているのかとか、機能自体を…どう変わっているのかとか見ていって…、でもちょっとよくわからない(笑)。まだやってみないとわからないので、やってみたいなとは思います。
立野
そうですかぁ。
重松
依頼されたら。
立野
是非そのへんはねぇ、お願いしたいですよねぇ。デザインとテクノロジーの関係もありますが、素材とテクノロジーの関係にも私はとても興味がありますね。歴史的に見て、素材が飛躍的に進化したというか、今まででデザインとか仕上げの要求が変わったのが何かっていうと、やっぱりステンレスができたときですね。まずは。それまでだったら真鍮とか、アルミしかなかった。
重松
はい。
立野
で、今度はステンレスができて。
重松
ええ。
立野
次は何かって言ったら……カーボン。
重松
カーボン。はい。
立野
で、その次チタン。
重松
はい。
立野
このあと何も出てこないんですよ!
重松
なるほど。
立野
で、アルミはここでストップしている。後は仕上げが変わっていく。アルミの仕上げがショットブラストであるとか、そういう……
重松
はい。
立野
あとはステンレスも。あとは塗装とか。
重松
はい。
立野
そういうものが少しこう変わっていくという。やっぱり我々は材質の変化で言うと、結構あんまり変わってない。
重松
う~ん。
立野
建築も同じことが…
重松
そうですね。いや正におっしゃるとおりで、本質的なものが変わらないと、ただ単にデザインを刷新していくだけじゃまず、根本的な変化を生まないですね。
立野
う~ん。おっしゃるようにやっぱり我々のハンドルなんかも改めて本質的に見ることによって、傾向とか、そういうのもこれから、少しずつ取り入れていかないといけないですね。しかし、実際のものを触ったときの感覚というのはおっしゃるように3D化とか、技術が進んだとしても、これは大事なんですよね。
重松
そうですねぇ。ま~なかなかそこまで、こう~お金を遣わしてくれる……
立野
(笑)。
重松
というか~、悲しいかな、もちろんそういうところにこだわり尽くす、プロジェクトをやられている方はたくさんいると思いますが、なかなかそういうことを考えられること自体が贅沢だなって僕は思ってしまいますけど。
立野
もうすぐ60周年になります。ユニオンが。
重松
おめでとうございます。
立野
実はもう一度サローネでね、挑戦しようと思っているんです。前に出したのが十年くらい前なんですよ。それでもう一度60周年のときに、サローネで挑戦するってことにしていて、そのときにあっと世界が言うような、そういうものを出したいなって思ってるんですよね。
重松
なるほど。
立野
是非そのときね(笑)。
重松
いえいえ(笑)。…サローネですかぁ。
立野
前はね、西沢大良さんにやってもらったんですよ。
重松
そうですか。
立野
展示の構成、全部。
重松
ハンドルも展示したんですか?
立野
あのときハンドルはやってなかったかなぁ。
重松
展示だけ!?
立野
展示の……アレンジだけだったんですよ。そのとき、小さな教会やったかな、借りたのは。
重松
そうなんですね。
立野
めっちゃお金かけましたけど。
一同
(今日一番の笑)。
立野
トヨタとうちくらいかな。ものすごい評判があったのは。
重松
は~。なるほど。トヨタってレクサスのやつですか!?
立野
そうそう!レクサスが最初に出たときなのかな、あれね。
重松
石上くん(石上純也)とかがやってたやつかな?
平沼
その前ですね。
重松
前?まだ前ですか。
平沼
そうですねぇ。
立野
ものすごい評判よかったんですけどね。そのまま使ってもらえるから、さっそく使ってくださいって。
重松
(笑)。
立野
僕は一回使ってもらえるようなものを展示したいなと思ってるんですね。
重松
なるほど。
立野
それがそのままヨーロッパなり……現地で使っていけるような、そういうものをやっていきたいなと思ってるんですよ。
重松
そうなんですね。
平沼
立野社長がね、70歳になられるんですが、若いころからまぁ、大阪とか東京とか建築家の方とかにすごい育てられたと言われていまして……
立野
はい。
平沼
で、ご自身のお名前、立野純三さんのJUNZOがついた、新たなブランドで商品を扱おうとされていまして、住宅の分野で大きな実績を残したいと思われています。それで、設計者が何を考えているのかっていうことを今リサーチされているんですけど……
重松
はい。
平沼
昔は、じゅんぞうさんていうと吉村さんていうね、
重松
はい、吉村順三さん。
平沼
っていう人がね、作られていた住宅があるじゃないですか。
重松
坂倉…
平沼
はい、坂倉準三さんと。そのときの住宅って、建築家がほぼ完成させていて、どちらかというとユーザーというか住まい手側がカスタマイズできないくらい、使い方や家具の配置とかもピシッとしていて。
重松
あ、はい。
平沼
今はそんな時代じゃないじゃないですか。
重松
ええ。
平沼
でも今後はどっちにいくかわからないし。
重松
そうですね。
平沼
重松さんが作っておられる住宅は、どれぐらいの、その~なんですかね、パワーのかけかたというのかなぁ~、住まい手の……
重松
僕が最近竣工させたマニラの住宅ですが、すごいお金持ちの方で……もう完全にガチガチに決められて、空間も非常に複雑ですし、あまりフレキシビリティはないですけど、そういう実験的なものをやってくれるような雰囲気をつくるというか。例えばLAでも今まで住宅のムーブメントっていくつかありましたよね。そういう時ってバウハウスもそうですけど、建築だけじゃなく、いろんな領域の人が同時にやったじゃないですか。だから建築だけじゃたぶん変わっていかないので、いろんな業界の人と接点を持つことによって相乗的に…。今の日本の住宅ってなんとなく住んで高い金払ってるけど、全然ダメだよねっていうのを共有して変えていく……。
立野
そういうのをやらないとですよねぇ。
重松
でそういうときに実験的な試みがどんどん生まれてきて、それでデザイン自体も意味を持っていくというか、そういう流れが一番理想的だと思います。
立野
なるほど。そうねぇ。やっぱり、ゆとりと遊びみたいなものがないと新しいものが出てこないでしょうね。予算ばっかりに執着すると、そこにはいいものが出てこない。
重松
でもその予算がなくてもケーススタディハウスなんかは安価でも実験的なものをやりたいって社会的な欲求みたいなのがあったと思うんですけどね。だから、日本は今から少子化で土地も余ってきて、建て替えもできないとか、そうなってきたときに、じゃあ、どういう可能性があるかとか、大きな話の中に、もっと非常に美しいディティールとかがあると思うんですけどね。ディティールとかって、アーツアンドクラフトも、田園都市思想とかもそうですが、そういうおっきな思想の中に必ずあったわけじゃないですか。モダニズムもその機械的な……。だから今回もそういう中から生まれてくる新しいデザインっていうのは僕は興味あります。先程おっしゃっていた、例えば金属がなくなった次はなんなんだろうって。このあいだ僕はMITのメディアラボの所長をやってる伊藤穰一さんとかと同じカンファレンスに出たんですけど、伊藤さんが常に今言っているのはもうバイオロジー(生物学)と医学がクリエイティブインダストリーになっているんですってね。なので、そうなるとこう~進化の比例カーブがものすごく上がるんですね。例えばこんな電話(iphone)が二十年でこういうことになって。で、海外ではナノテクノロジーとかバイオロジーで非常に素材自体が変わってくるし、これから例えば…、金属じゃない生物学的な何かがドアハンドルの代わりをするといった、そういうものが出てくる可能性もありますよね、分かんないですが。
立野
まぁ、そういうのでてきたら、たぶんドアもなくなると思うんですけどねぇ。
重松
そうですねぇ。
立野
(笑)。
重松
ドアとドアハンドルが分かれてるっていう概念自体もやっぱり変わるっていう。
立野
(笑)。そうねぇ、変わっていくでしょうねぇ。
平沼
もうちょっと深く、それを…。僕も今ちょっと興味があるので。ドアという建築のシールド…、一つの開閉できるシールドじゃないですか。これってどんどん変わっていくんですかね、やっぱり。
重松
いや、まあ、変わらないものと変わっていくものがあると思うんです。家とかは根本的なレベルではたぶん変わっていかないと思いますけど、例えば車とか電車なんかはどんどん進化していて、特に車は今からどんどん進化していくと思うんですよ、車のドアって今は鍵を使わずこうねっ、できるじゃないですか。
立野
そうですねぇ。
重松
ああいう風に変わっていくとは思いますけどねぇ。でも家とか…、もっと非常に根本的なレベルではまだ変わらないと。
立野
そんなに急激には変わらないと思うんですけど、将来的にはたぶんあってもなくてもいい、って感じで、たぶんドアはなくなると思います。もうあと何十年かしたら。
重松
いや~、どうですかねぇ。そこまでいきますか?。
一同
(笑)。
平沼
石上さん(石上純也)とか藤本さん(藤本壮介)も、プランを見てると、どんどんどんどん柱で区切っていったり、KAIT工房 のように、どんどんどんどん扉がなくなっていくとユニオンさんは心配されている……。
一同
(笑)。
立野
しかし(笑)、我々生きている間は、そんなことはないけど。まあ、将来ですよね。僕は一時期、正直、自動ドアをやろうと思ったの。今よりももっとスピードを察知してすっと開くやつができれば、と。
重松
なるほど。
立野
それはまだ未だにできないですよね。
重松
そうですね。
立野
自動ドアは開くまでに、ある程度待たないといかん。それは日本人には合わないと。まだハンドルがなぜ付いてるかって、ハンドルがすべてに合わせて開けられるからです。あれが自動でバーンって開きだしたらね、たぶんハンドルはもっと主役から外れていく。やっぱり日本人って結構せっかちですからね。
重松
そうですね。
立野
自分が入ってくるスピードでは開かないんですよ。今のは、まだ。
重松
ええ。
立野
立ち止まって待たないといけない。少し。
重松
そうですね。
立野
それが入ってくるスピードに合わせて開きだしたら、たぶん我々のハンドルってもっと排除されていって…、まあ、上の階では付くかもしれないですけどね。
重松
う~ん。
立野
その辺はいつも懸念はしてるんですけどね。
重松
ドアってあの~、デッドスペースをどうしてもつくってしまうじゃないですか、非常に単純なレベルで言うと。
立野
そうですねぇ。
重松
そういうところが意外と進化していないというか、引戸もデッドスペースがないようで、引くスペースが必要ですし。デッドスペースをつくらないドアとか、そういう考え方とかありますし。あとは開いてるときと開いてないときの差をどう軽減していくか、今の話のように、開いてる状態を好む設計者がいるのであれば、閉じたいときもあるわけだから、その開いてるときと開いてないときの差っていうのをどう設計、デザインしていくのだろうかとか、そういう。あと、ドア自体に機能を持たせるとか。よく僕ドアにコートをかけたり、鏡かけたりするんです。ドアっていろんな可能性があると思うんですよ。ドア自体が機能を持つ。ってその……ジェームス・ボンドじゃないですけど(笑)、シークレットドアになってるとか、デッドスペースが必要ってわかっているんだったらそこに機能を持たせていくとか、そういう可能性も……。
立野
ありそうですねぇ。特に日本の建築家だったらそういうスペースは。外人は使わないものはそんなに評価しないですけどねぇ。
重松
そうですねぇ。そういうのを開発、……考えてる会社ってあるんですかね?ドア会社と共同というかそういう…
立野
結構ね、離れているんですよ。
重松
そうなんですか。
立野
我々はハンドルを、毎年新しいデザインのものを出しているんですけど、ドアはドアでやっていますからね。その辺は共同でっていうのはないですねぇ。共同ということでいうと、錠前のメーカーと一緒にやるとかそういうのはありますけどねぇ。錠前メーカーもたぶんものすごい危機感はあると思うんです。
重松
う~ん。僕が一番公共建築をやってて嫌なのは、公共建築じゃなくてもあれなんですけど、避難用の扉とかって、やっぱりドアハンドルだけじゃなくノックアウトのでっかいバーとか付けなきゃいけないじゃないですか。やっぱりああいう建築の部材とかシステムって皆建築家が美しいと思っているものは絶対的にあるんですけど、法律とかですかね、こう理想は絶対そうじゃないっていう…
立野
(笑)。
重松
いつまでこのいたちごっこが続くんだって思いません?やってて。じゃなんで建築家が好むような、ディティールというかシステムを建築家自身が開発するか、そういうドア会社とか行政と話して実現できないのかなって時々思いますけど。
立野
ただ日本はそこまでの行政の力がないですから、自由にできるんですよ。非常扉とか。
重松
あ。そうですか(驚)。
立野
はい。問題なしに。
重松
はぁ、さすが。
立野
(笑)。
重松
いえいえ、もちろん僕はその、そういうものを付けなきゃいけないっていう意図が悪いといってるわけではないんですが、必ず建築家って嫌がるんですよ。僕もなんでこんなの付けないといけないのって思うんですけど、必ず付けなきゃいけないって。でもなんの努力もしてないんですよ。自分が。その状況を変えようと。
立野
う~ん。
重松
だから、そういう……
立野
海外はね、ときどき我々のレバーハンドルにさせてもらうとかですね、そういうのは結構あるんですけどね。アメリカでは絶対に、ヨーロッパもそうでしょうし、東南アジアでも最近結構ね、パニックハンドルっていうんですかね、必ず付いてますよね。
重松
そうですねぇ。付いてますよね。あと風除室も必ず二つ付けて、風通りも嫌だし、こうリボルビングも嫌。やっぱり時間があればちゃんと何か新しいシステムを考えたり、デザインしていいのになって思うものがたくさんありますよ。
立野
まっ、そのへんはまたゆっくりお聞きしながら。
重松
サローネに出されるってことじゃないですけど、我々もこの前ベニスで、レムコールハース監修で、『エレメンツ・オブ・アーキテクチャー』っていう、各建築のエレメントの一個一個、進化を見ていこうっていう展覧会をやったんですね。例えば壁のシステム、天井のシステム、床のシステム…トイレもありましたが、ドアハンドルっていうのは残念ながらなかったんですが、
立野
あぁ、そうですか。
重松
そう見ていくといろんなエレメントが、進化していないとこと進化しているとこって非常に明確に現れてきていて、そういうのを総括的に見て、未来の住宅とか未来の住環境とかってどうなるんだろうかっていうのを問いかけるっていう見せ方もあると思うんです。ドアハンドルだけではなく。
立野
うん。
重松
あとはその~原研哉さんとかがやってた、あれ何でしたっけ、住宅の……。
平沼
HOUSE VISION!
重松
そうHOUSE VISION!ああいう、なんていうんですかね、産業とデザインの関係みたいな、見せ方もあると思うんです。
平沼
そのレムがやってたやつがすんごいよくて、見させてもらったんですけど。ああ、そういうことだったんだ!っていう(笑)。
立野
たしかに。いいでしょうねぇ。しかし、ハンドルって変わってないですね。正直。デザインが、あるいは材質が変わったってだけでね、基本的には機能的には開け閉めするだけでしょ!?それを自動でやったらこう開くとかね、そういう意味では変わっていますけど。基本的にはあんまり変わってないもんねぇ。
重松
自動ってやっぱり考え方があって、昔の考え方っていうか。結局自動扉にしても、避難用は手動で開けるようにしなきゃいけないとかっていう。裏の構造では信頼度は未だに高いですから、あんまり自動とかに頼りきるっていうのはねぇ、どこまで進んでも…フィジカルなものってなくならないでしょうね。
立野
そうですね。
(一同席を立って衝立の前へ)
立野
私の家が生駒にあって、数寄屋造りなんですよ。
重松
そうなんですね。
立野
これね、大工さんが一刀彫にしてるんですよ。
重松
へぇぇ。これはドアですか??
立野
衝立なんですよ。
重松
。。。衝立。
立野
乾燥してるからね、反ってますけどね。
(開く)
重松
おぉ!すごい!!!!
立野
大工さんがね、彫ったんですよ。これ、2箇所は金で。
重松
へぇ~。実際もうこの彫る技術はなくなっているんですか。
立野
それだけの技術のある職人はもういないですね。
重松
……あの廊下にあった鋳型みたいなのも!?
立野
あれはキャストです。鋳物です。でも鋳物はゴムで型を作ってる。…面白いでしょ!?
(一同席に戻る)
立野
先程のお話にあったような、木型を作る職人さんとかもだんだんいらっしゃらなくなっていて、鋳物ってアルミにしろ真鍮にしろ、木型が要るんですけど、それを掘る人がいないんで、今の若い人が三次元のデータをつくって、樹脂でプリントアウトしてそれを木型の変わりにするということを、うちで去年から実験的にやってまして。今までの伝統工芸的な鋳物の技術と3Dプリンティングを合わせて、10個とかそういうすごく少ないレベルのオーダー品ができるようになります。それを今度、ネットでオリジナルなものをつくるっていう試みをしてるんですけど。
重松
なるほど。それはすごいいいと思いますよ。3Dプリンターでできることは、少し前にも言ったんですけど、複雑なものと複雑でないもの、あるいはマスプロデュースできるものとマスプロデュースできないものという境目をどんどんなくしていくことなので、汎用というか、複雑なものを一般的に考えられるっていうシステムを作られているのはいいと思います。そのぶん、どういうデザインなんだっていうところが気になりますね。3Dプリンターを使っているから何でもできてしまうだけに、敢えて複雑にするのか、それともシンプルにするのかっていう。コンピューターでデザインしていくと何でもできちゃうんで、どういうデザインがそこでできていって、それが本当に果たして人間の手に気持ちいいものなのかっていうのが、やっぱり。
立野
そういった意味で、建物にマッチするかですよね。余計難しくなるんじゃないかって思うんです。なんでそれがいいかっていうのを建物とマッチさせようとすると。
重松
でもいいですね!僕も自分の建物がもしドアハンドルをカスタムで作れて、それが例えば普通のシェルフのスタンダードなものと大してコストの差がないってことであれば、全然使っていくと思うんですけどね。カスタムとカスタムじゃないものの差をどう埋めていくかっていうことですね。3Dプリンターって。
立野
それで、モデルを3Dプリンターで作って、これまでの伝統的な鋳物の技術と合わせることによって、値段的に安定した形で実現できるかなって。それが一つの方法だろうと。建築の人にね、喜びを与えられるかじゃないですか!?今までそういうものを作ろうとしても価格的にものすごく高いというイメージがあるから。
重松
それはいいですね。是非ドア業界とのコラボレーションして欲しいですね。いくら御社のドアハンドルがかっこよくて重厚で新しくても、ドア自体がスカスカだったり、規格通りのものしか使えなかったら効果が薄れると思うんですよね。だから、結構今日本のドアってどんどん安くなっているというか…。
立野
(笑)。やっぱりそうですもんね。
重松
(笑)。ですね。そういうのも含めて、御社のやっていることが、色んな部位に、エレメントに波及していけばいいんですけどねぇ。
立野
そうですねぇ。
平沼
実際ありますもんね、ハンターダグラスさんとか、サイレントグリスさんとか、領域を越えて製品を生み出されているメーカーさんが。そういうところと一緒に何か違うものを生み出すことができたらいいですよね。
立野
ニューヨークもまた行かせていただきたいです、是非。
重松
ああ、是非是非!同じ建物なんですよ。
一同
(笑) 。
立野
あそこにね、結構建築の方がたくさん入っておられるんですよ。9階に展示スペースもありますから。
重松
そうですか。
立野
もしよかったら見に。(笑)。
重松
すぐに!帰ったら、すぐに!こっちは13階です。
立野
(笑)。是非是非。
立野
あと、ユニオン造形文化財団ってやってます。建築家の人にテーマを出してもらって、日本の学生かあるいは就職している人でもいいんですけど、
重松
はい。
立野
テーマを決めて応募してもらって、大体いつも300点くらい集まって、そのなかからデザイン賞を決めるという。
重松
あ~そうなんですか。
立野
はい。それと、海外に留学される方向けに…。
平沼
研究助成をいただけるというのがあって、実は私もいただいたことがあって(笑)。
重松
そうですかぁ。なるほど。
平沼
(笑)。
立野
それがもう22年になるかな。受賞者の方は結構今活躍されていまして、海外にもおられる方もいますし、そういう意味ではこれからも是非続けていきたいなあと。
重松
へえ。
立野
僕はそれをできたら海外のどこかの大学と一緒に何かできないかなって。重松さんは今、先生の仕事をされていますよね?
重松
そうですね。
立野
そういうところと一緒にですね、やって…。本来はそこで我々の製品の金物とか、そういうものをテーマとして考えてもらうことができれば一番ありがたいなって思うんですけど。
重松
そうですね。未来の住宅とか、そういうものを考えるっていう環境はね、昔は結構あったと思うんですけど、公共財団とか、シンクタンクとか、そういうR&Dにお金が回っていたと思うんですけど、最近そうでもないんですかね。企業とかも。
平沼
デザインコンペも20年くらいやられていて、錚々たる建築家たちが連なっているんですけども、その提案が、そのまま提案で終わってしまってるってことがちょっと……
立野
そうねぇ。
平沼
で、それを活かすような形で、大学の中でね、何か発信するというか。
立野
国際交流とか。
重松
そうですか。
平沼
そういうことを、要は受け入れてくれる先を、昨年ぐらいからお話…、できたら海外の方がいいですかね?
立野
そうですね。一応国内では結構名前が売れてるんです。海外にどうブランディングしていくかっていう一つのきっかけ、そういうのがあれば、海外でも売れていくんかな~って気がしてるんですけどねぇ。
平沼
なんかまた相談に乗って……
重松
はい。ロードアイランド・スクール・オブ・デザインって結構有名なデザイン学校が東海岸にありまして、ついこないだまでジョン前田さんていう日系二世の方が学長だったんですけど。
立野
へぇ。
重松
ブラウン大学って言う有名なアイビーリーグの大学の隣にあって、東海岸のデザイン学校の中でも唯一ジュエリーデザインとか、陶器とかってたくさんやっているんですよ。
立野
へぇ。
重松
実技はアメリカでも非常に有名ですし。
立野
そうですかぁ。
重松
クラフトに非常に強い学校なんですよ。日本人も結構たくさん出てて……
立野
そうなんですかぁ。
重松
はい。
立野
そういうところと、一緒にえいや!って、
重松
はい。是非、次回その。
立野
是非。
重松
でもやっぱりアメリカでいいのかって話もありますよね。
立野
(笑)。
重松
ヨーロッパの方がデザインは強いですけど、そういう奨学金的な感じで、大学でやるってなると、やっぱりアメリカの方がやりやすいのかもしれないなって。
立野
まあ一回順番にね、まずはアメリカ、次はヨーロッパとか、順番にいってみたいと思いますけどね。
重松
なるほど。じゃ、是非。
立野
はい。
(終了のお知らせ)
一同
ありがとうございました。
企画:宮本 尚幸、桑野 敬伍
撮影:宮西 範直
取材・文:桑野 敬伍