立野純三(たての・じゅんぞう)
株式会社ユニオン代表取締役社長
1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。
吉村靖孝(よしむら・やすたか)
建築家
1972年生まれ。1995年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1997年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。2005年(株)吉村靖孝建築設計事務所設立。
早稲田大学、明治大学、早稲田大学芸術学校、東京理科大学、関東学院大学等で非常勤講師を歴任。
多くの受賞歴を持ち、建築市場の開拓・マーケット拡大に向け、積極的な活動が注目されている。
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立野
先生が建築業界を目指したきっかけや、ルーツはどこにあるのでしょう?
吉村
父親がトヨタ自動車のエンジニアをしていたので、その辺りが今の職に就いたきっかけなのかもしれませんね。
立野
なるほど。もっと幼少のころはどういう過ごし方をされていたのですか?
吉村
子どもの頃はインダストリアルデザイン、簡単に言うと車のデザインが好きだったんです。量産されるものにすごく憧れがあって。恐らく多くの方は山や川、のどかな景色が原風景だと思うのですが、僕の場合は巨大な駐車場で(笑)。
立野
(笑)。
吉村
幼少を思い出すと同じような車がズラッと並んでいる駐車場が浮かんできます。その頃からいずれは車のデザインをしてみたいと思っていたんです。そこから時が経ち、車のデザイナーの経歴を調べると建築学科出身の方が何名かいて「建築学科に行けば車のデザインができる」と思い、建築学科を目指し始めましたね。
立野
そこからその目標を達成し建築学科に入られたと。そしてそのまま建築について勉強されるとなると、車のデザインとは少し違ったデザインをされていたのではないですか?
吉村
そうですね。最近やっと車のデザインに近づいてきている実感があります。今私が早稲田大学で担当しているのは〈MEメジャー〉という機械学科と建築学科が相乗りして作った新しい講座です。そこで講義を開いていて自動運転車とかドローンなど、そういうものが実装されたときに都市や建築がどのように変わるのか。そういったことを研究しています。このように少しずつ車に近づいているんです。
立野
なるほど、興味深いですね。どのように街が変わるのか楽しみです。先生がそのようなことを学生さんに教えておられるように、若い方の人材育成にも取り組まれているのですね。
吉村
そうですね。去年着任して今年で2年目ですので、まだまだ手探りですがね。吉村研究室にいる学生は今のところ建築学科の学生ばかりです。恐らく来年、もしくは再来年から機械学科の学生も混ざってくると思います。
立野
今、建築学科を志望される若い方というのは多いのでしょうか?
吉村
比較的多いと思いますよ。東京の大学は定員を増やすことができないので一定数の志望者はいますね。
立野
私たちは財団法人ユニオン造形文化財団を立ち上げて26年ほどになるのですが、その中で学生さんを育てるような活動をしてきました。今の学生さんって極端な話、海外に出ていかないと生計を立てていくことができないと思っておられる。そういった傾向を先生は感じておられますか?
吉村
今の世の中は、就職しやすい流れにありますから、逆に今の学生さんは日本国内で早く就職しようとする傾向にあるように感じますね。日本の社会は「学歴社会」ではなくて「学校歴社会」なんて言われています。学校のネームバリュー欲しさに受験をして、入学出来たら一旦努力は終わり。そんな性格を持っているんです。
立野
「学校歴社会」かぁ(笑)。確かにそうですね。
吉村
来年から資格制度も変わって、大学院生が1級建築士の試験が受けられるようになるので、より一層内向き化が進んでいくのではないかという懸念はあります。ただ、私の研究室にいる学生は向上心を持って一生懸命研究に取り組んでいますよ。
立野
先生のもとで学ぶことに誇りを持っておられるのでしょうね。ところで、先生はオランダに行っていた経験をお持ちですよね。その経験が大きく先生のキャリアに影響しているのではないですか?
吉村
私にとってオランダに行った経験は大きな財産ですね。もちろんオランダで学んだことも多くあるのですが、日本と大して変わりがないのだと気づけたことがもしかしたら一番の収穫だったのかもしれません。
立野
というと?
吉村
当時、海外って本当に遠い存在だと思っていました。宇宙人みたいな建築家たちが訳の分からない建造物を建てているというような印象で(笑)。日本にいるときはそういう風に見えていたのですが、実際に海外へ行くと普通の人間が、日本の建築と同じようなプロセスを踏んで建物を建てていたので、拍子抜けしたというか。この事実を知ることができたのは良かったと思いますね。
立野
長い目で人生を見たときに、若い方は海外で活動する経験を持っておいた方がよいと思ったりするのですが。
吉村
同感です。私の研究室にいる学生には海外へ行くことをすすめています。
立野
先生は2年間オランダにおられたということで建築について多くのことを学ばれたかと思います。建築に関する知識ももちろんですが、語学力を得ることも重要ですよね。これからの時代、建築家は英語が話せることがスタンダードになるような気がするんです。
吉村
早稲田大学は創立150周年までに英語の授業率を半分の50%にするというビジョンを掲げています。日本人でも英語で授業を展開していくという。
立野
先生の研究室にも留学生がいらっしゃいますもんね?
吉村
はい。私の建築事務所へインターンシップで来ている方もほとんど外国籍の方ですね。
立野
なるほど。それによって、まわりにいる学生さんは刺激を受けることができているでしょうね。
立野
先生の作品を書籍で拝見することがあります。
吉村
ありがとうございます。
立野
先生が手掛けられた多くの作品の中でも、特に興味深かったのはエクスコンテナ。あの発想はどこから得たのでしょうか?
吉村
冒頭に申し上げた量産に対する憧れがエクスコンテナに反映されているのかと思います。建築物は一つの敷地に一つしか建たないという考えのもと、建築家は一品生産をしていくわけですよね。もちろんそれは、そういった教育を受けてきたということもあるかと思いますが、建築以外に目を向けるとそこまで一品生産の物ってなかなかありません。完全なる一品生産と大量生産のちょうど中間にあたるようなものができないかと長らく考えていて、それが実現したのがエクスコンテナです。最近、またコンテナの仕事を増やしていこうかなと考えています。
立野
なるほど。特に最近は自然災害が多くて復興には最適なものだと感じました。
吉村
震災の後も復興に携わる活動をしたのですが、なかなか周知させることが難しくて。最近になってだんだんと進め方が分かってきたので、今後起こりうる自然災害に備えて、コンテナのプロジェクトは進めていきたいなと考えています。
立野
復興において、先生が手掛けられているエクスコンテナは仮設住宅の役割を果たしているかと思いますが、復興以降も永住に使用するっていうことがあっていいと思うんですよ。仮っていうのはもったいないような気がして。
吉村
私もそのつもりで進めているのですが国の制度としてなかなか実現は難しいようですね。国のお金で建てたものを個人の資産にするということですから。本来はそういった制度から変えていかなければならないのでしょうね。最近は災害も多いですし防災に対する姿勢から変えていかなければならないと感じますね。
立野
新聞の記事で読んだのですが、多摩川が氾濫してしまったとき、堤防をつくることに対して住民が反対したと。もう昨今の災害を見ていると毎年大きな被害が出ているわけですから、自分も被害者になるという前提でこれから歩んでいかないといけない時代に入ってきていますよね。
吉村
建築において壁をつくることは、異なるものを隔てる一番簡単な手段ですよね。でも、その空間の距離を置けば実は壁がいらなかったりします。土木も同じ考えをもって少し余裕を持って住宅を建てることができれば良いのですが…。昔だったら川の近くには田んぼがあって、それがバッファーゾーンの役割を果たしていたと思うのです。今はやはり、広い範囲で住みすぎているのかもしれません。激しい天候を災害にしてしまうのはそういった人間側の問題であると思いますね。
立野
なるほど。湿度の高い日本で木造建築が主流であることも関係あるかもしれませんね。もちろん否定ではなく日本の文化として好きですが。
吉村
私ももちろん日本家屋は好きですよ。自分でつくる機会はあまりないですが、宿泊したりするとやっぱりいいなと感じますし(笑)。
立野
私は今マンションに住んでいるのですが、洋式の生活ってなんだか味気ない気がするんですよ。やはり畳の上で横になりたくなります。
吉村
わかります。ただ、私が関わる建築では、畳のある空間を手掛けることがあまりないんですよね…。畳は人間の気持ちを安らかにする効果もありますが、やはり畳の生産のプロセス、イグサを育てる地域のネットワークを含めて産業だったと思うのですが、今はなかなか成立しにくくなっているようです。なので、自然と消えていってしまうものなのかもしれません。畳を持って引っ越しをするようなことがあってもいいと思うのですが(笑)。私は、日本家屋やモジュール建築が好きで。コンテナもある種のモジュールだと思いますけど、木造家屋って実はほとんどがモジュール建築なんです。材料の使いまわしもできますしね。そういったつくられ方に対する憧れがあることは、先ほども申し上げた量産とかモジュールが好きなところに関係しているとは思うんですけどね。
立野
なるほど。私が以前住んでいた家は数寄屋造りだったんです。
吉村
へぇ、そうだったんですか!
立野
平田雅也さんという宮大工の方が建てた住宅で。
吉村
大阪ですか?
立野
そうです。大阪です。有名なところでいうと吉兆とかそういった数寄屋造りの建物も手掛けておられましたね。生活している間の環境は良かったのですが、数寄屋造りの家は誰も住んでいなかったらガタガタになるらしいですよ。年を取ったらセキュリティがしっかりしているマンションの方が楽に感じます(笑)。
吉村
(笑)。今は環境問題もささやかれていて木造家屋はより一層住みにくいものになっていますよね。断熱なんか言われてしまうと、昔の木造家屋は壁が薄いですから、夏は暑くて冬は寒いですし。
立野
その分趣がありますし、日本が培ってきた大切な文化ですから、無くなってしまうのは惜しいですがね…。
立野
最近の若い方たちは住宅購入に対して意欲的なのでしょうか。
吉村
住む家に対する意識が変わったように感じます。最近では、アドレスホッパーと言って、住所を持たず転々とホテル暮らしをしている方もいるみたいです。あと、先日取材のため渋谷へ行ったのですが部屋の鍵を閉めず、50人で共同生活を送っている人もいるようなんですよ。きっと、核家族というものが成立しなくなってきているのでそれに代わる共同体みたいなものが求められているのだと感じます。住所を持たず転々とするのも、50人で暮らすっていうのも根本は同じ。4人家族という従来の家族像が成立しにくくなっているのでしょうね。
立野
ほう。そういう方が増えてきているのですね。昔とはずいぶん違いますね。
吉村
昔はヒッピーたちの生活に憧れて、あえてその日暮らしをしていた人もいましたが今はそうではなくて、村八分みたいなしがらみもなく気軽に入ったり抜けたりできる集団生活が成り立っているようです。
立野
それは新たな形かもしれませんね。
吉村
集団生活の場合、誰かが失業すれば仲間でお金を集めて渡してあげたりするようですよ。
立野
そこまでするのですか(笑)。あとは、1年だけ住居を契約するような短期賃貸っていうのも増えてきているようですね。
吉村
そうみたいですね。建築って買い方が凄く硬直していて、みんな35年ローンを組んだりしますよね。そうすると仕事はやめられないし、子どもは二人が限界とか、ローンの制約で自動的に人生が設計されてしまうようなところがあって。それはハウスメーカーで家を建てても、建築家を雇って家を建ててもローンを組んでしまった瞬間に今後の生活像が35年くらい決まってしまう気がしてしまい建築家として重荷に感じていました。そうじゃない家の入手方法はないかなって考えたときに、家を所有しなくても色んなところを転々としたりするっていうのは新しい建築との関わり方だと思いますね。凝り固まった当たり前について真剣に考えていかないと状況は変わらないのかなって思いますね。
立野
確かに私の会社の社員でも何年もローンを組んで家を購入している方は多いですね。ただ、払い終わったときには定年を迎えている。それと共に自分の中でどんどん価値が下がっていってしまう。その辺りはなんとかすべきだと思います。
吉村
人生100年と言われている今、定年後も新たな人生が始まるわけですからね。自分が消費者として家を変えたり、住居を転々とするのはいいことだとは思うのですが、一方で買った家が稼いでくれるというか、短期間又貸しするような形。今はAirbnbがありますけどそういう風に人に部屋を貸しながら住むことで、家が勝手に稼いでくれるようなことも今後は取り入れていっても面白いかもしれません。
立野
一方で既存の住宅も問題は沢山ありますよね。例えば東京のマンションは半分外国籍の方が住んでいたり、老朽化したマンションの修理が進まない、もはや建て替えの時期に差し掛かっているようなものも多く存在すると。何かこう、簡単に建て替えられるようなアイデアとかって先生はお持ちではありませんか?
吉村
う~ん…(笑)。簡単に建て替えられるようなアイデアがあれば面白いのですが。
立野
武蔵小杉のタワーマンションが浸水してしまったこともありましたし、今後しっかりと向き合うべきテーマですよね。
吉村
そうですね。地面がインフラや人間の動線の供給源ですから、地面に問題があればもろに影響が出ますからね。例えばドローンが普及したら、直接上の階までモノや人を運んだりできるようになります。昔エレベーターができたときに、地上階と高層階の価値が逆転したこともありましたから、ドローンが社会実装されるとまた新たな動きがあると思いますね。インフラの問題が地上付近に集中してしまう問題も解決できるかもしれません。
立野
2025年に開催される大阪万博が建築業界に一つの転機を与えてくれるような気がするんですよ。先ほど先生がおっしゃられたようなことが一気に現実味を帯びるのではないかと。かつて黒川さん(黒川紀章氏)が提案されたような革新的なアイデアが実現されるのではないかなと思うのです。前回の大阪万博でパビリオンを手掛けられた先生方はまだまだ若手の建築家だった。そして今では後世に語り継がれるような偉大な先生になられている。だから今回も新たな才能が発掘されることを願います。
吉村
同感です。
立野
未来的なものができれば良いのですが、少し万博のテーマが地味なので建築物の外観には大きなコストをかけない可能性もありますがね。ドローンやロボットなど、モノは新たなものがたくさん発表されるかとは思いますが。
吉村
私は建物に巨額の投資をしなくてもいいと思っているのですが、次のオリンピックでなぜナイターをしないのでしょうか。マラソンが北海道で開催されると言われていますが、前から「夜中に開催すればいいじゃん」って思っていて(笑)。例えば東南アジアの熱い国なんてどこもナイトマーケットを開いていますし、夜の気温が下がるタイミングで催しを開いていますよね。なので、オリンピックが夏の開催であればいろんなことを実験的に実施すればいいと思うんですよ。私はこれを「夜行都市」って呼んでいるんですが、夜に行動するような都市のモデルを示せたら面白いのではないかと思ったりしますね。
立野
関西国際空港ができたときに24時間稼働していましたが、今はもうそれができなくなってしまいました。 騒音など様々な問題が出てくるのも事実ですが、実験的に行うことは大切ですよね。それにしても夏のマラソンは過酷でしょうね。
吉村
東京の夏なんて昼間は外に出られないほど暑いですからね(笑)。オリンピックに関しては夜の時間をうまく使えたらいいのではないかと思いますね。
立野
先生は仕事を受けて設計に取り掛かるときはクライアントから全体を任されることが多いのですか?それとも、ある程度要望を聞いてから設計していく?
吉村
私はクライアントと頻繁にやり取りをしながらつくっていきますね。条件をいただいた方がつくりやすさはあります。
立野
おまかせは苦手?
吉村
苦手なんですよ。
立野
クライアントと一緒につくっていくのが先生の性に合っていると。
吉村
そうなんです。話し合ってつくっていく方が途中でいいアイデアが出たりするんですよね。厳しい条件があるからこそいいものができたりして。コンテナをやろうと思ったときも国内で製造していたらコストが合わないし、海外で製造しようという流れになりました。
立野
厳しい条件があったからこそあの形になったのですね。
吉村
はい。少し前に千葉で幼稚園をつくったのですが、一番安く作れるテント倉庫を転用したんです。普通だったら屋外につくってしまうところを一旦テント倉庫で囲い、半屋外の環境にして、雨が降っても外のような空間で遊ぶことができる空間をつくって、中に小さな木造の建物を建てたんです。これもなかなか条件が厳しくて。
立野
ほう。
吉村
普通に幼稚園を立てるときに掛かる予算の半額くらいの金額を提示されて。初めはリノベーションでもいいということだったのですが、途中でリノベーションはできないということが分かってそこから新築にシフトチェンジしたんです。なんせ予算が低いのでできることが限られます。だからテント倉庫というアイデアに至ったわけです。一坪15万円くらいで大きな空間がつくれるのはテント倉庫ならではです。
立野
先生でないと発想できないアイデアですね。そういえば、先生が手掛けられた中川政七商店旧社屋も面白い建物ですよね。
吉村
ありがとうございます。中川政七商店さんは奈良で伝統工芸をされているということでなかなか斬新な建物が出来上がりました。すごく合理的に中川社長は考えておられていて。伝統工芸の会社なのでブランディングも綿密にされており、今では東京でも購入できるようで、どんどん有名になってきているみたいです。
立野
中川さんはどんなものをつくっておられるんですか?
吉村
麻を使った布巾から始まり、小物やお茶道具などをつくっておられますね。
立野
ほう。先生はどういった経緯でその仕事をお受けしたのですか?
吉村
グラフィックデザイナーの友人が中川政七商店さんのブランディングをしていて、そこのつながりでお仕事をいただきました。
立野
なるほど。先生は今まで様々な賞を受賞しておられますが、そういったことをきっかけにステップアップしてきたという印象ですか?
吉村
建築のプライズをいただくことはもちろん嬉しいのですが、やはり受賞したことをクライアントに喜んでいただけることが嬉しくて。なので、クライアントのためにそういった賞に出品しているのだと思います。自分自身はそれをきっかけに新しい仕事をいただけたっていう実感はそこまでないんですよ。
立野
しかし、様々な賞を受賞されているということは素晴らしいことですよね。私も先生が手掛ける建築のデザインは素晴らしいものだと思います。いつか先生の建築物に私たちのドアハンドルを使っていただけると嬉しいですね。
吉村
それは、ぜひ!
立野
先生も海外で活躍されていますが、私たちも海外に通用するようなプロダクトを展開していかねばと思います。やはり国によって嗜好が違いますから、海外に向けたデザインや材質も検討していかないと。日本で売れているものを海外に持っていくだけではダメなので。
吉村
プロダクトの生産は国内で?
立野
90%以上は日本国内での製造です。海外で製造したものを海外で販売するというのも良いかもしれません。
吉村
プロダクトを拝見させていただきましたがかなり種類がありますよね。見ごたえがあります。
立野
ありがとうございます。
吉村
ただ厄介なのが、建築家ってスタンダードなものは使いたいけど、変わったものは使いたくないっていう、あまのじゃくな一面がありますよね(笑)。かっこよすぎるものは使いたくないっていうか。
立野
ありますね(笑)。オーソドックスなものが好まれますね。建築家の先生方はスタンダードなものを使いながらも建物全体に個性を出されるので、私たちもスタンダードなものにはこだわっています。私たちのドアハンドルを使っていただいて建築物の価値が少しでも高まるのであればありがたいことです。まぁ、変わったものとスタンダードなものの境目が難しいところではありますがね。
吉村
椅子なんかももそうですよね。デザインの違う椅子を並べたりすることもありますが、建物が完成して、いざ椅子を置こうとなるとスタンダードなものが置きたくなったり(笑)。
立野
(笑)。椅子はインテリアに欠かせないプロダクトですが、ドアハンドルは建築の一部になるもの。人の力に依存しているが故に使いやすさも重要です。
吉村
そうですよね。高齢の方や手に障害を持っている方でも開きやすいものとか、そういった機能面もこれからは大切になってきますよね。
立野
そうなんですよ。さらにそこで健康維持ができたらいいなと思っているんですよ。ちょっとしたトレーニングになるような。
吉村
と言いますと、例えばあえて開けにくいドアハンドル…とかですか?(笑)。
立野
そうそう(笑)。ちょっとそんなことも考えています。
吉村
面白いですね。
立野
筋力アップまではいかないけど健康を維持することができる。ユニバーサルデザインが本当にその利用者のためになっているのだろうか。そんなことを考えたりして、家にも少し刺激があってもいいんじゃないかと。
吉村
普段から負荷に慣れておくっていうことですね。
立野
そうです。今はもう全部バリアフリーじゃないですか。体がなまってしまうのではないかと少し心配ですよ。
吉村
たまたまこの前、認知症の方向けのマンションを見学させていただいたのですが、色々セオリーがあるみたいでした。例えばトイレでいうと、壁が白くて、電気が赤かったりすると粗相する人が減るとか、手すりは壁とのコントラストがはっきりしているものを設置していたり。認知症の方でもわかるようなデザインやカラースキームがあるようで、それを利用した住居だったのですが、まさに今はなされていた話と通じるところがあるなと。
立野
新たな取り組みが今、活発に行われているのですね。
立野
新たな取り組みを含め、若い方たちがどんどん参加できるような機会があればいいのですが、そもそもなぜ今と昔で若手建築家の方が持っていた実作のチャンスに格差が生まれたのでしょうか?
吉村
戦後GHQが日本にシャウプ勧告を発令しました。これは所得税を上げてなるべく富が再分配されるよう小分けにする、いわば持ち家政策みたいなもの。それが結果的に日本の建築家を育む原動力になったんです。日本って小さな仕事がたくさんあるので、実は建築家がデビューしやすい国。だから以前は若手建築家に実作のチャンスがたくさんあったんです。
立野
そうだったのですか。しかし、世界的に見て日本人建築家の数は少ないのではないですか?
吉村
いや、多いんですよ。1級建築士・2級建築士・木造建築士を合わせると110万人も日本にいて、図面にサインができる人間がこんなにいる国って日本以外にありません。フランスは人口が日本の半分ほどですが建築士が3万人しかいないのでリソースがまったく違います。
立野
はぁ~。そんなにも違うのですね。驚きです。
吉村
ただ、日本人の1級建築士の平均年齢が50歳近いので、若手を取り込むために学生のうちから試験を受けられるようになったんです。そうしてもこの110万人という膨大な数の建築士がいるわけですから、若手建築士が業界に参入してきたとき、その人たちがどんなプレッシャーの受け方をするのかは数が多いだけにわかりませんね。
立野
そのプレッシャーを受けてより良い建築物を世に出そうとする流れができれば理想的ですね。日本の建築業界の底上げになればいいのですが。
(終了のお知らせ)
一同
ありがとうございました。
Planning:宮本 尚幸
Photography:北浦 佳祐
Writing:太洞 郁哉
Web Direction : 貴嶋 凌