立野純三(たての・じゅんぞう) 
株式会社ユニオン代表取締役社長

1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。

原研哉(はら・けんや)
日本デザインセンター代表取締役社長

1958年生まれ。グラフィックデザイナー、日本デザインセンター代表取締役社長。
武蔵野美術大教授。日本グラフィックデザイナー協会副会長。世界を巡回した
「RE:DESIGN日常の 21世紀」展など、既存の価値観を更新する展覧会や教育活動を展開。
長野オリンピックの開・閉会式プログラムなどでは、日本文化に根ざしたデザインを実践。
2002年より無印良品のアートディレクターを務める。
他にも松屋銀座、蔦屋書店、森ビル、GINZA SIXなど数多くの企業や商業施設のビジュアル、
広告、VIなどを手がける、東京ADC賞グランプリ、毎日デザイン賞、亀倉雄策賞、原弘賞、
世界インダストリアルデザイン・ビエンナーレ大賞など内外で受賞多数。
2019年7月に Webサイト「低空飛行」を立ち上げ、個人の視点から、高解像度な日本紹介を始め、
観光分野に新たなアプローチを試みるなど、活動は多岐にわたる。

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「原研哉と語らう」ある日の午後、事務所にて。

一. 紙の可能性を拡張する展覧会

  • 立野

    原先生はグラッフィックデザイナーとして輝かしい経歴をお持ちですが、どれほどの期間デザイナーとして活動されているのでしょうか?

  • 大学院卒業後、1983年に日本デザインセンターへ入社しました。40年近く働いています。

  • 立野

    先生はさまざまな分野に対して新たな挑戦をしておられます。入社当初はどのようなデザインをされていたのでしょうか?

  • 広告媒体がメインでした。ポスターやカタログ、新聞広告などのいわゆる“旧メディア”、メディアが新聞広告や雑誌広告、テレビコマーシャルなど、はっきりとメディアが分かれていた時代のグラフィックデザインからスタートしました。広告に加えて、パッケージデザインなどもするようになるのですが、今はデザインの意味が僕の中で少し変わってきた気がするんです。

  • 立野

    と、言いますと?

  • 先ほど話したような仕事からキャリアをスタートして、だんだんと展示会のような空間系に興味が広がっていきました。竹尾という紙を扱う会社がありまして、紙のメーカーではなく商社なんです。白い印刷用紙だけではなく、“ファインペーパー”という質感や色を重視した高付加価値の紙を取り扱っています。色やテクスチャに関する書籍をはじめ、パッケージなどに使う紙をメーカーに注文し、それを在庫して見本帳を作って販売していくという仕事をされていて。この竹尾という会社に30歳の頃出会いました。

  • 立野

    「TAKEO PAPER SHOW」を企画するキッカケが何かあったのでしょうか?

  • グラフィックデザイナーは上手な紙のマイスターに育ってもらわないと、紙が発展しませんし流通もしていきません。ユニオンさんのようなドアハンドルのメーカーが建築家と手を組んで成長していくように、紙のメーカーや商社はグラフィックデザイナーをいい形でエデュケートしていくことが必要です。そういった想いから「TAKEO PAPER SHOW」のディレクションを30代の前半はずっと携わってきました。

  • 立野

    なるほど。

  • それ以前にも紙の見本帳の展覧会はあったのですが、もっといろんなクリエイターの能力を使ってまったく新しい紙の世界を見出すことがしたかったのです。ただポスターをつくるだけではなく、プロダクトとしての紙の可能性、あるいはシート状の物体の可能性を広げていくようなことをしながら、紙の世界そのものの拡張を進めていきました。この動きの中で興味がだんだんと空間に向かっていったのです。

  • 立野

    私たちは、カラー印刷のカタログを業界で一番初めにつくりました。紙に関しては特殊なものを使おうと考え、紙のメーカーとコンタクトを取りまして。ユニオンのための紙を作ってもらい、良いカタログができましたよ。

  • そうだったのですか。少し紙のお話をしますと、紙は印刷できればいいというものではありません。昔のカレンダーはツルツルした質感で、それが「いい紙」という風潮がありました。しかし、だんだんとツルツルした紙が流行らなくなり、少しキメがある紙らしい質感が主流になります。紙の色も昔は青白い色合いだったのですが、純粋な白が好まれるようになってきたり。バブルの頃は本当にすごい数の紙が毎年出てくるようになったのですよ。

  • 立野

    さまざまな紙が流通するとなると、グラフィックデザイナーの皆さんは紙の選定にかなりの体力を使っていたのではないですか?

  • はい。紙と一口に言っても、厚みの種類と色の種類、さらにはテクスチャの種類がありますからね。その全種類をセットにして紙をカテゴライズして、種類別、用途別にきちっと編集してあらゆる紙をデザイナーたちのデスクサイドに紙の見本帳として置きました。この見本帳を我々は“ミニサンプル”と呼ぶのですが、そのミニサンプルをきちっとデザイナーが仕事をしているデスクの脇に装着されると紙の情報を素早く手に入れることができるようになったんです。デザイナーが紙を切って見本帳に貼り、それを印刷会社にオーダーする。印刷会社が紙を発注するわけではなく、デザイナーが紙を発注するようになったわけです。

  • 立野

    私たちも、仕上げや材質のサンプルを設計事務所に見せ、そこから選んでもらいますから少し似ていますね。

  • そうですよね。今でもその仕組みは変わっていません。でも、だんだんと出版業界がコストパフォーマンスを重視するようになってきたので、ふんだんにファインペーパーを使う時代ではなくなってきます。ですが一方で、テクノロジーが紙を変えていく時代になるのですよ。

  • 立野

    テクノロジーが紙を変える?

  • レーザーカッティングの技術が向上し型を用意する必要がなくなったのです。印刷の技術においても昔はざらっとした質感の紙には精度の高い印刷ができなかったのですが、最近は印刷技術そのものが向上してきて、風合いのある和紙のような紙にも高精細に印刷ができるようになってきたのです。

  • 立野

    文字が盛り上がったような印刷もできますよね。

  • そうです。できることがたくさん増えています。パッケージの世界は、高精細に紙がくり抜けて組み立てができるとなると、従来紙では到底できなかったことが可能になるので、テクノロジーが紙のフィールドを広げているのですよ。

二. 背景を匂わせ、ブランドを醸成させる

  • 2000年に「TAKEO PAPER SHOW」の中で「RE-DESIGN」を始めました。これは「デザインをやり直していく」というテーマの展覧会。当時は紙というよりもデザイン全般に興味が広がっていた時期で、デザインというものはみんなが「わっ!」と驚くような技術だと思われているところがあるのですが、実はあらゆることはすでに考え抜かれていて、身の回りにデザインされていないものがないということに気がついたんです。

  • 立野

    ほう。

  • だから、みんなを驚かせたり目を惹きつけさせるものをつくるのではなく、「こんなところにもデザインがあるんだ」と気づきを与えることがしたかったのです。そこからデザイン観が大きく変わりましたね。

  • 立野

    なるほど。先生のターニングポイントだったわけですね。

  • はい。その頃に無印良品の仕事を田中一光さんというアートディレクターからバトンを渡され、2002年から無印良品のアートディレクションを担当することになりました。これが“ノーデザイン”と言われるようなものでした。

  • 立野

    ブランド名が“無印”な訳ですから、デザインがないものだと思っていました。

  • 無印良品はローコストですし、デザインがありません。さらにはエコロジカルな側面もある。そんなブランドなのですが、実はデザインがないわけではなく、究極のデザインと言いますかミニマルを象徴するブランドだったので、「RE-DESIGN」で目覚めた気持ちが無印良品のアートディレクションで加速して、自分のデザイン観を形成していったのです。驚くような形を創造するデザイナーとは方向が少し違ってくるようになりましたね。

  • 立野

    先生が無印良品に携わられてから、統一感が出てきたように感じます。

  • もちろん私だけではなくて、深澤直人さんや杉本貴志さんなど、多くのメンバーが無印良品を支えてくださっています。私がアドバイザーに入り、深澤さんがプロダクトを担当されてディスカッションをしているうちに大きく変化してきたように感じます。まったくデザインしていないように見せながら、品質の良さを打ち出さなければいけません。しかもローコストでつくることが求められましたから簡単なことではなくて。シンプルだから真似されやすいんです(笑)。

  • 立野

    商標登録でも問題になっていましたね。

  • あるカテゴリーの「無印良品」という商標を中国が先に取得してしまったのです。中国は安くノーデザイン的なものをつくるのが上手ですから。私たちとしては、信用され続けるためにどうすれば良いのかを考え続けることが必要です。

  • 立野

    オリジナルを模倣してローコストで似た製品が出回ることもあると思います。模倣品で満足される方がいることも事実です。本物を使ってもらうためにはどうすれば良いのでしょうか?

  • やはり人はものの形に感動するというより、ブランドの思想やそのものがつくられた背景に共感します。模倣した商品で満足する人たちはそれで良くて、そのお客さんまで獲得しなくてもいいと思うのですよ。ただ、その商品の背景や思想はなんらかの形で表現する必要があります。ただ単純に製品をつくるだけではなく、他の分野のものをつくったときにブランドの考えや背景が見えてくるようなポイントを何かしらつくっていくことが大切です。

  • 立野

    広告などを活用してでしょうか?

  • 広告を打ち出すとしても「この製品はこんなところが優れています!」と直接的に訴求するのではなく、「地球や環境のことを私たちはこんな風に考えています」というメッセージを感じてもらえるような表現に留めます。もともと無印良品はエコシステムの中で生まれたブランドですから、なおさら環境に良いことをしていると直接的に表現することはありません。

  • 立野

    無印良品では環境についてどのような伝え方をしているのでしょうか?

  • 去年は掃除のキャンペーンを行いました。世界中で掃除をしている映像を撮影して、映像を制作し「気持ちいいのはなぜだろう。」というコピーを打ち出しました。これは無印良品の思想に基づいていますよね。掃除って私たちにとっての何かという問いを世の中に発信する。そこに反応してくれるお客さんをキャッチするんです。それを見て全然共感しないお客さんはいくらやっても仕方がありません。ある意味ニッチというか、世の中には各ブランドが座るべき場所があって、その場所が広すぎてもダメだし、狭すぎてもダメで。自らのフィールドっをしっかりと見つけてコミュニケーションをつくっていくことができると、ファンを獲得できるのだと思います。

  • 立野

    ブランドに向き合って、考え抜くことが重要ですね。

  • はい。例えば、無印良品のホテルや家をつくったらどうだろうとか、旅行代理店をしたらどうなるかとか、もし野球チームを持つならどんなコンセプトで運営していくかなど。無印良品ではそんな話ばかりをしていますよ。個人的に旅行代理店なんかは面白いと思います。

  • 立野

    無印良品はすでにホテルをつくっておられますよね。

  • 「MUJI HOTEL」は最初に中国の深圳にできて、次に北京、それから銀座にできました。ぜひ東京にいらした際はMUJIホテルに泊まってみてください。銀座の並木通りにあります。

  • 立野

    いい場所ですね。

  • 地下が「MUJI Diner」という食堂になっていて、地上階から6階までが無印良品の店舗です。6階にはロビーもあり、9階までが客室になっています。

  • 立野

    部屋数はどのくらいあるのでしょう?

  • 部屋数は79室あります。銀座のど真ん中にあるので美味しいお店がたくさんありますし、バーもある。あと、銀座の朝ってとても良くて。朝6時くらいに銀座を散歩すると銀座が目覚めていく姿を見ることができます。朝の銀座はなかなか見応えがあっていいものですよ。

  • 立野

    朝の銀座ですか。興味深いですね。客室はいかがですか?

  • 日本的なラグジュアリーというのは、飾るのではなくて引き算であると言いますか。床から天井の境界線がはっきりと分かれている。みすぼらしくならないよう、きちっとミニマルにつくり込むことで、安くてもラグジュアリー感を出すことができるのです。

  • 立野

    ぜひ伺いたいですね。

三. 「家」を通して見る、解像度の高い未来

  • 立野

    先生は「HOUSE VISION」の発起人でもあります。このプロジェクトはどのような経緯で始められたのでしょうか?

  • 僕はもともと建築好きなんです。これも無印良品がきっかけなのですが、無印良品には7500ものアイテムがあるんです。

  • 立野

    そんなに多くの商品が。すごいですね。

  • 無印良品だけでインテリアをつくってしまうとシンプルになりすぎてしまいますが、テーブルはマホガニーの重厚感があるものを置きたいとか椅子はあの老舗ブランドのものがいいとか、こだわりがありますよね。すべて無印良品でまとめればいいというわけではなくて、“暮らしの形”というものをどう提案するかが重要になってきます。家の形や建築そのものというより、暮らしの形ってどんなのもだろうと考えはじめました。

  • 立野

    再び興味の向う先が変わってきたのですね。

  • さまざまなデザインをする中で、日本の産業の未来はどうなっていくのだろうということも考えはじめてしまって。家というのは産業のプラットフォームというか、さまざまな産業の交差点になっているのですよ。エネルギー問題も、通信の問題もコミュニティの問題も、あるいは老齢社会の問題もある中で家の形を成してくるときに、空調の会社が空調のことを言うとか、ロボティックスの会社がロボットのことを考えるとか、エネルギー供給の会社がエネルギーの未来のことを勝手に言っても仕方がなくて。みんなが一斉に同じプラットフォームにまとまって考えないと未来は見えてこないんです。

  • 立野

    なるほど。

  • そういう意味で、家というものが未来を考える上で一番わかりやすいプラットフォームなのではないかな、と。建築家の方々が捉える家は建築的なアプローチなのですが、もう少しエネルギーや通信、ハイテク・アプライアンスの集合体など、さまざまな視点を持ち寄ってみんなで一斉に家について考えてみると面白いのではないかと思うのです。

  • 立野

    家だけではなく、必然的に生活やライフスタイルの視点からも考えていくわけですよね。

  • 当然ライフスタイルについても考えなければなりません。日本人ほど多様なライフスタイルを持っている人たちも少ないですから。1981年から施行された新耐震基準法以降の中古物件も増えてきているので、それらを一旦スケルトンに戻し自分で自分の住まいをつくっていく。そんな時代に突入しているように感じます。

  • 立野

    さまざまな視点から家というものを提案していかなくてはいけない時代ですね。

  • 立野さんにも共感してもらえると思うのですが、住宅展示場って見にいくとワクワクしますよね。

  • 立野

    分かります。

  • なぜワクワクするのかというと、原寸大の家があるからです。住宅は模型で見ても感心するくらいなのですが、住宅展示場は原寸かつインテリアもイメージできます。実際に触れることができる、ときめきがあるんですよね。ですから、原寸大で今まで見たことがない家を企業と建築家がペアになって実現していく。10棟くらい建ててみて、それをみんなで見て考えるようなことをやってみたいなと思いまして「HOUSE VISION」を立ち上げました。

  • 立野

    非常に面白い試みですね。

四. ミラノサローネに感じる違和感

  • 立野

    私たちも2019年にミラノデザインウィークで田根剛さんと一緒に展示会を開催しました。鋳物を実際に吹いて、レバーハンドルの製造過程を見ていただいて。約5万人の方に来場いただいて、好評でしたね。

  • イタリアでは鋳物は珍しいものなのですか?

  • 立野

    鋳物自体はあるのですが、実際に制作している現場を見ることができません。実際に製造過程を見せると珍しかったようで喜んでいただけましたよ。

  • 5万人もの人が来場されたとはすごいですね。

  • 立野

    ありがとうございます。

  • 私はミラノサローネに参加する度に悔しくて。そもそもミラノサローネはイタリア・ミラノの家具産業を盛り上げるためのイベントです。世界中から多くの才能が集まり、デザイン料はタダでデザインを供給する仕組みをつくっているわけですよ。もちろん売れたら歩合で払うのだけれども、交通費もデザイン料も払ってくれない。才能ある方たちがミラノで発表したと自慢するのはどこか違和感があるのです。ミラノではなく、日本で技術を発表する機会を設けなくてはいけません。

  • 立野

    ミラノサローネのような催事を大阪で開催できれば面白いと考えています。大阪は建築金物の発祥の地ですからね。ただ、我々金物業界の人間だけが集まってするのではなく、建築に関する多種多様なメーカーが集まってできれば、より実りのある機会になると思うのです。そのようなことが日本でできれば、ミラノサローネを超えるイベントになると思うのですが。ところで「HOUSE VISION」は海外でも開催されていましたよね。

  • 「HOUSE VISION」は2度日本で開催し、第3回目は北京で開催しました。

  • 立野

    ほう。北京でですか。

  • はい。4回目となる今年は韓国で開催します。また、日本でやってもいいかなと考えてはいるのですがね。建築家の藤本壮介さんも面白いと言ってくださっていて、毎回参加してくださっていますよ。

  • 立野

    藤本さんもですか。

  • はい。藤本さんには会場構成をお願いしています。

  • 立野

    確か隈さん(隈研吾氏)も参加されていましたよね。

  • はい。その際は、住友林業などに杉材を借りて、隈さんに木組の形に積み上げて制作していただきました。釘は使っていません。展覧会が終わったらバラして角材に戻し、次も使えるよう再利用するんです。

  • 立野

    2025年の万博にもそのアイデアをそのまま活かせそうですね。それにしても釘を使わずに再利用とは、素晴らしいアイデアです。

  • 隈さんが素晴らしいものをつくってくださいました。「HOUSE VISION」を通して気に入っている空間の一つですね。

五. 埋もれている日本の魅力を収穫する

  • 立野

    無印良品がホテルを手がけるとは驚きでした。

  • 私自身、ホテルというものに興味が湧いてきまして。世界を飛び回っている中で「ホテルがあるから周辺環境のことがよくわかる」ということに気がつきまして。いい景色のある場所に、その景色をかすめ取るようなホテルや景観を損なうようなホテルではなく、ホテルがあるからその土地の知られざる環境がわかるような素晴らしいホテルが存在するんです。

  • 立野

    日本の価値を見出すキッカケにもなりそうですね。

  • そうなのですよ。日本の風土は未来資源です。日本列島はポテンシャルが非常に高い。フランスの人口は日本の半分くらいしかないのに、コロナ禍以前のインバウンドが年間約9000万人。人口よりも多くの人が来ています。日本は2009年ごろまでは600万人ほどしか来ていなかった。しかし、その10年後に3200万人まで増えるわけです。

  • 立野

    日本の魅力が海外に伝わっていくタイミングでしたからね。

  • つまり、まだ世界が発見していない日本の津々浦々があって、そこに高度な施設をつくっていくことで解像度の高い観光が拓いていくだろうと直感しました。かつて訪れた場所が多いのですが、素晴らしいと思う場所の映像を撮影し編集をして、写真も掲載する活動を月一回くらいのペースで始めました。

  • 立野

    拝見しております。

  • ありがとうございます。40ヶ所以上訪れて日本の可能性のある場所がどんどん見つかってきているので、新しい観光の時代が来ることを願います。

  • 立野

    コロナ禍以前、スペインも8000万人ほどの観光客が来ていますよね。そのうちのほとんどがガウディの作品を見に来ています。

  • はい。

  • 立野

    建築はそれほど人を呼ぶ力がありますし、日本の建築家も大きな可能性を持っている人が多くいらっしゃいます。今はコロナで大変な時期ですが、世界中から人を呼ぶことができる建物を今後は建てていかなくてはいけません。

  • 同感です。日本の建築家の才能は世界に通用します。それなのに、空港などの公共建築は目立たないものが多い。おそらくコンペなどでコストがかからないものが選ばれているからでしょう。民間の企業がその土地のポテンシャルに気がついて施工していく流れが必要です。未来の資源として、その土地にある魅力を建築的にきちっと収穫していく必要があります。

  • 立野

    その土地に見合った文化を残していかなくてはなりません。全国各地に“ミニ東京”ができてきて、一時的な建物ばかりが目立ちます。それが良くない。

  • 今もこれからも、地域に良い建物ができていくべき時代です。

  • 立野

    その土地の風土や景色に溶け込んでいく建物をつくっていくべきですよね。

  • その可能性を広げてくれる日本の建築家はたくさんいると思います。公共建築などの大きなプロジェクトだけではなく、小さくても素晴らしい建築などがこれからの可能性をつくっていくと思いますね。そういうことを考えるとドキドキしますよ。

  • 立野

    少し話が戻りますが、原先生が素晴らしいと思う土地を紹介するウェブサイトのタイトルは「低空飛行」ですが、なぜこのようなネーミングなのでしょうか?

  • 以前、小型のプロペラ機に乗って移動したことがありまして。高度1000mくらいを飛ぶと、地表がよく見えるんです。プロペラ機は計器飛行ができないので基本的に有視界飛行といって雲の中を飛んではいけないのですよ。パイロットが航路を見ながら飛ぶのですが、高度1000mという高さから見る日本の地形って複雑で面白いんですよ。そうして地形を見ていくうちに日本の土地勘ができてくる。

  • 立野

    先生が日本の魅力ある土地を訪れてそれらをアーカイブされるとなると、今後もさらに素晴らしいコンテンツになっていくでしょうね。

  • あのサイトは自分の基礎研究のようなもので、日本のことを見ていなければさまざまなプロ デュースもできませんからね。アートディレクションだけをやっているのではなくて、そこにどんな価値を見出せるか。ものづくりではなく価値づくりの産業に切り替わっていますから。

六. 垣根を超えて価値を見出し続けるグラフィックデザイナー

  • フランスのワインが高価なのに対して、日本のお酒は価格が安いですよね。

  • 立野

    コストパフォーマンスが非常に高いです。

  • 日本はまだ大衆社会で江戸時代が長かったこともあり、みんなが買える値段で酒が売買されていました。それはそれで素敵な社会なんですよ。だけれども、世界的な観光という産業として見ると、フランスのように700mlで20万のお酒をつくっていかないと産業という形にはなりにくいのではないでしょうか。20万のお酒を日本のどこでどのように売るのかを考えてもいいと思うのですが。

  • 立野

    先生はデザイナーでいらっしゃいますから、パッケージにこだわるというのも一つかもしれません。

  • もちろんそれも考えられますね。あともう一つは物語をつくっていくこと。お酒は風土に合わせたてつくられた飲料です。その土地の何を持ってそのお酒ができているのか、という物語をしっかりとつくり込む。そうすると、そこでしかありえないものになっていきます。

  • 立野

    それをパッケージとして表現していくと。

  • その通りです。ウェブサイトをつくりEコマースで売る。あるいは、蔵元がある土地のホテルで提供していくとか。そうすれば凝ったラベルだけではなく、ストーリーが垣間見えるお酒が出来上がる。そんなコミュニケーション全体の流れを生み出すことができれば、日本のお酒は非常に可能性があります。

  • 立野

    地方に行くと蔵元はたくさんあって、それぞれに個性があります。

  • 焼酎も日本酒も小さな蔵元が製造していたりします。そういうところが面白いのではないかと。

  • 立野

    日本のお酒が地域に根ざしたホテルや食事などの一連の流れの上にあれば、もっと海外から人がくるチャンスが生まれるのかもしれませんね。

  • そうですね。気候、風土、文化、食、すべてを統合するものとしてホテルというものを考えていくと、素晴らしいものが日本各地に増えていくのではないかと思います。私は岡山県出身なのですが、瀬戸内の人たちとコンタクトを取り、デザイナーや建築家だけではなく、土地を持っている人や投資をする人、フェリーやバスなどの移動体を持っている人も含めて、一緒に瀬戸内というゾーンの中でどのような新しい価値をつくっていくかを話し合っているのですが、これがとても面白い。

  • 立野

    先生は今もグラフィックデザインの垣根を超えて、さまざまなことに挑戦しておられるのですね。

  • 一応「HOUSE VISION」も「低空飛行」も繋がってはいます。グラフィックというのはある種のコミュニケーションですし、アイデンティティをつくるブランディングみたいなこと。価値のコントロールをしているわけです。広告業も土地のバリューをどのようにしてホテルに落とし込んでいくかを考えることも自分の中では一貫しています。

  • 立野

    なるほど。先生としてはそのように仕事が広がっていくことは楽しいのではないですか?

  • そうですね。40年近くデザインをしてきていますが、ようやくスタートラインに立てたような気がするんです。「HOUSE VISION」を始めたときも同じように、やっとスタートラインに立てた気がしたことを覚えています。何か新しいことに挑戦する時はいつも同じ感覚に陥るんですよ。グラフィックデザイナーである私にも、家や空間のことについて触れられるかもしれないと思ったり。ホテルのプロデュースも経験が豊富にあるわけではないですが、これから本格的にやればできそうな気がしてきたんです。いろんなことをやりながら急にパタっと死んだりするのかもしれませんが(笑)。

  • 立野

    (笑)

  • 今でもやりたいことが次々に芽生えてきているので、これからも興味は広がっていくと思います。

  • 立野

    そんな先生に伺いたいのですが、人の感性はいろんなことに挑戦しながら磨かれていくものなのでしょうか?若い人たちが自身の感性のなさを嘆いている姿を度々見かけるので、どうすればいいのかと考えておりまして。

  • 好奇心が感性を磨くのだと思います。ですから、よく動いていろんなものを見るのがいいのではないでしょうか。その中で「もしかしたらこうだったりして!」と、考え続けることがある種のデザインだと言えます。

  • 立野

    面白いアイデアが思いついたりすると、なんとか実現したいと思って行動しますからね。そのプロセスも重要な気がします。

  • そうですね。これは絶対に実現してみたいというアイデアを思い浮かべた時は、実現するま ではなんとなく死にたくないと思いますよ。この年になってから思うとかではなく、30代の頃から感じていました。

  • 立野

    いろんなものを見て、触れる。そしてとにかく挑戦する。なんとか達成まで持っていく努 力。感性を磨くためにはさまざまな要素が必要なのですね。

七. AIが生み出せない質の高いクリエイションを

  • 立野

    いよいよAIの技術が発展してきて、人間にとって代わるとささやかれていますが、デザインや設計などは、AIが追いつくことができない領域であると思います。

  • そうですね。しかし、レイアウトなどはAIにもできるはずです。例えば缶ビールのパッケージデザインの仕事があったとします。オリエンの段階で缶の形とメーカーのロゴも決まっていて、その他テーマに沿ったさまざまななパーツがあらかじめ用意されている場合は、それらを組み合わせて大まかなデザインをすることはAIだったら可能だと思います。しかも、数百通りのレイアウトを瞬時に出すことができると思いますから、そのようなケースはAIに仕事を取られてしまうかもしれませんね。私は楽になっていいと思いますが(笑)。

  • 立野

    (笑)

  • ただ、アイデアがたくさんあってもその中から「これがベストである」と選べる技術が必要になりますから、人の能力が不可欠です。AIが代わりにやってくれることを自分の能力の延長として考えると、単純にできることが増えます。だからAIの上に君臨する人間になればいいのですよ。技術が発展しすぎたら、SF映画のようにAIに屈する時代が来るかもしれませんが(笑)。とはいえ、当面AIの役割は人間の能力拡張ではないかと思います。

  • 立野

    もし、クリエイションがAIにとって代わられてしまう事態になると少し寂しいですね。

  • 逆に言えば、そのようなクリエイションはなくなっても仕方がありません。

  • 立野

    確かに。創造性に欠けるアイデアはAIに淘汰されてしまうでしょうね。AIをうまく使いな がら新たなもの生み出すことを考えていくべきなのでしょう。

  •  

    (終了のお知らせ)

  • 一同

    ありがとうございました。

  •  

     

  •  

     

  •  

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