立野純三(たての・じゅんぞう)
株式会社ユニオン代表取締役社長
1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。
森永邦彦(もりなが・くにひこ)
ANREALAGE デザイナー
1980年生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。
大学在学中にバンタンデザイン研究所に通い服づくりをはじめる。
2003年「アンリアレイジ」として活動を開始。2005年東京タワーを会場に東京コレクションデビュー、
同年ニューヨークの新人デザイナーコンテスト「GEN ART 2005」でアバンギャルド大賞を受賞。
東京コレクションで10年活動を続け、2014年よりパリコレクションへ進出。
2015年フランスの「ANDAM FASHION AWARD」のファイナリストに選出される。
2017年パリコレ以降の作品を展示した「A LIGHT UN LIGHT」展を国内で開催し、
LA及びサンバウロのJAPAN HOUSEにて巡回展を開催、また、ポンピドゥー・センター・メッスや
ロスチャイルド館、森美術館での展覧会へも参加している。
2019年フランスの「LVMH PRIZE」のファイナリストに選出。2019年度第37回毎日ファッション大賞受賞。
2020年 伊・FENDIとの協業をミラノコレクションにて発表。
2021年に開催されたドバイ万博では、日本館の公式ユニフォームを担当した。
太田伸之(おおた・のぶゆき)
クールジャパン機構 初代取締役社長
1953年生まれ。明治大学経営学部卒業後ニューヨークに渡り、繊研新聞特約通信員、
バーニーズ・ニューヨークコーディネーター、アメリカ・メンズスポーツウェアバイヤー協会
マーケティングディレクター等を務め、8年間日米ファッション業界の橋渡しを担う。
1985年 東京ファッションテザインナー協議会(CFD)を設立、事務局長に就任。
「東京コレクション」を開始。2000年 株式会社イッセイミヤケ代表取締役社長に就任。
2006年 JFW(日本ファッションウィーク)実行委員会委員に就任。
「東京コレクション」運営と若手デザイナー支援に携わる。
2013年 株式会社海外需要開拓支援機構代表取締役社長に就任。
2018年 同職を退任、MD-03 Incを設立し、現在も日本アパレル業界を牽引する。
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立野
「ANREALAGE(アンリアレイジ)」のロゴは素晴らしいデザインです。かなりこだわられたのではないですか?
森永
“日常と非日常”を根幹に、何か対極のものがファッションを通じて交わるときに“ファンタジー”と呼ばれるようなことを表現したいと思い、このブランドをしています。誰もが知っているアルファベットでAとZは遠くにあるもののように感じますが、直線ではなく曲線で考えたときに隣り合わせになりますよね。対極のものが交わっていくのをブランドを通じて表現したいという想いからロゴを制作しました。
立野
かつて「○△□」をテーマとしたコレクションを発表していましたよね。非常に印象的だったのですが、どのようにしてこのテーマに至ったのでしょうか?
森永
ファッションは「人の身体に合わせてつくる」という当たり前の考え方があります。「○△□」のコレクションでは、人の身体から離れて服をどのようにつくるかを考え制作しました。球体、三角錐、立方体という人間の身体の形からかけ離れた形状は、地球上で誰も似合う人がいない形として存在していると考えます。しかし、誰も似合わない形というのが、もしかしたらファッションで新しい造形を生み出すのではないかと思い、このようなコンセプトでコレクションを展開しました。
立野
なるほど。
森永
実はドバイ万博の日本館の制服を私たちが手がけています。今回、球体型のジャケットを制服として制作しました。男性も女性も、背が高い方も背が低い方も一つの球体を着ることで形が一つに限定されるという制服になっています。メンズレディースに囚われない衣服として提案したのです。
立野
実際にその制服を着た方の感想はいかがだったのでしょうか。
森永
ボタンをすべて留めると球体になってしまい着ることができません。どこでボタンを留めるかは人それぞれで、着る人の好みで着心地がいいように着用できる洋服になっています。ですから、着る人によって違う表情を見せてくれるジャケットです。
立野
寸法はすべて同じなのでしょうか?
森永
直径60cmが私たちがつくっている球体の基準になっています。
立野
先生は手作りにこだわられているとのことですが、今回も?
森永
初めは手で何度もつくって試行錯誤しています。
立野
偶然なのですが、私たちのドアハンドルにも丸、三角、四角をモチーフにした作品があります。
森永
ドアハンドルがそれらの形状をしているのでしょうか?
立野
台座と人が実際に手で握るハンドルの部分が丸、三角、四角の形状になっています。材質は金属です。このシリーズは好評で、さまざまな場所の建築に採用いただいています。個性的な建築にもマッチするということで喜んでいただけましたね。
森永
ドアハンドルは手にフィットすることなどが求められると思うのですが、初めに触れるタイミングで違和感が生まれますよね。球体は握りやすさが想像できますが、他の形はいかがでしょうか?
立野
三角形は握った感触がよく伝わるので好評でしたよ。
森永
当たり前の考えを崩していくことが私自身も好きなんです。きっとそのドアハンドルを手にしたときに回すべきなのか、押すべきなのか、引くべきなのかなどを考える時間が生まれますよね。今までにない新しい思考が生まれる気がして、すごく興味があります。
立野
ありがとうございます。機会があれば実際に見ていただきたいですね。私たちもファッションの先生と一緒に建築で何かできればと思っていますので。
太田
私は多くのデザイナーと交流があるのですが、森永さんはとても言葉を大事にしていますよね。非常に不思議なものをつくっているのだけれども、そのプロセスの中で言葉を大切にしているように感じます。
森永
ありがとうございます。
太田
私の中で森永さんの印象は「森永=ヘーゲル」なのですよ。著書の中に“弁証法”という言葉が出てきたので、森永さんにはヘーゲルの思想を感じていました。あと、ものすごく緻密に計算をされているなと。その辺りが異色で、他のデザイナーとはものづくりのプロセスが違う。ある意味、建築家的ですよね。
森永
弁証法というのは私がものをつくるときに大切にしている概念の一つです。弁証法を簡単に言えば、逆から物事を考えること。例えば、身体に合わせる服があるのであれば、誰の体身体にも合わない服を考えるとか。先ほどお話しさせていただいた「○△□」のように、人の身体に合わせたときにどのような新しい造形が生まれてくるのだろうと考えることが好きです。最初から自分の感覚やセンスで何かを選ぶというより、一つのテーマや概念を決めてそれをどういった視点からどうアプローチするかを考えることの方が好きですね。
太田
数多くのデザイナーがいますが、自分の感覚やセンス、美意識が先行する人が多いんです。ところが森永さんのように言葉やテーマに重きを置いて掘り下げていくデザイナーは希少で。テーマやコンセプトを追求する作業をしつこいぐらいしてるのではないかと思います。そうですよね?
森永
おっしゃる通りです。
太田
森永さんのデザインは、工業デザインと同じようなことを感じるデザイナーですね。だから 立野さんと森永さんが協業すれば面白いものができると思いますよ。
立野
話が少し戻るのですが、森永先生はファッションとまったく関係のない学歴をお持ちですよね。いつ頃からファッションに興味を持たれて、ファッションを学び始めるわけですか?
森永
ファッションはとても好きだったのですが、自分自身が何かを服で表現したいというよりかは、消費者としてファッションをただ楽しむ高校生活を送っていました。ちょうどその頃に、ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)やYohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)、Comme des Garçons(コムデギャルソン)が東京でエネルギッシュなショーをしていて。その様子をファッション通信などで見て、すごい人たちがいるなと思ったことを覚えています。
立野
では、高校卒業に差し掛かる頃になんとなくファッションの道を目指そうと考えておられていたわけですか。
森永
私の父親は早稲田大学出身で卒業後、公務員として働いていました。自分も父のようなキャリアを歩もうと大学受験をしていた頃は思っていたのですよ。
立野
そうだったのですか。
森永
予備校に通いながら大学受験をしていたのですが、当時はインターネットが今のように普及していませんでしたし、SNSもありませんでした。なかなか自分の情報源を広く持てていない中、予備校の講師が授業の中でコムデギャルソンやイッセイミヤケについて話をしてくれたんです。その他にも映画や音楽についても話をしてくれたりしました。予備校にファッションとカルチャーを知る環境があったのですよ。当時インディーズブランドがたくさん出てきていた時期で、早稲田大学で勉強しながらファッションサークルに入って服をつくっている人がいることを先生から聞きました。
立野
ほう。
森永
その先生が話してくれた、早稲田の学生がつくったという洋服を予備校に持ってきてくれたんです。その服はアシンメトリーでどうやって着ればいいかもわからないような不思議な形をしていて、今まで私が見てきた服の形とはまったく違うものでした。その服に対して製作者は「ただ着るだけではなく、細部に自分の表現を詰め込んでいる」という想いがあると先生から聞きまして。その話を聞いて、ファッションで何かが表現できるとか、そこにコンセプトを設けられたり洋服一つで物語を紡げるということを知ったのです。当時の自分は、洋服でまさかそんなことが表現できるとは思っていなかったので、すごく衝撃を受けました。
立野
なるほど。
森永
その服をつくった学生さんが早稲田大学の社会学部に所属しているとのことで、その人の弟子になりたいと思い同じ大学の同じ学部を目指しました(笑)。そこからだんだんファッションの道に入っていきます。
太田
それにしても、良い予備校の先生に巡り合ったね。
森永
はい。その先生がヘーゲルや弁証法ついても教えてくれました。
立野
そのキッカケがなかったらファッション業界に入っていなかったのかもしれませんね。
森永
そう思います。
太田
でも、大学に入った時からファッションデザイナーを目指していたわけでしょう?目標を持ってダブルスクールをして、卒業したらファッションで生きていこうと考えていたのだとしたら、将来の決断としては早いですね。
森永
決めたら突き進む性格でしたから。しかし、親は心配していて。息子がファッションデザイナーとして生計を立てていくことが手放しに喜べることではなかったのは知っていましたし。
太田
それは今も昔も変わらないですよ。特に男性がファッションの道を目指すとなると、親が不安に思うのは当然のことですから。
立野
ファッションと建築は共通するところがあると思います。森永先生は建築をご覧になったとき、ファッションと共通点を感じることはありますか?
森永
私はすごく感じていますね。人の身体と周辺にある空間を遮断する、あるいは接続するものとしてあるものといえば壁か洋服かのどちらかだと思います。視点の違いはあるものの、自分のものづくりの仕方を含め、建築と洋服のあり方にも近しいものを感じます。
立野
建築家の方と話す機会はありますか?
森永
田根剛さんや石上純也さんなど、建築をされている同世代の方とは話す機会があります。日常からどのように非日常をつくるか、という議題の中では特にリンクする部分が多いように感じますね。機能性をどこまで保つかや機能性を一旦度外視してでも人の心に豊かさをもたらすべきなのかなど、さまざまなお話をしたことがあります。
立野
そうでしたか。私たちが扱うドアハンドルは、建物が存在する場所に必ずあるわけです。先生の服も同じように、人がいる場所には必ず服がある。ですから、服も後世に残っていくものだと思います。我々も新しい材質に対してチャレンジをしていきたいという精神があるのですが、先生は材質とどのように向き合っておられますか?
森永
使ったことのないマテリアルや素材を積極的に取り入れる服をつくろうと心がけています。そのマテリアルとは糸や染料ではなく、もっと先にあるもの。例えば、染料をつくるための色素の部分について可能性を広げていきたいのです。色素をどのように新しくつくるか、ということにトライし続けていたりします。それが光の反射の見え方であったり、紫外線に触れたときに色がどう変化していくかを考えたり。三井化学さんなどの企業と手を組んで進めています。
太田
三井化学という会社も、ファッションの業界ではなかなか出てこない名前だよね。そこがインダストリーで面白いと思います。工場でファッション系の繊維を織っている一方、工業用の製品を同じ工場でつくったりもするのですよ。きっと森永さんはその両方に関心を持っているということですよね。
森永
織物の工場もさまざまで、通常の型屋さんと建築の内装などを手がけている型屋さんがあり、使う機械が少し違うんです。車のシートをつくっている織機はまた違った用途のものですから興味深いですよ。
太田
電磁波や音を遮断するなどの機能を持つ繊維とかですよね。世界的にダウンジャケットで有名なMoncler(モンクレール)というイタリアの会社があるのですが、そこへの一番の供給源は福井県の織物屋です。もともとヨットの帆をつくっていた会社でファッションにも参加するようになったようです。
立野
ほう。私の友人は太陽工業というテントなどの膜材を製造する会社をしています。
森永
まさに1年前、太陽工業さんにお世話になりました。
立野
そうだったのですか!
森永
はい。太陽工業さんのドームの皮膜素材を使わせていただき、洋服をつくりました。
太田
富士山麓で撮影された2021の春夏コレクションかな?
森永
そうです。
立野
先生、次は金属でなにか挑戦してみてください。
太田
破れないアルミホイルとか、グニャグニャ曲がる金物とかね(笑)。
立野
先生は2019年に「LVMHヤングファッションデザイナープライズ」のファイナリストに残っておられましたよね。自信としてはいかがだったのでしょうか?
森永
あの年はアフリカやイスラエルなど、さまざまな地域から若いデザイナーが選出されていました。私たちはまだブランドの歴史が浅かったこともあり、厳しい戦いになるとは思いつつ挑戦しました。太陽と共に変化する素材をアップデートし、着用している人がいる場所によって洋服の見え方が違うのです。土地によって紫外線の量が違うので、その服がどこのどの季節にあるかでその服の表情がまったく変わるという発表をしました。
立野
興味深いですね。
森永
さらに、土に還るテキスタイルを使用しました。この洋服は土に還した際に微生物に分解される部分と、微生物が苦手とする繊維でつくり侵食されない部分を意図的に設けました。土に埋めて半年~1年後に花柄のレースが出来上がります。
立野
それはすごいアイデアですね。
森永
この洋服を発表したとき、LVMHの会長を始め、Dior(ディオール)のデザイナーやFENDI(フェンディ)のチームもみなさん声をあげて驚いていたので、手応えはありましたね。
立野
コンペティションの後にフェンディとコラボするなど、多くの人を驚かせた洋服だったのでしょうね。
森永
グランプリは逃してしまったのですが、それがキッカケとなりフェンディとのコラボレーションも始まりました。スピード感がとても早くて、コンペの翌週にはフェンディチームが日本に来て三井化学の化学工場を見学したり、糸をつくっている富士紡という会社にも伺ったりして、すぐにものづくりに関するディスカッションを行ないました。通常はイタリアで生産しているとのことでしたが、提案したいものが特殊な製品で日本でしかできないというのを理解いただき、特別にメイドインジャパンでフェンディとのコラボ商品が展開できる運びになりました。しかし、発表したタイミングでコロナが世界的に流行してしまいました。
立野
土に還る洋服のアイデアも、商品としては実現していないのでしょうか?
森永
はい。ロンドンのセルフリッジという百貨店でその商品を取り扱い、インスタレーションをする話をいただいて計画していたのですが、それもコロナで頓挫してしまいました。
立野
残念です。先生が発表された洋服は、世界全体で取り組んでいるSDGsにも沿っていますよね。非常に素晴らしいと思います。着ることによって健康になれる洋服なんかを考えてみてもらえたら面白いかもしれませんね。
森永
確かに面白いですね。服の語源なのですが、私が調べた諸説の中の一つに、薬を摂取することを“服用”と言うのは服の語源と繋がっているらしいです。昔は飲み薬がなかったので薬草を着物に塗り込んで、その着物を着ることで人の身体を治すという治癒法があったようです。今は視覚に訴えかける洋服が多いのですが、何かまた違う機能を付随させて新たな役割を果たせる日が来るのではないかと思っています。
太田
大麻は吸ってはいけないけど、大麻布という布を鎧の下に着用していたようですよ。戦いの中で負傷した際、止血したり化膿を止めたりするのに大麻の繊維は優れていたのです。おそらく天皇家の古式装束の下着は大麻布だったと思います。戦後は大麻が禁止されて輸入できなかったのだけれども、やっと数年前に許可が降りて、大麻布をつくれるようになりました。大麻布の生産を一生懸命している人が関西にいるのですが、森永さんが大麻布と出会ったら面白いことになると思いますよ。
立野
そういった新たな洋服を考えられるのが、森永先生は優れていらっしゃいますから。
太田
普通に大麻布を使っても仕方がないので、それを工夫しインダストリーとして昇華させた上で、クリエイションを発揮すれば面白い解釈が生まれるのではないかと思います。
森永
面白いですね。
立野
話が変わるのですが、私は「セーブ・ザ・チルドレン」というボランティアをしています。
森永
インターネットで拝見させていただきました。
立野
ありがとうございます。この活動にLouis Vuitton(ルイヴィトン)がご支援をくださったことがあるのですが、大きな企業はボランティアや社会貢献を積極的にされている印象があります。最近では、日本でも何らかの取り組みに対して支援をされている企業が増えてきたように感じますね。
太田
日本は税制などで難しいところがたくさんあるんですよね。欧米などの大きな企業は社会貢献度が非常に高い。忘れもしませんが東北の大震災で津波被害があった際、一番初めに「東北を救え」と言い出して商品をつくり、チャリティーを始めたのはRalph Lauren(ラルフローレン)でした。世界の企業は社会貢献活動を一生懸命にされている。ルイヴィトンも本当に立派な会社ですよ。
立野
素晴らしいですね。森永先生はアンリアレイジを世間一般に浸透させるために取り組んできたことはありますか?
森永
やはりブランドを継続していく中で、新たなチャレンジに取り組むことはもちろんのこと、パッチワークや見え方が変わるテキスタイルを使うなどアンリアレイジにしかできないことを何度も繰り返して続けていくことが、ブランドを周知させるために大切なのではないかと思うのです。それを核にしながら、どのようにして新しく見せていくかを考えなくてはなりません。しかし、基本的な思想を変えないで進んでいくことが、「アンリアレイジとはこういうブランドである」ということを浸透させていくのではないかなと。繰り返すことはファッションでは難しい面もあるのですが、先輩たちのブランドを見ていてもブランドの核となるものを何度も掘り下げて、比類なきものにしている印象がありますから。
立野
私たちは新しい商品をつくった際、デザインのパテントを取るのですが、先生は真似をされないように気をつけていることはありますか?
森永
商標に関することをしっかりとできておらず、2年前ほど前から知財として自分たちの資産にできるものを少しずつ登録をしていこうという動きを始めています。ファッションにおいてはかなり難しい面もありまして。
立野
パテントで守らないとすぐに商品のデザインなどは真似をされてしまいますよね。ファッションの場合は難しいわけですか。
森永
はい。かつて、ブランドロゴの商標を取られてしまい、取り返すのに5年ほどかかってしまったことがありました。
太田
ファッション業界には痛い目に遭っている人がたくさんいるんですよ。なぜファッション業界で意匠登録などが難しいかというと、一つは半年で次のシーズンが来てしまいますからもし訴えたとしても答えが出るのが何年も先になってしまう。答えが出る頃には次の仕事に取り掛かっているから面倒になり「もういいや」と諦めてしまうケースが多いんです。ファッションのシーズンのスピードと、パテントの審査の長さがうまくリンクしないという事実があります。
立野
なるほど。
太田
ただし、化学的かつ技術的に難しいことをしている会社は絶対に懲りずに特許を取ったほうがいいですよ。真似されて侵食してきたらどんどん訴訟する。これはとても大切なことです。自分たちが考案したもの、クリエイションと同時にテクノロジーを守っていくことにつながります。クリエイションに関する特許を取得することはなかなか難しいけれど、テクノロジーのパテントを取得するととても強いです。
立野
森永先生はまさにテクノロジーをどんどん取り入れていらっしゃいますから、ぜひ知財で防御していただきたいですね。
森永
そうですね。
太田
テクノロジーに関することで特許を取るなど、自分の技術を守る方法はたくさんあると思います。現在もファッション業界は自分たちの知財に対して問題を抱えているんですよ。森永さんが使用したテキスタイルは色んな角度からパテントを申請できるはずですから、防御線を張っておくことも大切です。
立野
知財を守っていただき、日本のブランドとして今後も革命を起こしていただきたいですね。
立野
先生はファッション以外に興味のある分野はあるのでしょうか?
森永
ブランドは非日常をテーマとして掲げていますから、最近では発展が著しいバーチャルやデジタルの世界に関して勉強しています。ゲームやアニメーションなどもですね。
立野
その業界の方と手を組んで、何かしていきたいと考えておられるのでしょうか?
森永
2021年、アニメーション映画の主人公の衣装を担当しました。人が着るのではなく、あくまでアニメーションの世界で主人公が着る衣装です。その映画は興行収入が70億円ほどで、かなりの人数の方がご覧になったようです。この経験から、こんな服のイメージの残し方もあるのだと感じていまして。ゲームの中の衣装も、ゲームデザイナーがつくる衣装とファッションデザイナーが衣装をつくるのではまったく違うものになります。データ上で衣装を制作するので形のないものですが、新しいことにも挑戦させていただいています。
立野
今までそのようなことを試みた人はいなかったのでしょうか?
太田
今までありませんでしたね。森永さん、それでつくったデザインが売れたんですよね?
森永
そうなのですよ。今までデジタルというのはデータという形式上、何枚でもコピーができましたが、デジタルの画像にロックナンバーのようなものをつけて管理ができるようになりました。まるで絵画を売るように、デジタルの画像自体を販売する流れができてきました。アンリアレイジのデジタルアート作品も約5000万円強まで価値が上がりました。
太田
そう、すごい金額なんですよね。
立野
まるでバンクシーのようですね。他にデジタルの業界で興味を持っている企業はありますか?
森永
2022年の3月24日から初めての“メタバース”という仮想空間でファッションウィークがで開催されます。デジタル空間で、デジタルの衣装を見せるランウェイショーで、Burberry(バーバーリー)やラルフローレンなど約30ブランドが参加を表明しています。日本からはアンリアレイジだけが参加するのですが、この世界初のメタバースファッションウィークを主催しているのが世界的なゲーム会社ですね。
立野
興味深いですね。日本のゲーム会社でしたら、カプコンのCEO辻本さん(辻本憲三氏)と知り合いですよ。カリフォルニアでワイナリーを経営されています。
太田
ケンゾーエステートですね。
森永
カプコンは今、メタバースにおいても進んでおられる印象です。
立野
リアルではなくバーチャル空間でのコレクションに参加するとのことですが、どのような心持ちですか?
森永
コロナが蔓延してから、もう2年間もパリに行くことができていない状況です。それからはファッションショーをデジタルに変えて発表をしており、デジタルでしかできないことを追求しています。しかし、どうしてもファッションショーを直で見た時の感動や自分の前をモデルさんが通っていく時のざわざわした気持ちなど、デジタルで同じような感動を生み出せているわけではないと思っています。
立野
はい。
森永
ただ、デジタルだと多くの人にショーを届けることができるようになりました。今までは限定的に見られていた自分の世界観が、映像配信ですと100万再生されることもあるので、より多くの人に届いている実感はありますね。なので、別の可能性は生まれてきているなと思います。バーチャルやデジタルの空間の中でリアルに近い感動が生まれてきたら何か変わるかもしれないと思いますが、そこまでに至っていないのが現状です。
太田
ランウェイの舞台裏でデザイナー本人が、観客の拍手喝采を聞いて涙することもあるんですよ。やはりライブに勝るものはありません。
森永
バックステージでモデルを一人ひとり送り出しているときの気持ちとモデル全員がバックステージに帰ってきて、自分がお客さんの前に立ち、反応を受けることは何事にも変え難いですね。自分が初めてファッションショーをした時も、ファッションショーでこんな気持ちになれるのだと感じたことは忘れられないですし。
太田
特にパリに行くと反応がストレートなのですよ。ものすごい拍手喝采になるか、さっぱり反応がないかのどちらかなので。そういった緊張感もオンラインでは感じにくいですね。
太田
森永さんは2019年の「毎日ファッション大賞」を受賞されたのですが、2021年度はTOMO KOIZUMI(トモ コイズミ)が受賞しました。僕は何年も審査に携わっているのですが、2021年はどんな議論が出たかというと、「かっこいい服」、「良い服」をつくる人は世の中にたくさんいるのだけれども、今はコロナという訳のわからない時代。だからこそ、強烈な個性で「なんだこれは!誰が着るんだ!」というようなクリエイションにあえて注目したっていいじゃないかと。そんな議論になり、一気にトモコイズミが浮上してきたのです。
立野
そんな背景があったのですか。
太田
長い間、アメリカのファッションデザインをはじめ、たくさん売れる服をつくってきました。ところが、アメリカではもう一つ大事な系譜があって、それはハリウッドとブロードウェイ。これらを専門に面白い服をつくってきた作家が大勢いる訳ですが、ここ数年いないのですよ。服飾の教育はみんなビジネスの方に流れてしまった。この流れにはアメリカの中でも反省があって、売れる売れないの役割だけではなく、歴史や記憶に残るものをつくることが大切だという議論が始まっているのですよ。
立野
ほう。
太田
だから、去年受賞したトモ コイズミの服はそういった意味で選ばれたのです。受賞の一週間後にオリンピックの開会式があったのですが、歌手のMISIAさんがトモ コイズミの衣装を纏って出演していましたね。
立野
あの衣装がそうだったのですか。
太田
はい。ですから森永さんも、売る売らないではなく記憶に残る面白いものや発想が今までと違うもの。あるいは、先ほどお話しいただいたデジタルアートなども大切な仕事だと思います。アンリアレイジが大切にしている日常ももちろん大切なのだけれども、「非日常の中に、いずれは日常のへと落とし込める貴重な財産が眠っている」というのがファッションデザインの不思議で面白いところだと思うので、森永さんには頑張っていただきたいですね。
森永
ありがとうございます。
立野
私たちのカタログの中には売れる商品と、私たちの技術を活かした製品があるのですが、後者の製品を掲載しないと「ユニオンは平凡なものしかできないのか」と思われてします。だから持っている技術やデザインなどを存分に打ち出して見てもらうことも大切にしています。単調なものばかりつくっていると技術が廃れていってしまうのではないかと思いますから。
太田
同感です。チャレンジすることで技術が発展していきます。
立野
ファッション業界も同じですよね。
太田
永遠の未完成、みたいなね。何度取り組んでも完成しないけれど、その先にもっと大切なものがありそうだということが今求められている要素なのではないかなと思います。たくさん売ることだけがファッションではないので。
立野
もちろん企業にとっては売れてほしいですがね(笑)。
太田
もちろんそうなのですが、もっと文化的で価値のある驚くようなアイデアが出てくることが今はとても大切なのかな、と。
立野
森永先生が大切にされていることの一つに、「手作り」も含まれているかと思います。手作りだと大量生産ではないので数が少なくなってしまいますが、そういったものに私は魅力を感じるのですよ。高価ではあるけれども、数が少ないぶん大切にしようと思えますし。
太田
世界は盛んに脱炭素を掲げ、石油を使わない電気自動車に移行しようとしています。電気自動車が普及し動力がモーターになっていくと、ドライブの際に振動を感じられる車に乗れなくなってしまいますね。ですが、逆にそういったものは数台残さなくてはいけないと思うのですよ。その数台に価値があるはずですから。そのうちみんなが電気自動車に乗って、音もなく走っているだけになる。それだけで「自動車は面白くもなんともない」と思う人がたくさん世の中に生まれてしまうはずです。ファッションにも同じことがいえますね。
森永
すごくわかります。私も「トヨタオリジン」という2000年の車にずっと乗っているのですが、やはりエンジンの音や振動が人類の遺伝子的に好きなのだろうなと感じますよ。服の話をしますと、仮想空間で服を買ったり纏ったりすることが今後増えていくと思うのですが、何千万年という人類の歴史を考えると、人が何かを身につけるというフィジカルの可能性は、ここ5年くらいで生まれた仮想空間での所有の感覚には絶対に負けないと思います。同時に、そこにファッションの強さが最終的にあるなと感じますね。
立野
自分の思想や信念のこもった作品を、自分ではない誰かが身にまとう。そして多くの人に喜んでもらえる“ファッションデザイナー”という素敵な職業は他にないと思います。しかし、新しいものをつくる苦しみもあると想像します。アイデアはぱっと思いついたりもするのでしょうか?
森永
私の場合は、限られた空間の限られたものを徹底的に観察して、自分がまだ気づいていなかった部分を見つけ出すタイプです。作品づくりのために新しい場所へ行ったり、旅をしたりすることはほとんどありません。ですから、この10日間の隔離期間は自分にとっては良い生活なのかもしれませんね(笑)。
立野
(笑)。
森永
改めて自分の身の回りを観察することができる機会になりそうです。
立野
いつか、先生とも直接お会いしたいですね。世の中が落ち着いたらぜひ、パリに呼んでください。
森永
はい。直接お会いできること、楽しみにしております。
(終了のお知らせ)
一同
ありがとうございました。
Planning:宮本 尚幸
Photography:北浦 佳祐
Writing:太洞 郁哉
Web Direction : 貴嶋 凌