立野純三(たての・じゅんぞう) 
株式会社ユニオン代表取締役社長

1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。

河瀬直美(かわせ・なおみ)
映画監督

生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける映画作家。
一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリーフィクションの域を超えて、
カンヌ映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。
世界に表現活動の場を広げながらも故郷奈良にて2010年から
「なら国際映画祭」を立ち上げ、後進の育成にも力を入れる。
2018年から2019年にかけてパリ・ポンピドゥセンターにて、大々的な「河瀬直美展」が開催された。
東京2020オリンピック公式映画総監督、2025年大阪・関西万博のプロデューサー兼シニアアドバイザー、
バスケットボール女子日本リーグ会長、ユネスコ親善大使を務める他、CM出演、エッセイ執筆など
ジャンルにこだわらず活動を続け、プライベートでは野菜やお米を作る一児の母。
(http://www.kawasenaomi.com/kawase/より引用)

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「河瀨直美と語らう」ある日の午後、事務所にて。

一. 豊かになると貧しくなるもの

  • 立野

    河瀨さんは映画監督でいらっしゃいますが、私、失礼ながら映画を見に行くという習慣がなく、飛行機で海外に行く時などに拝見する程度でして。ただ、監督がどのような映画を手掛けられているかは存じ上げています。

  • 河瀬

    ありがとうございます。

  • 立野

    監督は奈良県出身ですね?

  • 河瀬

    奈良県の奈良市出身です。1997年にカンヌで初めて受賞した作品、『萌の朱雀』は奈良県の西吉野で撮影した作品で、吉野出身だとよく勘違いされます。この作品は、約26年前の作品です。

  • 立野

    かなりお若い時に受賞されたのですね。

  • 河瀬

    はい。史上最年少日本人初でカメラドール(新人監督賞)を受賞しました。この作品を撮影するために西吉野に行ったのですが、西吉野で暮らす一部の皆さんは川の水で生きているのですよ。

  • 立野

    ほう。川の水でですか。

  • 河瀬

    私は水道を捻ればお湯が出てくる時代に生まれているので、それがカルチャーショックでした。雨が降ると水が濁るので、雨が降るということを察知してお風呂に水を溜めないと泥水になるということをお話ししてくださいました。飲み水の衛生面は夫や」っておっちゃんたちが話すわけです(笑)。

  • 立野

    (笑)

  • 河瀬

    たくましいなと思いましたね。昔から人間はこうやって自然と共生してきたんだなと感じました。安全で快適な生活を目指して人間は進化してきたのだけれども、かたや自然の一部である人間の感覚を忘れてしまってどんどんコンピューターが発展し、バーチャルの世界がリアルな世界であると勘違いしてしまう現象が起きています。この現象がより進んでしまうと、生身の人間の関係性が薄くなってしまうのではないかと思うんです。

  • 立野

    確かに。豊かになるにつれて、人間味がなくなったようにも感じます。

  • 河瀬

    本来は、温かみのある心の豊かさを求めてしまうのが人間だと思うんです。温もりを感じる関係が薄くなって、孤独を感じてしまうのだろうなと。自殺者が増加するなどの社会現象は、発達したからこそ起こっているような気がします。貧しかったけど豊かだったもの。そういったテーマを映画にしてきました。

  • 立野

    なるほど。吉野には、今年行く予定なのですよ。

  • 河瀬

    そうなんですね!

  • 立野

    吉野に大学の後輩がおりまして。吉野も生駒も自然が多く良い場所ですね。昔はイタチやヘビなど野生の動物をよく見ましたが、最近は見ません。自然がなくなってきてバランスが崩れてきているのでしょうか。

  • 河瀬

    山の開発や住宅街の開発などで野生の動物が追いやられて、畑が荒らされる被害が出ているようですね。やはり人間本意でバランスを欠いた開発を進めていくとどうしても歪みが出て、それが結局は自分達に返ってくる。

  • 立野

    ほんとうに。

  • 河瀬

    西吉野の村のおじさんが話していたのですが、例えばお金がなくなって生きていけなくなったとして、自分達にはこの土地があると言うんです。耕せば、芋でもなんでも作ることができるのだと。生きるっていうのは基本的にはそういうことで。でも、お金を儲けるためにみんな都会に出ていく。お金は経済活動というものがあるから価値があるのだけど、本来生き物としてはお米や芋を作って、食べて、隣人とシェアしながら助け合って生きていくものなんだと。お金を払ったらなんでも手に入れられると勘違いしてしまっていると、大変なことになりますね。

  • 立野

    今はこれだけ物価が高騰していて、お金を持っていても買えないものが増えてきている時代ですからね。

二. 映画の感動を行動に移すことができたら

  • 立野

    昔、セーブ・ザ・チルドレンと出会いがありまして、多くの方々と協力しセーブ・ザ・チルドレンジャパンを設立しました。設立した30年ほど前の日本は豊かでしたから、恵まれない子どもはほとんどいませんでした。それで海外を支援していこうと、フィリピンのスモーキーマウンテンやベトナムなど世界各国の支援をさせていただきました。それが今や日本の方が恵まれない状況になってきている。今後は日本の子どもたちをどのように支援をしていくか。それが大きな課題になってきています。

  • 河瀬

    世界に目を向けて支援を進めていくことは非常に重要だと思います。一方、実は日本の隠れたところにさまざまな事情を抱えた家庭がありますから、自国の子どもたちについて考えていかなければなりません。

  • 立野

    同感です。

  • 河瀬

    2020年に『朝が来る』という映画を創ったのですが、この作品は特別養子縁組の話が軸になっています。特別養子縁組をする側は良いことをしているということで、表に取り上げられるのですが、その子どもたちの背景には、多くの問題を抱えた親が必ずいます。実際、若年層の妊娠が問題です。誰にも相談できずに中絶のタイミングを失ってしまうことや、出産後の育児放棄など、様々な問題を孕んでいます。

  • 立野

    誰にも相談できずにロッカーに捨ててしまったり。

  • 河瀬

    悲しいことです。特別養子縁組を斡旋している団体とは、そういった実母を保護して子宝に恵まれない家庭につなぐというものですが、作中で私が描いた実母は14歳の少女。子どもを産んだという記憶は、彼女の体の記憶として残り続けるのですが、社会からは無かったことにされてしまう。これが心の傷になり、家にもいられなくなって結局一人で生きる道を選んでしまう。その後の彼女の数年はとても苦しい時間となります。

  • 立野

    はい。

  • 河瀬

    では、彼女のような子をどのポイントで救うことができたのだろうと。もし、妊娠したことを周りの人に打ち明けてしまうと、学校でいじめの対象になってしまうことも想像できます。社会や地域のコミュニティは、一度失敗してしまった人間に対して不寛容になりすぎて、生活しづらくなっていく。

  • 立野

    作品を観た方からは、どういった反響がありましたか?

  • 河瀬

    男性の方がショックを受ける人が多かったようです。そんな問題を抱えている少女がいることを知らなかったようで。そういった感想をいただいた男性の中には、「自分達に何かできることがあるのではないか」、「勇気を出して手を差し伸べることができたら、作中の女性のように困っている子を救うことができるのではないか」と思ってくれたみたいで。反響がたくさんあって驚きました。

  • 立野

    私はね、そう感じた男性たちに行動を起こしてほしいのですよ。

  • 河瀬

    そうですね。

  • 立野

    感動するだけではなくて、行動に移す。それができる人が一人でも増えれば世の中は良い方向に進むと思います。例えば、安藤先生(安藤忠雄氏)は行動される方なのですよ。2020年には、「こども本の森中之島」という図書館を子どもたちのためにつくられました。

  • 河瀬

    安藤さんのような自ら動いて何かを勝ち取ってこられた方っていうのは、成功体験がありますし、人々と確かな信頼関係が構築されていると言うこともその行動力の背景にあるかもしれませんね。

  • 立野

    そうですね。

  • 河瀬

    今の時代の人たち、特に最近思うのは、メディアが勇気を持って行動を起こした人に対して、悪意を持ってその人の足を引っ張ろうとする動きが見られること。今は雑誌だけでなくインターネットで、ある事もない事もどんどん拡散して陥れようとする。なにより陥れることができる世の中になってしまった。だからみんな、行動を起こすことに消極的になってしまったのではないでしょうか。

  • 立野

    確かに。そういった流れはここ最近目立つようになってきたと感じます。

三. 幼少期、感性の種に水をやる

  • 河瀬

    ふと思い出したのですが、東大寺で映画の撮影させていただく際、お寺の方に「ご迷惑をおかけすると思います」と挨拶をしたのですが、「迷惑はかけるものです」と言われたことがあります。

  • 立野

    ほう。

  • 河瀬

    人間が何かをしようと思ったら迷惑はかけ合うのだから、それは気にしなくていいと。当時、私は20代だったのですが、その言葉をいただいたとき、逆に迷惑をかけずに頑張ろうと思えたんです。だから今、私も若い世代の人々には思いっきりやってほしいと思います。

  • 立野

    同感です。

  • 河瀬

    人間だから失敗はします。失敗したら、それをどう乗り越えるか。迷惑をかけた人にどう対応をするか。逃げてしまったり、失敗を繰り返したりすることもあるかもしれませんが、周りの先輩がフォローする。そんな循環が必要かもしれませんね。

  • 立野

    監督がおっしゃるように、これからの未来を担っていく若者を育てていくことに力をますます入れていかなければいけません。本来、個性を引き出すような教育を進めなくてはならないのに、画一的な教育が進んでしまいました。

  • 河瀬

    みんな平等。みたいなね。

  • 立野

    はい。勉強ができる人と、できない人がいてもいいのではないですか。個性を見出す中で、挫折する人間と、頑張る人間にも分かれていきます。監督という職業も個性が必要だと思いますから、人それぞれが持っている個性を伸ばしていく教育をしていかなければならないでしょう。

  • 河瀬

    そうですね。

  • 立野

    そういった教育をするとなると40人のクラスだと多すぎて見落としてしまうので、20人くらいに絞り、集中的な教育をしてより多くの個性を引き出し、磨いていくことが必要です。

  • 河瀬

    日本社会で、国の経済を動かすような職業に就かれる方たちは学生時代にすごく勉強をされたと思うんです。そういった教育の中で決定的に欠けているのが、文化や芸術の分野を学ぶ時間だと思うんです。

  • 立野

    日本は、美術館に積極的に行く人たちが欧米と比べて少なく、美術や芸術が身近じゃないという事もあるでしょうね。

  • 河瀬

    ヨーロッパの美術館に行くと、学生や小さい子たちが、美術館の中で座り込んでスケッチをしていますよね。あの光景には驚きました。

  • 立野

    私も最初は驚きました。

  • 河瀬

    日本の美術館は、世界で評価されている本物の美術品をショーケースの中に入れて、遠くからしか眺めることしかできません。つまり、本物に触れられる機会が少ないのです。日本は歴史ある国なので貴重な文献も多々あるのですが、本物の作品に対する敷居が異常に高い。そうすると次の世代である私たちを含め、未来の子どもたちは、そういった貴重なエッセンスを享受することができません。

  • 立野

    もったいないですよね。

  • 河瀬

    本当にそう思います。それに加えて、一芸を極めた人の言葉を直接聞く機会が芸術に関してはあまりにも少ない。教育は学校の中だけで受けられるものではないと思うのですが。立野社長の時代は学校の先生が絶対的な存在だったわけですよね。

  • 立野

    そうですね。

  • 河瀬

    先生が人間力を育む教育に注力せずに、教科書に記載していることを伝えるだけになっていてはいけません。むしろ学校では友達や先生と関わる中で人間力を培う場所だと私は思います。

  • 立野

    ヨーロッパの美術館に広がっている光景からもわかりますが、美的感覚や思考の根幹がそもそも違ってくるのだと思いますね。

  • 河瀬

    あと、多様性を尊重することが大切ですよね。かけっこはダメでもお絵描きが得意だったら、その子はお絵描きのスキルを伸ばしてあげる。私は芸術系の人と普段から一緒にいるから特に感じるのですが、幼稚園時代にとっても素敵な絵を描いていた子が、小学校に入ると描けなくなってしまうことがあるようです。「こう描かなければいけない」と決められてしまい、自由に描けなくなって絵を描く意欲が無くなってしまう。幼少期は感性の花を咲かせてあげて、そこから理論的なことを教育するなどしてもいいのではないでしょうか。

  • 立野

    感性を磨く上で、幼少期の経験は重要ですからね。賛成です。

四. 脚本ではなく感情に沿うこと

  • 立野

    先日、レオナルド・ダ・ヴィンチの番組を見て感銘を受けましてね。地球照の存在に気づいたこともそうなのですが、ミラノの街の地図を俯瞰で描いたこと、そしてその正確性には驚きました。

  • 河瀬

    ダ・ヴィンチといえば建築のイメージもありますね。

  • 立野

    そうですね。土木もですし、医学も科学もすべて網羅している。まさに天才だと思います。

  • 河瀬

    実は私、建築家になりたかったんです。

  • 立野

    そうだったのですか!

  • 河瀬

    はい。藤本さん(藤本壮介氏)にも話したのですが、コロナ禍に入る直前にダ・ヴィンチの展覧会がルーブルであったのですが、実物の作品が数点残っていてそのいくつかが展示されていました。その中に建築に関する作品もあったのですが、すごく精密で感動しましたね。日本で言うと南方熊楠とよく似ているなと思いました。

  • 立野

    熊楠も天才ですからね。そういった天才を育むためにも、教育のあり方は見つめ直さないといけません。

  • 河瀬

    同感です。普通の枠に収まることも大切かもしれません。みんなが普通じゃなくなったらカオスな世の中になってしまいますから。でも、そこからはみ出ているものこそ、個性だと思いますし、それを認めることが大切だと思います。

  • 立野

    映画監督を目指すのであれば特に必要かもしれませんね。

  • 河瀬

    私はどちらかというと変わった子どもで、それこそ枠にはまりたくないという気持ちがあふれていましたから。先ほどダヴィンチの地図のお話がありましたが、いつからか私は頭の中で物事を俯瞰的に見ているようなんです。

  • 立野

    ほう。気がつかないうちに?

  • 河瀬

    はい。道を人に教える時も、詳しく説明ができるのですが、「なんでそんなことまで覚えているの?」と言われます。どうやら、頭の中で写真を撮っているようです。

  • 立野

    と、言いますと?

  • 河瀬

    写真のように映像が頭の中に保存されていて、それを見ながら話しているような感覚なんです。だから、脚本を文字にするのはめちゃくちゃ早くて。それは、文字で考えているのではなく絵でキャッチして、ストーリーを組み立てているからだと思います。映像を組み立てられたら、文字を書くのに1週間もかかりません。

  • 立野

    じゃあ、台本のつくりも少し違う?

  • 河瀬

    一応台本は出演される俳優さんの事務所を通さないといけないし、プロデューサーにも見せなければいけないので書きますが、その脚本通りに撮らないことが多いので、現場で俳優には「脚本は一回捨ててくれ」と話すこともあります(笑)。

  • 立野

    (笑)

  • 河瀬

    役になりきってそこにいてさえくれればそれでよくて。あと、小道具なんかも自分で管理してもらいます。

  • 立野

    自宅でですか。

  • 河瀬

    はい。そうすることで愛着も湧きますし、画には見えないかもしれませんが、「あなたの感情がそこに宿るから」と話しています。あと、撮影にはスタッフの動きが非常に重要で、例えば衣裳部やメイク部は俳優の今の心の動きをキャッチして私に報告してもらいます。

  • 立野

    ほう。

  • 河瀬

    「今日、俳優さんはこんな気持ちを抱えている」ということを私が知ることができれば次のシーンの入り口を決めることができます。俳優の感情を鑑みて、脚本通りに進めていけるのであればそのまま放置するのですが、それがうまくいかないのであれば一度ディスカッションをするか、カメラが回っている時に私がメモをさし込んで、それをもとに感情を紡いでゆくなどします。

  • 立野

    俳優さんたちが役を演じるために使うエネルギーというのは計り知れませんからね。

  • 河瀬

    そうですね。スタッフがあらゆるパターンを想定して、監督が何をいっても対応できるように準備をしておくということが大切です。

  • 立野

    河瀨組は柔軟に対応できるスタッフさんが集まっているわけですね。

  • 河瀬

    演出、録音、照明など、メインスタッフはレギュラーがいます。黒澤明さんが亡くなられた後も黒澤組が黒澤映画を撮ることができたそうです。本人が不在でも、「この場面なら黒澤さんはこうしていただろう」というのがわかっていたのでしょうね。

  • 立野

    映画は監督だけでなく、チーム全体でつくりだすものなのですね。

五. 人生を追うように映画を撮る

  • 立野

    映画を撮影する際、資金集めが大変だと伺います。

  • 河瀬

    大変です。エンターテイメントの世界なので、かけたお金を回収するということが大前提なのですが、最近では配信コンテンツが発達し、映画館で映画を見る人が少なくなってはいます。

  • 立野

    そうですね。

  • 河瀬

    名画座みたいな映画館がどんどん無くなっています。

  • 立野

    現状としては、あまり良い状況ではないわけですね。

  • 河瀬

    そうですね...。少し話が変わりますが、実は私は両親を知らずに育ちました。物心がついた時には子どもがいない老夫婦のところに養女としてもらわれていました。そんな状況だったので自分自身がどこから来たのかがよくわからない。自分はなんで生まれてきたのかがわからず、悶々としていました。

  • 立野

    そうだったのですか。

  • 河瀬

    その時に映画、正しく言うと8ミリフィルムに出会ったんです。映画を撮るというよりは、この世界を映すことに魅力を感じました。時間が流れ、誰しもが老い、絶対に死ぬじゃないですか。映画は撮れば遺り続けていくし、すごいものだなって思ったんです。私は、出自をネガティブに思っていたのですが、映画の中ではポジティブに変換することができると気づいたんです。そういった実人生と映画人生が両輪に動き出したときに、ようやく自分が生きている実感を得ることができたんです。

  • 立野

    映画は監督の人生と並走していくものだったんですね。

  • 河瀬

    そうなんです。なので、映画は自分の人生を豊かにするアイテムだったので、お金がいくらかかるかとか、いくら儲けられるかとか以上に、ライフワークになりました。今を8ミリフィルムで撮っただけでこの日常が、自分が生まれてきたことに役割を見出すことができて嬉しかったんです。普通、20代の女の子ってファッションを楽しんだり、お友達とお買い物に行ったりするものですが、私はとにかくお金が入ったらフィルムを買って撮影していました。

  • 立野

    なるほど。その幼少期の原体験が河瀨監督を生み出したわけですね。

  • 河瀬

    はい。初めてつくった自主映画『につつまれて』は、お父さんを探し出すという題材で制作しました。この作品はドキュメンタリーで劇場公開もしていない40分ほどの8ミリ映画です。それから、養母のなんでもない日常を撮った作品『かたつもり』が国際映画祭にも取り上げられ、それを経て『萌の朱雀』の脚本を書くことになります。

  • 立野

    そうだったのですか。

  • 河瀬

    養母が97歳で亡くなったとき、もう自分の人生に寄り添ってくれる人がいないと思いました。そんな折にふと、自分の戸籍を調べてどこに行き着くかを調べたんです。すると、奄美大島に行き着きました。

  • 立野

    奈良ではなく、奄美大島ですか。

  • 河瀬

    不思議ですよね。奈良という海のない県で育っているのに、戸籍を調べると周りが海で囲まれている島にルーツがあると。それで、奄美大島に訪れて集落で暮らしている方に話を聞いたら「知ってるよ!あんた、あのおばあちゃんのひいひい孫やな!」って言われて。

  • 立野

    それはすごいですね。

  • 河瀬

    奄美大島は薩摩や琉球に支配されていた土地なので、来るもの拒まず、出るもの追わずっていうスタンスで、訪れた人には「おかえり」って言ってくれるんです。ましてや、血のつながっている人となると親戚のように接してくれて。

  • 立野

    それは嬉しかったでしょう。

  • 河瀬

    嬉しかったですね。それで、その集落で撮った映画もカンヌに正式招待されました。

  • 立野

    自分の人生を追うように映画を撮っていらっしゃる。お金に頓着がないというのも納得です。

  • 河瀬

    そうなんですよ。いや、まったくお金のことを考えていないというのは語弊がありますが、想いをぶつけて行動してきた結果、今ここにきたという感覚です。

  • 立野

    そういった想いが観客にも伝わるのでしょうね。賞を獲るに至っているわけですから。

  • 河瀬

    海外にも出たことがない、奈良で育った私が撮った映画がカンヌで賞を獲るなんて驚きましたね。日本の映画業界の関係者もみんな驚いていました。

  • 立野

    私たちは金物、主にドアハンドルをつくっているのですが、そういったプロダクトは建築に必ずついているんですよ。そして、その建物がある限り関わった製品は存在しています。だから社員たちも、子どもに誇ることができるんですよ。「これ、お父さんが関わっているんだよ」と、見せることができる。ものづくりというのはそういった仕事です。今、監督のお話を聞いていて通ずるところがあるなと思いました。自分がつくったもの、関わったものが世に遺っていく。こんなに嬉しいことはありませんね。

  • 河瀬

    建築をやりたかったというのもそういった理由なんです。建築というよりは環境デザインに近いのですが、橋をつくったりポストを設置するとか自分のデザインが自分が死んだ後もこの世に遺っていく。そして、橋やポストを利用してくれる人がいる。空間というものが人を守り、生かすことにつながることもあると思うので、素晴らしい仕事だと思います。

六. 混沌の時代にキッカケを生むパビリオンを

  • 立野

    監督は2025年に開催される万博でパビリオンを手掛けられます。どのようなパビリオンになるか楽しみにしているのですが、少しお話をいただけますか?

  • 河瀬

    「いのちを守る」をテーマに掲げ、パビリオンを担当します。そもそも、パビリオンの話が私のところに来るとは思っていませんでした。私でよければとお受けしたものの、空間をつくることにもちろん憧れはあったのですが、空間をつくったことはないし、ましてや万博のパビリオンをプロデューサーという位置で見させていただく立場は、1970年の万博でいうと岡本太郎さんと同じポジションです。なので、何をどうしたらいいかわかりませんでした。

  • 立野

    大きなプレッシャーもあるでしょう。

  • 河瀬

    はい。しかも「いのちを守る」ってすごく重みのあるテーマじゃないですか。だから「守る」ということについて改めてしっかり考えようと思いました。その時に行き着いたのは、敵みたいなものから身を守ること。例えば、命が危険にさらされる戦争や差別も敵かもしれないと考えた時に、自分の命を危険に晒しているのは自分の心なんじゃないかと思ったんです。

  • 立野

    ほう。

  • 河瀬

    もし、国境を超えて人種や宗教観が違っても、他人の中にも自分がいると思うだけで、戦争は起こらないはずなんです。なぜなら、誰も悪意を持って自分を殺そうとは思わないわけだから。そういった感覚を持てるようなパビリオンにできないかなと思ったんです。

  • 立野

    素晴らしいですね。

  • 河瀬

    ありがとうございます。これは一つの案なのですが、パビリオンに来場した人たちに“玉”を持って帰ってもらって、それを自分の国に帰った際、12人に渡してもらう。来場者全員がその行動をすれば地球上にいる78億人全員に“玉”が行き渡る計算になるんですよ。

  • 立野

    面白いですね。

  • 河瀬

    「人類がなぜ戦争をやめないのか」というテーマは、芸術家の一人として最も大きなテーマと言っても過言ではありません。腹が立つこともあるけれども、自分の中で堪えてお互いに譲り合って進んでいく道があるのではないかと思うのです。

  • 立野

    はい。

  • 河瀬

    私は、戦争ほど負の連鎖はないと思うんです。芸術の力で戦争をなくしたいとは思うのですが、やはり限界があります。そんなことを考えているときに、ロシアとウクライナの戦争が起こり、この万博が開催されることになりました。私は、今回の万博は一つのきっかけづくりにしかならないと理解した上で、混沌とした時代のさまざまな価値観がある中で対話を通して理解し、意見を交換する場をつくりたいと考えています。

  • 立野

    対話ですか。

  • 河瀬

    はい。対話にはシナリオもなくて、何が起こるかわからない。その空間を見つめ、その場所で起こったことをアーカイブしていくんです。

  • 立野

    それは膨大な量のアーカイブになりそうですね。

  • 河瀬

    なので、アウトプットとして「離れシアター」というものをつくり、そこで“記憶をアーカイブしていく”というある種実験のようなことをしたいなと。だけれども、私たちはもとより勿体無いことをやりたくないと主張しています。大きなお金を使って6ヶ月だけ開催して、壊すという流れが、そもそも今の時代にそぐわないわけですから、最初から新しくパビリオンを立てるということはしません。

  • 立野

    では、どのようにしてパビリオンをつくっていくのでしょうか?

  • 河瀬

    廃校になった小中学校を解体して移築します。建築的には難しいものになるかもしれませんが、逆に新しいと思っています。「記憶」を移築するんです!また、会期終了後もどこかに移築して活用したいと思っています。

  • 立野

    ほう。興味深いですね。

  • 河瀬

    もとに戻すのではなく、新しい命として万博に存在できればと。これはある種、今の人類に対する投げかけです。70年万博は「人類の進歩と調和」と大きく打ち出していましたが、岡本太郎さんはこのテーマに対して否定的だったんです。太陽の塔も表は明るく未来を表しているけれども、背中は黒く過去をしっかりと表現している。これから進んでいく先に危うさを感じていたんでしょうね。あれから50年以上が経ち、2025年万博では日本人が古来から培ってきた精神性みたいなものを伝え、広げていければと考えています。

  • 立野

    素晴らしいですね。この万博で子どもたちが何かに気づいたり、希望を持てるようなパビリオンをつくっていただけたらと思います。70年万博も、多くの子どもたちが興味を持って何度も足を運んでいた。子どもたちが未来を背負っていくわけですから、戦争のない世界の素晴らしさを感じてもらったり、戦争は不毛なものであると再認識できるような催しになればいいですね。

    (終了のお知らせ)

  • 一同

    ありがとうございました。

  •  

     

  •  

     

  •  

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    Photography:北浦 佳祐
    Writing:太洞 郁哉
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