立野純三(たての・じゅんぞう)
株式会社ユニオン代表取締役社長
1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。
永⼭祐⼦(ながやま・ゆうこ)
永⼭祐⼦建築設計
1975年生まれ。1998年に昭和女子大学生活美学科を卒業後、青木淳建築計画事務所での勤務を経て、
2002年に永山祐子建築設計を設立。2020年から武蔵野美術大学客員教授。主な作品に
ルイ・ヴィトン大丸京都店、カヤバ珈琲、JINS PARK前橋、ドバイ国際博覧会日本館、
東急歌舞伎町タワーなど。主な受賞に「ロレアル賞奨励賞」「JDC Design Award奨励賞」
「AR Awards優秀賞」「ARCHITECTURAL RECORD Award (USA), Design Vanguard 2012」
「iF Design Award 2023」など多数。2025年大阪・関西万博ではパナソニックグループパビリオン
「ノモの国」、ウーマンズパビリオンin collaboration with Cartierを手がける。
現在は東京駅前常盤橋プロジェクト「TOKYO TORCH」が進行中。
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立野
大阪・関西万博でもパビリオンを二つ担当するなど、いろいろとご活躍されていますね。
永山
そうですね。バタバタしていますけど、楽しくさせてもらっています。
立野
万博は順調ですか。
永山
二つとも引き渡しましたので、もう完成しています。
立野
どこのパビリオンでしたか?
永山
一つはパナソニックで、もう一つはウーマンズパビリオン(ドバイ万博日本館をリユースした館)です。
立野
ウーマンズパビリオンもそうですが、パナソニックもユニークな外観ですね。
永山
ありがとうございます。子どもたちの可能性を引き出す「ノモの国」というパビリオンです。「ウーマンズ」と「ノモの国」という両方とも私にすごく近いテーマなので、自分ごとのように感じながら関わっています。他のみなさんもパワフルな女性ばかりで、お互いに刺激し合いながら取り組みました。
立野
まさに女性の時代の到来を感じます。これまでの日本では「これは男性、これは女性」と役割が決まっていたと思うのですが、最近は建築業界でもダンプカーの運転手で女性を見かけるようになりました。
永山
現場にも増えてきましたね。
立野
多様性が求められていますが、こうした役割の枠を取っ払うことは絶対必要だと思います。先生も建築界でそういった枠を壊されたイメージがありますが。
永山
私というよりは、先輩たちが切り拓いてくれたと思っています。昔だと、男勝りになってそういう分野に割って入っていく感覚だったと思うのですが、今は女性が女性として自分の特徴を活かしながら自然体で仕事ができている。すごく幸せなことだと感じます。
立野
先生の作品を東京でじっくり見たいのですが、まだ機会がなくて。
永山
お住まいはどちらですか?
立野
神戸です。東京への出張も日帰りが多いので、ゆっくり滞在することもありません。先生が関わられた東急歌舞伎町タワーが話題ですね。
永山
あのビルの中から見ると、東京らしいカオスな新宿の風景が眼下に広がっているので、ぜひ一度ご覧いただきたいです。
立野
外観が特徴的ですね。ああいう発想は、どういうときに閃くのですか?
永山
その土地のコンテクストをじっくり読み取って、何を表現していくべきなのかを突き詰めたときに、デザインのインスピレーションを得ることが多いですね。歌舞伎町の場合、この辺りは昔は沼地で今でも水の神様である弁財天が祀られています。イメージしたのは沼地から湧き上がる戦後復興を思い描いた人々、今後ここに関わっていく人々の想いを象徴するような噴水です。
立野
だからこそのあの噴水のような見たことのない外観なのですね。一つ新しいものを建てて、それが時を経て街に溶け込んでいく、そういう発想でしょうか。
永山
そうですね。あれだけ大きなものをつくるのは初めてだったのですが、巨大な街の歴史に対して、一瞬とはいえすごく大きなアクションだと思うのです。でも、やはり東京や大阪といった大都市はなんでもすぐに飲み込んでいっちゃうのかな。いつの間にか日常の一部に変わって、風景の中に溶け込んでいったように思います。
立野
歌舞伎町もすごくパワフルな街ですよね。
永山
はい。そこに歌舞伎町タワーもすでに飲み込まれ、溶け込んでいて、それはそれですごくいいことだと感じます。
立野
斬新なデザインだと思いますが、閃いたことをクライアントに説得するのは大変ではないですか?
永山
それが意外とすんなりとイメージを受け取っていただきました。新宿だと西口に高度経済成長期に建った超高層のオフィスビルが立ち並んでいますが、歌舞伎町タワーはホテルとエンタメ中心の複合施設ですので、そもそもそれとは全く違うものを求められていました。ということで柔らかい表情だととても共感をいただきました。
立野
こうした今までにないものを実現するには、クライアントの理解とゴーサインがないと無理ですよね。
永山
本当にそうだと思います。よくこれを認めてくださったなと思って。いつも実現するたびに、私もそうですが、クライアントもチャレンジしているのだと感じますし、新しいものを求めている気持ちが重なったときに、プロジェクトって成功するのだと実感します。
立野
大阪って意外とそういうチャレンジする建物が少ない気がしますね。昔はいろいろなものを先に取り入れるといった挑戦が多かったですが、今は保守的になってしまって。建物一つ見ても、斬新な外装を使ったりとか、そういう試みが減っている気がするんですよね。東京のほうがさまざまな実験をしている感じで、都市全体が一つのデザインとしてつくられているように思います。大阪はポツンポツンと建物ができて、全体を見渡すと、こんな異質な都市はないっていう感じで。
永山
そうなんですね。でもここ(うめきたエリア一帯)は、梅田というこれだけのエリアの中でチャレンジングなことをしていますよね。すごく公園の割合が大きくて、気持ちいい場所ができたのだなと。
立野
大阪の中でこんな一等地にこれだけグリーンを残すっていうのは、今までなかったですね。
永山
こんなに広大な広場を真ん中に置くというのはすごいと思います。もちろん避難場所としての役割もあるのでしょうけれど。こういう余白のある開発が増えるといいですね。次に何かここでやりたいと思ったときに、ギチギチに開発されていると、もう誰も介入する隙がない感じになると思います。
立野
未来の大阪のための余白。そういう見方もあるのですね。
永山
今ちょうど、TOKYO TORCH(トウキョウトーチ)という、東京駅前の新しい超高層ビルに関わっているのですけど、これが建つと日本一の高さになります。ここも敷地の真ん中に広場があって、そことビルをつなぐ空中散歩道を考えました。
立野
なるほど、ビルの低層階の周囲をぐるぐると回遊できるのですね。
永山
都市のアクティビティというものにすごく魅力を感じていて。私たちも全く知らない国に行って、まず街を歩き回ってそこで感じたもの、直に感覚に訴えかけてくるものの強さって相当ですよね。そういうものを感じさせる建築を、東京駅前につくりたいと思っています。
立野
日本の表玄関ですからね。
永山
そうなんです。かつては江戸城の玄関口として栄えた場所ですが、これからは世界中の人を迎える新しい玄関になればと願っています。
立野
ニューヨークも、行くたびに新しいものに出会えて、毎回ワクワクさせられるという意味で都市としての良さがすごくあります。
永山
よく行かれるのですか?
立野
はい。そういう面で、東京にも世界中から訪れた観光客に、新しいビルで空中散歩をする体験が待っている。そういう初めて来た国でのワクワク感を、外国人は感じるのかもしれませんね。
永山
東京に住んでいる人にも、世界中から来た人にも、ここを歩くことで東京という都市が一望できて新しい発見に出会える、そんな空中散歩道と展望台にしようと思っています。
立野
大阪にも、そういうワクワクするような建築が増えるといいなあ。スペインはコロナの前は8000万人以上の観光客が海外から来ていたそうですが、私の予想ではそのうち1割、800万人はガウディの建築を見に行っていると思うのですよ。そう考えると建物ってものすごく大きな財産ですよね。
永山
本当にそう思います。
立野
それでいつも社員には、そんな誇りの持てる素晴らしい仕事に関われるようにと言っているんです。最近は大阪や他のいろいろなところを見ていると、建物って予算をケチったらいいものなんてできないと思います。
永山
それはもう声を大にして言ってください(笑)。
立野
先生のように理解のあるクライアントと一緒にいいものをつくっておられる場合もありますが、予算が抑えられているばかりに、せっかく考えたコンセプトやデザインがいざ完成してみると反映されていないというようなことが最近多い気がして、それがとても残念なんですよね。
永山
ガウディ建築のようにそれだけ多くの人を集めるというのは、かけたコストの何百倍も効果がありますから。今は何が高コストかという指標もないまま、ただ金額を見て高い、とにかくコストを下げろということが多いですね。みんな夢を持たなくなっている気がして、そういう今こそ大切なのは、誰かが描いた夢をきちんと実現したときのパワーをちゃんと感じられる建築です。そしてその効果を肌で感じてもらって、また次の夢をみんなで応援する、そんな風潮ができてほしいです。
立野
建物のここだけは自分のこだわりを貫いて何としても実現するんだという、そういう気概が今、特に若い人に欠けている気がします。昔の建築の先生などはここは絶対に折れないというところは貫かれていたと思うのです。先生のようにコストカットの圧力に屈さず新しい試みを実現するにはどうすればいいのか、ぜひ次世代の方たちに教えていただきたいものです。
永山
それは本当に難しいことです。私たちにも「この一線を越えたら、私たちが受ける仕事として難しいのでは」という局面がありますし、関わるのを辞めるかどうかまで考えることも正直あります。それでも私たちは結構柔軟に相手の要望を聞きながら、新しい落としどころを考えてみることにしています。
立野
もちろんそれも大切なことですね。
永山
予算がこれだけしかありませんというクライアントもいますので、その範囲内で何を達成できるとみんながハッピーになれるのか今一度考えます。良い建物がちゃんと建って、それがみんなに伝わることは絶対に必要だと思うので、どんなに予算が限られていても、伝えたい強い芯は残すように頑張ろうっていうのを、クライアントと仲間になりながら、一緒に叶えていこうという風にすることが多いです。
立野
本当に伝えたいことの芯は消さないのですね。
永山
はい。そうするとかえって、自分が最初にこだわっていた部分よりも、実は他にもっと大切なことがあるんじゃないか、と提案が進化することもあるんです。ごく自然にエゴみたいなものが消え去って、本当に大事な芯だけが残って、より良い表現になることも多くて、とても大事なプロセスだと思います。
立野
私も70年近くドアハンドルを仕事にしてきましたが、昔は建築家の先生がハンドル一つにしてもこだわりを持って、いろいろな無理難題を言ってきたものです。その要望に何とかして職人の方と一緒に応えて、それによって職人の技術や我々のスキルなども向上してきました。
永山
建築の世界で、職人の方々の存在は大きいですね。
立野
既製品を使ってもらうことも我々としては利益になるのですが、先生方にどんどん無理難題を言っていただかないと、いざ新しい建築をつくろうとなったときにそれを引き受ける職人がいないという状況になりかねない。そこで建築やデザインの方々にお願いしたいのが、どこか一部分でもいいので、新しい材料で新しいチャレンジをしていただけないかと。それを我々メーカーも一緒にさせていただくことで、日本が世界に誇れる建築技術を維持できると思うのです。
永山
ユニオンさんと一緒にやらせていただくと、こういう仕上げがほしいとか、もう少しこうしてほしいとか言ったら、すごく細かくカスタマイズしていただけるじゃないですか。逆にそういう対応をしてくださらないメーカーも増えていて、「ここまでしかできない」「これ以上すると保証できない」などと言われるんですけど、海外の工場に行くと、無理難題を言っても技術者が自分たちの機械を改造して製作の限界を超えてくれるんです。
立野
海外のほうがかえって柔軟なのですか。
永山
そうなんです。中国の会社などはそこまで対応してくださる。もしかしたらそれって昔の日本の感覚だと思うんです。
立野
そうですね。今の日本では失われつつあると。
永山
「自分たちにできるのはここまで」と言いつつも、プロジェクトごとに自分たちの水準を上げるということを日本でも行ってきたのだと思いますが、今それが海外で起きていて、中国やベトナムに行くと、若い技術者がすぐにサンプルづくりを試みてくれます。
立野
それは頼もしいですね。
永山
すると可能性の広がりを感じます。私はものづくりが好きなので、工場を見させてもらうと、自分のやりたいイメージがどんどん膨らみます。でも日本では自分たちの機械に手を加えてまで対応してくれる工場は少なくなっていて。
立野
日本でも40年前ならそういう難題に応えないと仕事が取れなかった。今はその時代の方々が引退されています。しかも仕事のきつさからか、給料の面からか、若い人が入って来なくなった。私が50年以上前に行ったニューヨークで初めて見たエンパイアステートビルなどは、真鍮やアルミなど鋳物は全部アメリカ国内でつくっていました。それが今のアメリカはつくらなくなった。
永山
日本も今そうなりつつあるということですね。
立野
はい。我々が真鍮をお願いしようと思えば、今では富山県の高岡か、海外ということになる。昔は大阪市内でも受けてもらえた。今後はこういう技術の継承をどう守っていくかが大事だと思います。先生がおっしゃるように海外に頼むしかない実情もわかります。ですが日本全体の空洞化が建築の裾野ですでに始まっていることも懸念するべきだと思います。
永山
そうですね。歌舞伎町タワーのときは、キャストの部分だけは日本でつくれたのですが、ほとんどを海外でつくらざるを得ませんでした。日本に建つものを、日本でつくれないのは非常に残念です。現在は工場の縮小化が進んでいて、なかなか国内で大きなものづくりができなくなっています。
立野
先生は東大寺とか木造建築に興味がおありですか。
永山
そんなに詳しくはないですが、一時期、取材で奈良に行っていろいろと見て回りました。あの当時の技術は今ではできないと聞くと、競争や切磋琢磨を通じて磨かれた技術の伝承というもが、いかに重要かと感じます。当時は大きな寺院を建てることで権威を示すところがありますよね。建築は機能だけじゃなくて象徴でもありますから。
立野
まさにガウディの建築もそうですよね。
永山
ええ。そういった象徴的なものに惹かれて人が集まり、そこで人間の叡智とか、想像力の高みみたいなものを感じ取る。建築にはそういうパワーがあります。先日ローマに行ったときにパンテオンも見てきたのですが、毎回驚かされます。光が差してくる感じとか、もうなんか人間を超えた、神の存在を感じざるを得ません。
立野
昔の人ってそういう光を上手く扱う方法を知っていますよね。
永山
私は幼少期にスイスに住んでいて、ヨーロッパ建築をたくさん見たのですが、大人になって建築を学び始めてから、改めてヨーロッパを訪れたときに、教会に入って、薔薇窓から光がバーッと入ってきたときに、もうとてつもない演出だなと。ひれ伏さざるを得ない状況をこんなにも巧みにつくるのかと驚きました。
立野
日本の神社仏閣なども同じでしょうか。
永山
そうですね。またちょっと光の扱いは違いますが、暗がりをつくることで、なんとなく畏怖を感じさせるというか、明暗を使い分けることによって人間の感覚がその場と一体化する感じがします。
立野
日本の場合、権力の象徴ってお城だったと思うのですが。信長の安土城も彼が神となってその権力を示すためのものだと言われていますが、寺院も含めてそのようになっていったのでしょうね。
永山
権力の象徴として建築が存在した時代とまた今は違ってきて、民主化というか、みんなのための建築になってきたと思うのですが、それはそれとして、とてもいいことだなと思います。そこにまた新しい可能性がありそうで。建築の持つパワーをどう活かすかが今後すごく大事なのではないでしょうか。
立野
先生は日本のマンションなどに関わられて、広さとか、住環境としてもう少しこうしたらいいなとか、感じるところはありますか?
永山
そうですね、たとえば都市に住むとなると、なかなか広い家が持てなくて、みんな自分の家に人を招かなくなっていますよね。昔は人を招き入れるのが当たり前で、住宅の中にも「ハレ」と「ケ」があったりして、住宅の豊かさにつながっていたと思うのですが、今はどんどんパーソナルになっています。
立野
確かに。パブリックな感覚が薄れていますよね。
永山
たとえばうちも、子どもたちがお友達の家に行って遊ぶ機会ってすごく少ないなって。私は自分が家をつくるときは、人が遊びに来てみんなで楽しめる感覚を大切にしています。どんなに小さくて狭くても、工夫次第で人と一緒に過ごせる、新しい場所をつくれるのじゃないかと思っています。
立野
昔は気軽に人を招き入れていた気がします。
永山
ちょうど今、小さなマンションのリノベーションをしているのですが、限られたスペースに人を招いたときに、どういう空間がつくれるかという観点で設計をしています。そういう思いで住宅を見直していくと、ただ機能的というだけじゃなく、部屋の考え方ももう少し柔軟になるかもしれない。うちなんかは本当にワンルームなんですよ。みんなでお布団を敷いて川の字で寝て、人が来るときはそれを畳んでその場所で迎えます。
立野
工夫があれば可能性は広がりそうですね。
永山
以前、中古の戸建て住宅のリノベーションをしたことがあるのですが、そこも大きなお家ではなかった。お茶の先生のお家で、自宅で教室を開きたいのだけど、部屋数が足りないんです。それで、主寝室をお茶室に変えられるようにしました。お布団は三つ折りのマットにして、昼間はそれを畳んで仕舞うとお茶室として香炉も置いて使えるようにして、ちゃんとそこで教室を開いています。本当に工夫次第でなんとかなるんです。
立野
昔に比べて、日本人も体格が良くなってきて、でも家の天井は低くなっている。なので、もう少し空間に広がりがあれば、それだけで豊かになると思います。売る方にしたら一つの土地にたくさん建てて売るほうがいいですけど、そうじゃないだろうと。人が訪れてコミュニケーションが増えたり、自分の生活や趣味も楽しめたり、そういう住環境がいいですよね。
永山
そう思います。そうやって人を招く空間になると、自然とインテリアの素材だったり、ドアハンドルのディテールだったりにこだわると思うんですよね。そうなるとまたものづくりも発展するので、狭い中でいろいろと工夫をしながら、もっと生活を豊かにする試みが増えるといいですね。
立野
テレワークなど、家を職場にする人も増えています。
永山
そうなるとずっと家にいるから、寒々しい、殺風景な空間よりも、ベランダに植物を置いて、ちょっと外に出て座れたりしたらいいなって気持ちがどんどん出てくるんじゃないかなと思います。
立野
私は昔、ソ連時代のロシアに行ったことがあって、例えば運転手が土日は自分の農園に行って畑を耕していて、この人のほうが私より豊かなのではないかと感じたことがあります。最近の日本はコミュニケーションやコミュニティも減ってきて、鬱になる人も多いと言われていますから、そういう豊かさをもう一度取り戻すことが必要なのじゃないかな。先生がおっしゃるような住居ができて、近所同士が親しく付き合うとか、そういう世の中になればいいですよね。
立野
先生は学生時代に田中泯さんの舞台美術に携わられて、その素晴らしさに圧倒され、ここに自分の居場所はないと感じて建築の道を選んだというエピソードがおありですが、それから建築家としてキャリアを積まれて、また最近アートにおいてもいろいろと発信なさっていると思うのですが、今改めて舞台美術に対して、建築家として何か思うところはありますか。
永山
舞台のパフォーマンスという話になったとき、人間力に勝るものはないんですよね。人間が主役という思いは変わらないのですが、ただ空間がどういうものかによって、見せ方は変わるし、シチュエーションも変わるので、そこはまた機会があればチャレンジしたいと思います。
立野
建築家としての先生が携わる舞台というのもまた楽しみです。
永山
私たち建築家は仕事の依頼が来てそれに応えるというのが基本ですが、アーティストの方は自分でテーマを探して表現します。そこが私にとってはすごく難しいなと思うんです。彼らが誰かに求められるわけでもなく、自分の中から「こういうものをつくろう」というテーマを見つけてきて、しかも売れるかわからないのにつくり続けるってものすごい精神力ですよね。
立野
精神力、そしてパッションもいりますね。
永山
私の夫がまさにそのアーティストなのです。そばで見ていてものすごい精神力だと思いますし、社会的な問題に対する強い思いって大事だなと感じます。今の時代はなんとなくこれでいいかな、と妥協する風潮があると思うのですが、それで本当にいいのかと、いつも何かに立ち向かっているのがアーティスト。そこはすごくリスペクトしていますし、インスピレーションをもらっています。
立野
とはいえ建築家もアーティストと言えませんか。
永山
よくそう言われるんですが、でもアーティストと一緒にいると、私とは全然違う生き物だなと感じます。クリエイティブな感覚っていうのは共通するかもしれませんが。あとは、諦めない強さは似ているかもしれません。私はよく「諦めないのが仕事です」とか言って案を押し通しているのですけど(笑)。
立野
その情熱と突破力はアーティスト気質なのかもしれません(笑)。
永山
今回のこの展示会(Under 35 Architects exhibition/2024年10月)を見ても、建築って改めて面白いものですね。
立野
若い人の作品を見ていると、時代の中で忘れていくものをもう一度思い出しますよね。すごくチャレンジングで。
永山
みなさんそれぞれ視点が違っていて、でもそれぞれにある純粋な気持ちとか、熱みたいなものを感じて刺激を受けますし、嬉しくなります。
立野
長年同じ仕事をしていると、それが当たり前に思ってしまって、惰性で走ってしまいそうになることがあります。だから、若い人たちが我々の会社に来たときに、まっさらな目で「なぜこんなことをしているの?」と、忌憚のない意見を聞きたいです。それがイノベーションのきっかけになりますから。先生は仕事が当たり前になりそうなときは、どこから刺激を受けようとしますか。海外もそういう機会の一つですか。
永山
昔は海外に行ってもとんぼ返りで、とにかく忙しかったし、子どもが小さかった時期もあまり海外でゆっくり視察などはできませんでしたね。確かにずっとアウトプットを繰り返していると、やっぱりインプットが欲しくなるものです。それでどこかに行かなきゃと思うこともありますが、意外と日常の中でインプットがあったりしますね。
立野
例えばどういうときですか。
永山
最近で言うと能作(富山県高岡市)という鋳物メーカーと一緒にジュエリーをつくっているのですが、私はもともとジュエリーが大好きなもので。こういう本当に小さなプロダクトから超高層建築まで、さまざまなプロジェクトが40個くらい同時進行しているのですが、それを横断しているだけでいろいろな刺激があります。
立野
ごく小さなものから巨大なものまで、ギャップがあっていいですね。
永山
ジュエリーデザインから建築にフィードバックもあるし、逆もある。うちの事務所はプロダクト担当、インテリア担当、建築担当などと分けていないんです。
立野
分け隔てなく携われるのですか。いいですね。
永山
やりたいですって手を挙げたスタッフがやるんです。うちの事務所のスタッフたちは、プロジェクトが入ってくると聞き耳を立てて、あとでやりたいですって自己申告をしてくることが多いんです。すごくいいことだなと思います。担当を分けずにそれぞれがいろいろな仕事を経験できる。そうするとどの仕事も新鮮な目で見られるので、インスピレーションを受けやすい環境だと思います。
立野
当社でも、デザインやファッションからも刺激を受けないと、ドアハンドルのデザインだけやっていても斬新な発想なんか出てこないと社員たちに言っています。先生はジャンルを跨いで、いろいろなことを知ってチャレンジされていて、それがいいのでしょうね。
永山
先日、Googleのデザイン総括の方がアメリカから来日されていて、対談したのですよ。女性の方なのですが、もともとジュエリーデザイナーで、私もちょうどジュエリーデザインをしているので、すごく話が盛り上がりました。共通点が他にもあって、子育てを通して学んだことなども話しました。彼女は2歳のお孫さんがいて、初めて出会う瞬間に立ち会うと、改めて人間としての新しい感覚を発見できるという話をされていて、とても共感しました。
立野
日常の至るところにインスピレーションの源は潜んでいるのですね。
永山
私も子育てが大変だったのですが、発見も多かったです。だったと言いましたが今も進行中です。この間は息子が鎖骨を折って大変な思いをしてまたいろいろと学んだりとか、毎日が刺激的です。
立野
お忙しいときにお子さんがお生まれになっていますもんね。
永山
子どもが生まれるという出来事と、自分のキャリアの結構大事な時期の狭間で悩んだりもしました。
立野
そういう経験があっての今のご活躍、素晴らしいです。これからも世界中で先生の建築が見られることを楽しみにしています。
(終了のお知らせ)
一同
ありがとうございました。
Planning:宮本 尚幸
Photography:澤尾 康博
Writing:守谷 直紀
Web Direction : 吉村 朋子