立野純三(たての・じゅんぞう) 
株式会社ユニオン代表取締役社長

1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
建築史家

1967年フランス・バリ生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。
東京大学大学院博士課程「新宗教の空間 その理念と実践」で学位を取得。
東北大学大学院教授。2011年あいちトリエンナーレ2013の芸術監督に就任。
2008年には、第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展において、
石上純也をアーティストに指名し、日本館のコミッショナーとして選出される。
「終わりの建築/始まりの建築」「新宗教と巨大建築」「戦争と建築」「過防備都市」など多数執筆している。

7

「五十嵐太郎と語らう」ある日の午後、イベント会場にて。

一. 建築家と建築史家

  • 立野

    あれから被災地へは行きましたか?

  • 五十嵐

    直接被災地に何かを建てるプロジェクトに関わっているわけではないんですが、定点観測として年に1、2回は各地を訪れています。被災地がどう変わってきたかというのは見ていこうかなと思っています。

  • 立野

    そうですか。先生の肩書きである建築史家っていうのはどういうお仕事を?

  • 五十嵐

    その名前の通り建築の歴史学なのですが、考えてみると日本の場合、建築という学問は工学部にあって、多分工学部の中で唯一歴史が入っているのが建築だけなんです。
    他の専攻は機械、情報、マテリアルとか航空とかがあり、建築にも構造とか環境とか工学をやる研究者もいたりはするんですが、歴史が入っていてちょっと変わっているんですよね。

  • 立野

    なるほど。

  • 五十嵐

    やっていることと言えば、まさに昔の建築についての研究、文字資料、文献ベースで研究したり、実物が残っているものに関しては実測したり調査したりもします。
    で、なんで建築だけ歴史があるかって、面白いのは一般的に工学っていうのは日進月歩、日々進化しているんです。昨日よりは明日、10年前よりは10年後。常にどんどん前に進んでるんです。

  • 立野

    携帯電話とか、テクノロジーはそうですよね。

  • 五十嵐

    そうですね。昔の技術はどんどん乗り超えられているので、過去の歴史なんかは基本的になくていいと。そういうのが普通の工学なんですが、建築だけはいつも一番新しいものが一番素晴らしいとは限らないんですよね。例えば2000年前にできた古代ローマのコロッセオなんかは今、我々が見ても巨大な建築ですよね。人間の大きさが変わっていないというのもあるとは思うのですが。

  • 立野

    実際に見ましたが、あれは素晴らしい建築物ですよね。

  • 五十嵐

    そうですよね。あとは800年前のゴシックの大聖堂。高さだけだったら今の超高層ビルの方が高いのですが、あの中の圧倒的な空間っていうのは現代建築でもそうそうつくれなくて。500年前のルネッサンスの建築にしても、パッラーディオとか、ミケランジェロがやったデザインは見ていて面白い。つまり、過去の建築で今見ても素晴らしいものがあるから過去に学ぶことがあるっていうのは建築の変わっているところだと思うんです。だから「建築史」っていうのがあるのではないかと。

  • 立野

    しかし、かつて先生が学生の時に惚れた建築っていうものがあると思うのですが、なぜ建築家の道を選ばれなかったのですか?

  • 五十嵐

    最初は私も建築の設計をやろうかと思って学校に入ったんです。自分で卒業設計とかに取り組んでそれなりに面白いものができたりして。でも、デザインが他の優れた人と比べると、自分はそこまでできないとわかったというのが理由のひとつです。一方で文章を書くとか、物語を構築するとか、卒業論文とかが、どうやら他の人よりも優れていると気が付いたんですよ。そのときすでに歴史系にはいたのですが、今回の出展者(Under 35 Architects exhibition / 35歳以下の若手建築家による建築の展覧会2018)でも、三井さん(三井嶺氏)と京谷くん(京谷友也氏)の2人は建築史出身なんですが、設計の道に進みました。

  • 立野

    しかし、先生は歴史の分野に進んだと。

  • 五十嵐

    はい。まぁ設計が上手い人がたくさんいるんだったら、上手い人がやった方が社会のためにいいですよね(笑)。自分は違う分野が得意なので、歴史にいった方がいいかなって思ったのがきっかけですね。

二. 壊してつくる日本の建築文化

  • 立野

    日本ってどちらかというと古いものを壊して新しいものをつくるっていうそういう繰り返しできているじゃないですか。ヨーロッパは古いものを活かしながら街づくりを続けている。日本とヨーロッパの歴史を比べるとき、先生はどう思われますか?

  • 五十嵐

    壊してつくる日本の文化について、ひとつは材料の問題が大きいと思います。ちょうど今うちの研究室にフランスから留学生が来ていて、彼はフランスの田舎の方に住んでいたらしいのですが、実家は16世紀に建てられたみたいなんです(笑)。

  • 立野

    それは凄いですね(笑)。

  • 五十嵐

    ええ(笑)。だから日本とは時間の感覚がまったく違うんですよね。彼の実家は石でできているんですが、それに対して木材の建築っていうのは、よほど手厚くメンテナンスしなければならなくて。法隆寺とかは途中で大きな解体修復とかを繰り返しているので今も残っていますし。やはり材料が持っている特徴として、石はあったら大きくすり減るわけでもないですし消えるわけではないので、そういった強さはありますよね。

  • 立野

    素材によって特性は違いますよね。

  • 五十嵐

    はい。あとは不動産の問題があって、日本の場合は土地が強すぎるんですよね。上物は価値を見出されなくて、土地の方がやたらと強いからどんどん更地にしてつくり直しをしていますよね。

  • 立野

    されていますね。

  • 五十嵐

    それに加えて、土地代や土地代にかかる相続税が高いので敷地を分割すると、良い建物があったとしても民間の物だったら大体壊して敷地を分割。っていうのが発生します。一方で、ヨーロッパだと不動産っていうのが上物とセットになっていますよね。しかも時間が経てば経つほど価値が上がったりして。なんかその辺の感覚が違うのかなと。

  • 立野

    歴史を重ねることによって見ているだけでも面白みがあるとか、そういうものを感じます。

  • 五十嵐

    そうですよね。戦後の日本はスクラップ&ビルトが凄くて、住宅なんかも先進国の中では30年以下で建て替えるように最もサイクルが早い。一方で、人間の平均寿命は世界でトップクラス。仮に日本人が80歳まで生きるとすると、住宅より倍以上生きているわけですよね。

  • 立野

    もったいない気がしますね。

  • 五十嵐

    経済的な側面から見れば、戦後の日本の復興を支えてきた一つの大きな要素ではあったと思います。それと同時に私が思っていることは、実は建築家に住宅をつくるチャンスをたくさん与えたのではないかなと。その中から安藤さん(安藤忠雄氏)や伊東さん(伊東豊雄氏)とかそういった人たちが若い頃から住宅を実作できるチャンスをつかんで、そこからステップアップして世界に羽ばたく道のりが拓けていった。すごくお金持ちじゃなくても、みんなが家をつくることができるっていうある意味特殊な状況が生まれたんですね。

  • 立野

    経済的にも、若手が成長する環境としても良い状況が生まれたわけですね。

  • 五十嵐

    はい。同世代というかヨーロッパの建築家は個人住宅をつくったとしても、金持ちの家ですね。基本的にリノベーションとかインテリアとか集合住宅とか、戦後日本の状況は、建築家が活躍して伸びていく環境を意図せずもたらしたのではないでしょうか。恐らく経済を回すために持ち家政策に導いたとは思うんですがね。

三. 日本は日本人建築家の価値を見出せているか

  • 立野

    京都の街おこしの一つで、古い町家をリノベーションしてレストランにしたり民泊にしたりとかあるじゃないですか。こういう傾向を見て先生はどう感じますか?

  • 五十嵐

    ヨーロッパとか他の国の状況とそこは近くなったのかなと思いますね。

  • 立野

    ほう。

  • 五十嵐

    昔のリノベーションは、やはり建築家にとって代表的なプロジェクトではなかったと思うんですよ。インテリアもそうなんですが。ただ21世紀の初頭くらいから日本でもリノベーションやインテリアが、まさに今回出ているUnder 35もそうなんですが、建築家のプロジェクトとしてどう成立するかっていうのをみんなが考えるようになってきましたよね。そういう意味ではかつてのヨーロッパのような状況に近いですよ。でも裏を返すと、若い建築家のチャンスが減っているのではないかなと思います。

  • 立野

    そうですよね。これから日本の人口が減っていくじゃないですか。そうすると住宅の需要が必然的に減ってしまうような気がします。しかし、多くの若い人たちが建築家を目指しておられる。日本国内で建築家としての仕事が減ってしまえば、海外に出て行かざるを得ない状況が懸念されます。そういう場合に備えて、先生のように海外の建築の歴史について若い人たちが学ぶべきなんでしょうか?

  • 五十嵐

    それに関しては観光が要になってくるのではないかと思います。日本は食も魅力的だとは思うんですが、観光はほとんど街歩きみたいなものなので、やはり建築は重要になるはずです。しかし、そこは国とか社会に共有されていなくて。実際、我々がアジアでもヨーロッパでも観光に行けば、結果的に建築を見ているわけです。だからこそ、良質な建築はどうやったら蓄積するのかっていうことは日本も考えないといけませんね。今の感じだと良いものも消えていくようなサイクルなので心配ではありますね。

  • 立野

    私、この夏にスペインへ行ってきました。ガウディのサグラダファミリアがあと8年で完成するということで、スペインに来る人みんながガウディの建築物を見ていたからおっしゃっていることがよくわかります。スペインには年間8200万人の観光客が訪れるらしいですが、日本は今やっと3000万人とかじゃないですか。さっき先生がおっしゃったように建築って100年も200年も残ります。それをもっと世界から見に来てもらえるようなものを今建てるべきではないかと思うのです。それが今後、大きな財産になると思いますしね。

  • 五十嵐

    まったくその通りだと思います。私も今年の春にバルセロナへ20年ぶりくらいに行ったんです。ガウディは昔から有名でしたが、以前行ったときに比べて今はもっと人が集まっているように感じましたね。あらかじめ予約をしていないとグエル公園に入れないなんて昔では考えられませんでしたから。恐らく入場料でとんでもない外貨を稼いでいますよね。ガウディは民間のプロジェクトでしたが、ガウディのようにレジェンダリーな建築家がいたということで、経済に大きな恩恵をもたらすのだということをバルセロナという都市は理解していると思います。

  • 立野

    都市では逆に観光客が多すぎるから抑制したいとも思っているかもしれませんね(笑)。

  • 五十嵐

    確かに(笑)。京都も観光バスがたくさんあって、オーバーツーリズムの現象で困っているみたいですしね。でもガウディみたいな人のおかげで、都市にこんなに人が来るのが成功体験としてあるから、スペインの現代建築家もそういう風に見てもらえるっていう意識がありますし、伊東さんとか日本の建築家が海外に行ってもリスペクトしてもらえるっていうことはありますね。日本は逆に、どうしても建築家を文化的に大事にするっていう感じがなくて残念ですね。今では伊東さんとか隈さん(隈研吾氏)とか、いろんな建築家が海外でも仕事をしていて、SANAAとかそういった建築家は東京に事務所があるのに、彼らの代表的な作品が東京にあまりなく、むしろ海外の都市のためのランドマークをつくっています。

  • 立野

    そうですよね。

  • 五十嵐

    藤本さん(藤本壮介氏)はフランスではどんどんプロジェクトができているんですが、彼の地元の東京にはフランスで手掛けているような大きなプロジェクトがありませんよね。そういう才能があるのに日本ではなく、海外の都市の価値を上げている。フランスは積極的に彼にチャンスを与えていることもあり、彼の価値を存分に見出している。一番価値を見出していないのは日本だったりするのがちょっともったいないですね。

四. 建築物をつくり後世に遺すこと

  • 立野

    オリンピックのような国際的な祭典は、若手建築家が活躍できる場というイメージがありますが今はどうなのでしょうか?

  • 五十嵐

    今度オリンピックがありますが、若手の建築家にはあまりチャンスがまわってこない。前のオリンピックのときは、当時50歳くらいの丹下さん(丹下健三氏)や40代の芦原さん(芦原義信氏)が手がけた大きな競技場とかもあります。他のもっと小さいところ、例えば練習場や選手村のレストランとかは30代の若手に仕事が回って来たりしていました。なので、その辺の状況が長期的に考えるともったいないというか。次の世代を育てるステップがなくなってしまったんじゃないかと気になっています。

  • 立野

    私たちの会社は戦後からスタートしたのですが、成長の一つのきっかけがオリンピックであり万博でした。我々の業界からすると今回の東京オリンピック、あとは日本で開催されることが決定した万博で何か実験的な金物とかができれば良いのですが、なかなかできません。今度隈さんから新しくパニックハンドルのお話を頂いたのですが、それは実験的なものだと思うのです。そんなきっかけでやらないと金物も進歩しませんからね。若い人も建築の分野でチャレンジすれば、何か新しい金物が出てくるかもしれません。そういうステップアップのきっかけにしてくれたらと、私は思うのですが。

  • 五十嵐

    そうですよね。オリンピックや万博とかは普段だったらできないことを思い切ってやってみるタイミングであるべきですし、そう使うべきだと思うんです。でも、今はそんな感じはなくて、ただ箱さえできればいいっていう風潮じゃないですか。例えば北京オリンピックでは鳥巣スタジアムが話題になりましたが、普通だったらあんな建物なんかはできないですよね。やはりあのタイミングだからこそできたことですし、半世紀前の丹下さんのスタジアムなんかはそういうものだったのでしょうね。若手建築家にとっては千載一遇のチャンスだと思うので。

  • 立野

    私は技術的なことは分かりませんが、例えば釣り天井なんかは当時ものすごく画期的なものだったと思うのです。だからそういう面では今回のオリンピックって安全策というか。隈さんがせっかく手掛けるのだから、もっと予算を注ぎ込んでやったらいいのではないかと私は思いますがね。

  • 五十嵐

    その通りだと思います。建築は良いものをつくるとずっと資産として残るんですよね。そのときに私がよく例に挙げるのが、シドニーのオペラハウス。今や観光のパンフレットにも載っていますし、オーストラリアという国を紹介するときに必ずと言っていいほど出てきます。今はたしか世界文化遺産にもなっていて、人工の構築物だと一番若いと思うんです。まだ40年くらいじゃないでしょうか。

  • 立野

    はぁ。まだそんなもんですか。

  • 五十嵐

    ええ。ただ、あれは建築するのが大変だったみたいです。コンペで選んだものの、かなり実験的な形状だったのでなかなか実現できず、途中で建築家もおろされているんですよ。

  • 立野

    そうだったのですか。

  • 五十嵐

    建設費も、当初予定していた予算から何倍にも膨れ上がってしまったりして。もう少し自由な曲線だったんですが、当時の技術ではそこまでできなかったんです。最終的には球体から切り出した曲面、つまり幾何学的に定義しやすいかたちに変更して実現したんです。それで結構時間もお金もかかってしまった。途中で建築家も解任されるわ、まぁ大変なプロジェクトだったんです。

  • 立野

    ほう。

  • 五十嵐

    でも一旦できてしまうと、あれは何物にも代えがたいランドマークになっていますよね。例えば、オーストラリアという国をもっとプロモートしようってなったときに広告代理店とかにお願いして大金を使ったって数年で消えちゃいますよね。でもあの建物があるとずっとそれは一種の宣伝として生きているから、トータルで考えると安いのではないかと思います。

  • 立野

    なるほど。ちゃんと素晴らしいものをつくれば何年も後世に残っていくのでしょうね。

五. 海外に流出する日本の技術

  • 立野

    世界から注目される日本の歴史的な建築物って、先生は何があると思いますか?

  • 五十嵐

    分かりやすいものだと厳島神社とか。鳥居が海にあるというのは不思議な建築ですよね。あと、広島つながりだと原爆ドーム。今みたいに外国人観光客が増える前から海外から来た人は広島に行っていたみたいですね。

  • 立野

    最近だと、直島もアートが好きな人に人気のようですね。

  • 五十嵐

    直島も人気ですね。安藤さんの建築物もあるしSANAAの建築もあるし。直島は不便な場所にありますが、建築やアートに興味がある人は無理をしてでも行きたい場所ですよね。

  • 立野

    あれは確かベネッセが手掛けていますよね。

  • 五十嵐

    そうですね。頑張ってお金を出していいものをつくっている。交通の便が悪くても行こうって思わせる力がありますよね。

  • 立野

    少し話が戻りますが、太陽工業っていうテントで有名な会社。大阪万博のときにほとんどのパビリオンを手掛けていました。そこから有名になり世界的な企業になった。さらに、私の友達であるタカラベルモントは美容のパビリオンを出して一気に成長した。そういう世界的な祭典があるときに企業も成長するし、製品も生まれる。今回の万博にしてもそんな勢いが生まれるのかなって思いますね。

  • 五十嵐

    以前開催された愛知万博のときは、独立したパビリオンがそもそも少なかった。愛知万博ではユニット型の箱を単体で使うことになり、そこの外装と内装しかできなかった。一部単体でトヨタのパビリオンとかはあったのですが、大阪万博のときと比べると、記憶に残るものができなかったと思うんですね。

  • 立野

    例えば、タカラベルモントを手掛けた黒川さん(黒川紀章氏)が一躍有名になっておられますからね。万博が日本で開催されますから、若い人たちに今度のパビリオンをどんどんやらせてあげたらいいんじゃないでしょうか。そこで一つ結果をつかんでいたら自信もつきますし。

  • 五十嵐

    大阪万博のとき、黒川さんとか菊竹さん(菊竹清訓氏)は30代半ばだったと思います。そういった若い人たちが注目されるプロジェクトをやっていましたから。

  • 立野

    黒川さんは中銀カプセルタワービルとかも手掛けておられましたよね?

  • 五十嵐

    はい。保存するかどうかで揉めているみたいですね。中銀カプセルタワービルは一般の観光客レベルではないけれども、建築に興味がある外国人観光客が来たら東京で絶対に訪れる場所です。今でもメタボリズムは、日本から海外に発信した最も有名な建築理論。なおかつ、メタボリズムの考え方を視覚化したものが中銀カプセルタワービルなんです。新橋のすぐ近くにあって行きやすいので建築を見るときは必ず行くと思うのですが、あんまり大きな建物ではないので残す手立てがあってもいいのかなと思います。メタボリズムの建築は気が付くとどんどん消えていて、あとから考えるとメタボリズムの建築の資料とか図面とかそういうのが海外流出していたり。これらはポンピドゥーセンターが収集しているんですよ。

  • 立野

    浮世絵とか、明治時代の古美術が海外に流出してしまったような事態になっていますね。

  • 五十嵐

    そうなんです。日本国内では近現代建築資料館っていうのがようやくできたんですが、ポンピドゥーの建築部門がそれよりも早く目をつけていたので、気が付くと日本国内の資料がどんどん減ってしまったんです。それも自分の国の物なのに海外の方が高く評価しているから海外でコレクションされてしまうんですよ。

  • 立野

    今の日本の素晴らしい技術をもう一度見直す必要がありそうですね。もっと高度で近代建築に使える技術っていうものがあるのでしょうから。

  • 五十嵐

    今の話で思い出したのですが、空気膜の村田豊さんが手がけていた富士グループパビリオン。あれもポンピドゥーの所有ですよ。だから万博のときの実験建築の資料もかなりポンピドゥーが持っていってしまいました。

  • 立野

    そのときに、みなさんが実験的にいろいろなことをしていたんですね。その中で生まれた画期的な建築物が海外に持っていかれてしまうと。考え物ですね。

六. 海外の都市にみる、インフラの再構築

  • 立野

    国の制度として、より多くの良い建物を残すような働きかけはできないのでしょうか?

  • 五十嵐

    地方にしても老朽化したら、良い建物と残さなくてもいい建物ってあると思うんですが、それも今は一緒くたになっていて。例えば旧都城市民会館が宮崎県にありますが、存続が危ないですね。壊して新しいものをつくったら補助金が付くっていう制度設計になっているんですよね。駅前に世界的にユニークな建築があっても普通に壊す方向に流れてしまう。良い建物は使い続けるとお金が出るような制度ができればいいのですが、これは制度設計の問題ですね。

  • 立野

    そういった古い建物を活かせば、地方に若い人も行くのではないかと私は思いますがね。建物を残しながら人をどう集めていくか。これから地方の創生や地域の活性化のきっかけになりそうなものですがね。

  • 五十嵐

    都城は60年代にできた前衛的な菊竹さんの名作なのですが、大体そういう個性的な建物を壊すと普通の建物ができたりするんですよね。日本全国の駅の周りが同じような景色になるのは絶対損だと思います。あとは、フォトジェニックな建築。例えば若い人が自撮りとかインスタ映えするという理由で訪れる人もいますよね。香港に行ったときにザハ・ハディド氏が設計した大学の施設があって見に行ったんですが、若い女の子とかもたくさんいて。あまり建築が好きそうな感じにも見えないし不思議に思っていたんですが、要はインスタ映えがするような施設だから見に来ていたんです。あれには驚きましたね。

  • 立野

    外観のデザインも良いですが、日本にはもっと素晴らしい技術がありますよね。リノベーションにしてもインテリアにしても。外観では日本の建築物が劣っているように見られたりもするんですが。

  • 五十嵐

    そういう面ではソウルも思い切ったことをやっていますよね。たとえばザハ・ハディドの東大門スクエアも無茶苦茶なプロジェクトでとてつもなく巨大で時間もかかった。でも完成すると、街のランドマークになっているし、去年はソウル路7017っていう遊歩道もできました。ソウル駅をまたぐ車専用の道路をリノベーションして歩行者専用の空中公園に変えてしまったんです。このプロジェクトは国際コンペでMVRDVというオランダの建築事務所がとってデザインしたものです。

  • 立野

    ニューヨークのハイラインみたいですね。

  • 五十嵐

    そうなんです。ハイラインもディラー・スコフィディオ&レンフロっていう設計事務所が入ってカッコいいものになりました。古いインフラをもう一度読みかえて、都市の新しい魅力をつくっていた。東京なんかにはあまり見られないプロジェクトですよね。

  • 立野

    そうですね。あったのかもしれませんが日本の物は目立たないですよね。

  • 五十嵐

    そういう意味では何か思い切ったプロジェクトをやりながら、都市の層を重ねていく必要があると思うんですよね。スクラップ&ビルトでまずいなって感じるのは、置き換えにはなるけど常に置き換えで前よりいいものが生まれない。できているならいいけど必ずしもそうじゃないので、様々な時代の層を残したほうが良いと思うんですよね。

  • 立野

    なるほど。

  • 五十嵐

    さっき話したゴシックの大聖堂はなぜ今見てもすごいかっていうと、単に技術体系が違っていて、石で建物をつくるっていうカテゴリーの最高峰に到達したんです。私たちは石であんな巨大建築はつくらないですし、そもそも違う技術体系なので。だから越えることができない。500年後でも1000年後でもすごいっていうことになるわけで。そういったところが建築の面白いところで。逆に言うと私たちが今つくっているものも500年後1000年後にも評価されるものであるということを意味しているんですよ。さっき話した工学とは違って、塗り替えられていくものとはちがう面白さはありますね。

  • 立野

    昔につくった最高の建築を残していたとしても、そういった建物が海外に出ていってしまうと高度な技術が海外に残ってしまう。この技術を日本に残していかないとダメですね。日本の建築についていろいろな人が考えないと、このままではどんどん味気ない建物が増えてしまう。

  • 五十嵐

    とにかく安けりゃいいみたいな風潮がありますよね。全部高ければいいっていうわけではないですが、ちゃんとしたものをつくればそれに見合う価値が出ますし、技術の継承っていう意味でも良いですよね。一定の水準を超えた技術力というのはやり続けないとなくなってしまう恐れがあるので危ないですよね。

  • 立野

    先生が言った通り、歴史を重ねるごとに良さっていうのが出てくる建物をこれから日本につくっていく。今後100年200年、そういうものをつくっていく。お金はかかると思いますが長い目で見るとそんなことはないと思いますね。そういうのを目指すべきだと思います。

  • 五十嵐

    そうなんですよね。アジアのグローバルシティであるソウルや台北、シンガポール、北京、上海。これらの都市は意欲的な建築プロジェクトを進めていますよね。21世紀にもっと都市の魅力を高めようと建築にちゃんと力を入れてやっています。でも東京はそういう傾向が見られなくて。

  • 立野

    大丈夫なのでしょうかねぇ。人が少なくなって危機感を持っている地方には公共建築で面白いものができたりしていますがね。

  • 五十嵐

    そうなんですよ。平田晃久さんが太田市美術館・図書館をつくる前、その地域は車社会で、駅の周りに人がいなかったんです。そこで駅前のロータリーを半分潰して、そこに美術館・図書館をつくることで駅の周りの賑わいっていうのを取り戻そうとしました。だから地方とか、危機感があるところの方が意欲的で実験的なプロジェクトはありますね。

  • 立野

    そうでしたね。先生がおっしゃったように人をどう集めるか、どう活気を復活させるかを考えなければいけないですね。東京は放っておいても来ますから。

  • 五十嵐

    そうですね。なんとなく東京は慢心しているというか、ちょっと油断しているんじゃないですかね。

七. 東京オリンピックで若手にチャンスは生まれたのか

  • 立野

    若手の建築家について伺います。チャンスがあるにも関わらず、大規模なオリンピックとかそういったものは安全策としてベテラン建築家が手掛けますよね。そのことについて先生はどう思われますか?

  • 五十嵐

    住宅をやって、次に公共建築にステップアップしてっていうわかりやすい階段が90年代の前半くらいまでありましたよね。今、中国や中近東で起きている建築の現象を最初にやっていたのはバブルの頃の日本だったと思いますよ。ところが、その後その反動で建築家が上る階段がなくなってしまったんです。伊東さんとか安藤さんとかはそこで勝ち抜いたんですね。彼らの世代は大丈夫なのですが、今の若い世代の階段がなくなっている状態なので、長期的に考えると20、30年後の日本。つまり、その頃には50代とかになっている建築家の実績がなくなってしまうのではと心配しています。

  • 立野

    東京オリンピック関連施設建築における建築家の参加資格を見ていると、若手のチャンスがなくなっていることも頷けます。

  • 五十嵐

    あれはいくらなんでも資格の基準が高かったですからね。ただ、メインスタジアム以外にもたくさん付随してつくられるものがあって、例えばパラアリーナ。パラリンピック用の練習施設が初めてできたんですよ。車いすで体育館の床を傷つけてしまったりするので練習場所が限られていて。今までパラリンピック競技専用の練習施設がなかったんです。パラアリーナが完成したのは社会的には素晴らしいことだと思うのです。でも、建物が本当にひどくてただの箱なんですよ。メインスタジアムは大きなプロジェクトだからある程度実績がいるでしょうが、それに付随してできる建物、選手村とか練習場とか、そういうところで若手のチャンスをつくってあげてほしいですね。

  • 立野

    まったく同感です。若い方は日本の国内ではあまり仕事がないのが現状ですよね。海外進出を試みる若い人も多いでしょう。それで海外で評価されればいいですが、多くの人は挫折して建築家じゃいられなくなってしまったりして。最近ではゼネコンが設計から施工まですべてを一貫してやり始めたりもしていますから、建築家の危機感っていうのはありますよね。

  • 五十嵐

    あとはデザインビルドとか、なかなか建築家の仕事が厳しいことにはなってきていますよ。藤本さんとか石上さんみたいに海外で活躍している人は良いかもしれませんが、その2人にしたってもうちょっと国内に仕事があればって思いますがね。

  • 立野

    日本で日本の建築家を使って建築業界を盛り上げることが必要ですね。

八. 貪欲さに欠ける若手建築家たち

  • 立野

    バブルの頃、日本にお金があったときに日本の建築が発達したじゃないですか。今後、同じように中国の建築は発展していくのでしょうか?

  • 五十嵐

    どうなんでしょう。先日ヴェネチア・ビエンナーレを見に行ったのですが、中国の展示で意外と地方に面白いものが増えていましたね。行きづらい中国の田舎で若い建築家が面白いプロジェクトをつくっていて、そういうものが展示されていました。中国にも新しい層が出てきているので、日本もうかうかしていられません。

  • 立野

    あと5年もしたら技術的にも中国が追い付いてくると思います。それを抜かれないようにしようと思ったら、若手に仕事がないと無理だと思うのです。想像の中ではできていたとしても、実際に設計して、ものが建つことによって学んでいかないといけない。日本の若手に仕事が回るきっかけづくりが必要ですね。それと、若手が高みを目指すこと。憧れがないと今後の建築業界が進展していかないですからね。

  • 五十嵐

    向上心は本当に必要だと思います。80年代後半、私が学生のときの卒業設計なんかは、結構大きい規模の物がつくれたんです。複合の大型施設みたいな。でも最近の学生の卒業設計では、おばあちゃんの実家をつくっていて(笑)。そんなちっちゃい卒業設計でいいのかって思いました(笑)。

  • 立野

    それは何とも…夢がないですね(笑)。

  • 五十嵐

    細かく丁寧に見ているのはいいのですが、おばあちゃんの実家をリノベーションするって昔だったらなかったんですがね。よくも悪くも今の世相を表していますね。

  • 立野

    そうなのですね。今の学生さんって建築を見に海外に行ったりしないのでしょうか?

  • 五十嵐

    行く人はもちろんいるでしょうね。昔は海外に行って見かけるアジアの観光客って大体日本人でしたよね。

  • 立野

    そうでしたね。

  • 五十嵐

    最近、日本人観光客は少ないみたいですよ。この前スペインに行ったときも、韓国人とか中国人ばかりでした。きっと日本人が減っているんでしょうね。そこも気になります。ちょうど私たちの世代って学生が卒業旅行で海外に行くようになった時代で、みんな積極的に行っていました。逆にそういった貪欲さが感じられなかったりしますね。

  • 立野

    先生はいろいろなところへ行かれていますよね。ウェブサイトにアーカイブされていたりしていて。あれは勉強になります。

  • 五十嵐

    ありがとうございます。

  • 立野

    今度、我々と設計事務所で、若い人たちと海外へ建築を見に行くようなイベントを企画しています。

  • 五十嵐

    良いですね。昔はよくありましたが、今はすっかりなくなってしまいましたよね。

  • 立野

    はい。金物や建物、そしてその構造なんかを見る。そういうことをすべきなんじゃないかって思うのですよ。先生の専門分野である歴史なんかもそうですし。若いうちにいろいろなものを見るべきで、最近はそういった機会もなくなってきていますから、私たちができればなと。ですので、先生が思う若手建築家が知っておくべき建築物なんかがあれば教えてください。

  • 五十嵐

    ええ、もちろんです。

  •  

    (終了のお知らせ)

  • 一同

    ありがとうございました。

  •  

     

  •  

     

  •  

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