立野純三(たての・じゅんぞう) 
株式会社ユニオン代表取締役社長

1947年生まれ。1970年 甲南大学法学部卒業。1970年 青木建設入社、
1973年(株)ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長。その他公職として、
公益財団法人ユニオン造形文化財団 理事長、公益財団法人 大阪産業局理事長、
大阪商工会議所 副会頭等を務める。

倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)
建築史家

大阪市立大学准教授。1971年、日本最大級の建築公開イベント「イケフェス大阪」、
品川区「オープンしなけん」、日本建築設計学会、住宅遺産トラスト関西、
東京建築アクセスポイント、Ginza Sony Park Projectのいずれも立ち上げからのメンパーとして活動。
日本建築学会賞、 日本建築学会教育賞なども受賞。数々の執筆も行なっている。

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「倉方俊輔と語らう」ある日の午後、ショールームにて。

一. 長い時間をかけて建築物を創出する

  • 立野

    ミラノのあれ?はいつ頃のお話でしたか?

  • 倉方

    もう6年前くらいでしょうか。バルセロナにも行きましたね。楽しかったですよ。

  • 立野

    実は私、昨年もバルセロナへ行ったんですよ。

  • 倉方

    そうなんですね。

  • 立野

    ガウディのサグラダファミリアは急に変わりましたね。完成するまであと7年ほどでしょうか。あの建築には年間8200万人もの観光客が訪れるらしいですよ。日本へ来る外国人が今やっと3000万人とかではないですか。先生の頃の時代はサグラダファミリアの入場制限などはありませんでしたよね?

  • 倉方

    いや~ありませんでしたね。

  • 立野

    そうですよね。今はあるみたいですよ。サグラダファミリアの上へのぼるには事前の予約が必要みたいで。

  • 倉方

    それは驚きです。オーバーツーリスト対策ですね。

  • 立野

    本当にびっくりしましたよ。日本もね、何年もかけてそういう建物を建てていけば、建築に興味のある方が何年にもわたってくるじゃないですか。とはいえ、今の日本の技術は高いのですぐに建ってしまうと思いますが(笑)。だけど、10年かけていい建物を建てる。そういった建築があってもいいのではないかと思うのですよ。どうしても急いで建ててしまいますけど。

  • 倉方

    確かに。そういった建築があっても面白いでしょうね。今私が東京で関わっているプロジェクトに〈Ginza Sony Park Project〉というものがあります。有楽町に1966年に建設された〈ソニービル〉を今までにない形で更新するプロジェクトです。そもそも建て替えるのかとか、あの土地をどうするのかをソニーさんと4,5年前から検討しています。現在は昔のソニービルを減築した〈Ginza Sony Park〉のフェーズで、これは2019年の「グッドデザイン・ベスト100」(グッドデザイン金賞等特別賞候補)にも選ばれました。元のソニービルはスキップフロアの構成でした。その4分の1階と4分の2階だけを残し、公共交通に接続した地下フロアと共にリノベーションしています。普通建物を建て替えるときは周りを覆って工事をしますよね。そして次に姿を現した時に新しい建物になっているんですが、今回はプロセスとして考えようとしている。ソニービルを解体する前には「さよならソニービル」というイベントが企画されました。意図としては、ソニービルというものがいかに素晴らしいものであったのかっていうのを理解してもらう。そして次に地上部分を解体して、オリンピックまで地上部分を公園みたいにします。それが現在のGinza Sony Park。その後の様態を現在、検討しています。いきなりビルができるよりも、途中の過程を知っているから愛着が湧くし、どうビルを使ったらいいかの実験にもなります。すぐに建て替えないやり方もありますよね。

  • 立野

    ほぅ。面白いですね。

  • 倉方

    やはり立野社長がおっしゃっていたように、時間をかけるというのは必ずしもマイナスではなくて、プラスになることもあるのではないでしょうか。

  • 立野

    例えばビルを貸していて、そのビルの建て替えをするとなると、やはり早く建てて使った方がいいかもしれませんが、公共的な建物っていうのはもっと長いスパンをかけて建てながら、それを見せていく方法があってもいいのかと思いますがね。サグラダファミリアだって結果的にそういったことで観光客が来ている。そういう建築物を日本で建てていくのも面白いと思います。あとは技術を見せたりしてもいいかもしれません。建築の色んな材料や金物を見せながらつくって、建築物として1つの完成品になっていく。少しスローにしてつくるっていうのも考えていってはどうかなと思いますがね。

  • 倉方

    ほんとにそうですね。覆いで囲われて、その中で何をしているのかわからない、でもあるとき突然完成する。その中で組み立てられている大きなものから小さなもの。そういったことって一般の人も知りたいと思うし、プロセスがわかると愛着がわくでしょう。クローズな環境で急いでパッと出来てしまうよりも、見せながらスローにつくっていく行為を見直したいものです。

  • 立野

    私は、先生ほど歴史について詳しくありませんが、社会の授業なんかに出てくる建築物なんていうのも同じように時間をかけて建てられたのですか?

  • 倉方

    近代以前の建築の工期が長期にわたっているのは、主に予算の関係などで、できるところまで建てて、一旦ストップして、といった過程を経ているからで、工期自体は極端に変わるものではないようです。例えば、巨大なドームを持つイスタンブールの〈ハギア・ソフィア〉は5年で完成させたと伝えられています。

  • 立野

    技術者をたくさん入れることも可能だったのかもしれませんしね。

  • 倉方

    技術の進歩は、建築の建てるスピードが早くなるというよりも、携わる人の安全性を好転させていますね。

二. 建築を通してその土地の個性を見る

  • 立野

    「Club Tap」はどういった想いで立ち上げられたんでしょうか?

  • 倉方

    私自身、Club Tapの形成には関わっていないんですが、Club Tap自体はもともと阪急のカルチャースクールが前身で、それがなくなってしまったんです。そこで建築の講座を聞いていた人たちが自分たちでやろうということで市民や聴講していた人たちが自ら立ち上げて学びの場を作ったんです。

  • 立野

    そこに先生が呼ばれたと

  • 倉方

    そうなんです。ついこの前まで2年ほど開いていた講義内容は、大阪の近代がちょうど明治150年ということもあり、その明治の話をしていました。大阪ですることに大きな意味があったんです。当時は大阪に工場ができたり、それから〈大阪市中央公会堂〉ができたりしましたよね。大阪の150年を知ると、ある意味日本の150年がわかるんです。そういった講義をしていたのですが終わったので次の新しいことを始めてくださいと。そこで「世界の建築を見ると、その土地の個性が建築を通して見えてくる」といったことを今は教えています。

  • 立野

    なるほど。そういったことが大きな影響を日本の建築家に与えているのですね。

  • 倉方

    その通りです。建築家という存在のありようも国によって違います。そもそも建築家には、王様の下で働くアーティストみたいな性格があります。この王様の立場が皇帝に変わったり、国家に変わったりします。それでも同じであるのは、美しく、説得力のあるものをつくること。実際に構造を考えたり空調入れたりする人とは、別なんですよね。

  • 立野

    エンジニアとアーキテクトの違いですね。

  • 倉方

    その通りです。そしてイギリスは、どういう風に構造を組み立てるかを考慮して、地盤をしっかり調査した上でしっかりしたものをつくる。ものづくりとしてクライアントのマイナスにならないものを送り届けるのが建築家の責任だという考え方が強い。それに対して、イタリアやフランスには、もっとアーティスティックな伝統があります。イギリスでは街中に独立して事務所を構え、いろんな仕事を行うような「フリーアーキテクト」を標準とする思想が19世紀に確立します。アーティスティックなことだけではなく、しっかりと地震に耐えるとか、ものとして施主の意向を汲み取った格が高いものを設計し、完成させるのが建築家であるという考え方です。これを日本はジョサイア・コンドルというイギリス人建築家から学びます。それが辰野金吾やその弟子たちに受け継がれました。それが結果的に、日本の文化と適合していて良かったのでしょう。

  • 立野

    なるほど。いい意味で日本はそれを発展させていますよね。

三. 自分の住む街を1つの国だと考える

  • 立野

    かつて大阪万博が開催されたとき、若い建築家がチャンスを持っていたと思うのですよ。

  • 倉方

    私もそう思いますね。

  • 立野

    でも今は、若い人のチャンスが減ってきていますよね。だから、若い人たちにチャンスを与えてあげないといけませんね。

  • 倉方

    ほんとうに。さきほどのガウディの話に戻れば、そもそもガウディに仕事を与えたその時のクライアントが偉いと思います。最初はガウディだって有名じゃなかった。しかし、当時よくわからない建築家に仕事を与えたって言うのが凄い。結局スペイン・バルセロナの人々にサグラダファミリアの入場料で稼いだ外貨が回りまわって入ってくるわけですから。

  • 立野

    そうですよ。そういった大きな仕事与えてくれる人が今はいない。

  • 倉方

    困ったものです。

  • 立野

    昔はパトロンが多くいましたよね。日本の場合、今はほぼいないわけじゃないですか。有名建築家に仕事を与えて、あまり建築そのものには口を出さないような人が理想ですね。

  • 倉方

    そうですね。できるだけ自由にさせてあげたいですよね。

  • 立野

    だから今回の万博でも、若い人たちに建築実作のチャンスを与えてあげて欲しいなと思いますね。かつての黒川さん(黒川紀章氏)や磯崎さん(磯崎新氏)のように。磯崎さんに関してはあの当時院生だったらしいですね。それだけあの頃は、若い人たちがチャンスを持っていたんですよ。そして現在、世界的に偉大な先生となっておられる。だから将来の若い人たちを育てると言う意味で、今回の万博は若手にチャンスを与えてこれから世界に羽ばたくきっかけとなるようなものになればいいですがね。

  • 倉方

    おっしゃる通りです。

  • 立野

    逆に今は海外に行かないと仕事がないっていう状況じゃないですか。それもなんだか異様な感じがしますよね。

  • 倉方

    以前、田根剛さんと対談されていましたよね。田根さんなんかは今唯一の救いというか、海外に出てオリンピックのスタジアムにチャレンジしてらした。本来は日本国内でそういったチャンスがないとダメで。若い人たちがもし日本で活躍できる場がなかったら海外に行くなど様々なルートが今はあります。

  • 立野

    そうですね。

  • 倉方

    だから海外へ行って、経験を積んでチャンスを得て日本に戻ってくる。ようやく田根さんのような国際社会の日本人が出てきたような感覚がありますね。まぁ、本来日本がもっとチャンスを与えないといけませんがね。

  • 立野

    本当にそう思いますね。これから日本もどんどん縮小していくじゃないですか。余計そういったチャンスがなくなってくる気がしますよね。

  • 倉方

    そこは懸念点ですね。例えばフィンランド、デンマークなんかは人口約500万人。スウェーデンが1000万人。つまり日本はフィンランド何ヵ国分もの人口があるわけですよ。そう考えるとフィンランドからは有名なデザイナーが国際的に活躍したりしている。つまり日本はその何倍ものプレゼンスが文化的にあるはずなんです。だから日本人口が縮小して1億人になったとしても、やはりまだ大きい。だから各地方、例えば九州の人口は約1000万人なので大阪はもっと多いですよね。

  • 立野

    そう言われると多いですね。

  • 倉方

    ですよね。だから各地方を1つの国だと思って、その中から若い才能を発掘しその才能を最大限引き出していかなければいけないと思います。そうすれば日本国内で若い日本人建築家の仕事が生まれ始めるのではないかと。1億人以上の人口があるからと考えてしまうと安定路線に走ってしまうのでしょうね。まずは日本のそういった考え方を変えていくべきです。

  • 立野

    地方を活性化すると言う意味でも、一人ひとりの考え方を変えていかないといけないと言う事ですね。

  • 倉方

    そういうことです。

  • 立野

    やはり魅力的な建物をどんどん立てていかないと、地方の活性化ができなくなってしまうんですよね。

  • 倉方

    ただ、地方の魅力を創出「する」ということと、創出が「できる」のは別。地域の個性が本来あるということが大前提あって、その個性をより引き立てる要素となるのが建築です。その魅力的な地域を活性化するために建築をやりたいという想いを持つその出身の人がその場に返ってきたり、あるいは全然違う地方の人がその地方の方がいいって思ったりして。日本にはまだ地域間の移動が足りていないと思います。アメリカとかヨーロッパって自分の生まれ故郷じゃない所で働いていたりする。しかし、日本は地元出身か東京かとなってしまいがちで、まだ後発国だと思う要素の1つです。

  • 立野

    日本人がもう少し変わっていかないといけませんね。

  • 倉方

    日本はかなり南北に広いし暑さや寒さもあります。それだけにさまざまな災害にも襲われます。ただ、その分、日本全体が被害の渦中に入ることもまた考えにくい。例えばどこかで地震があったとしても、どこかは地震の影響がないという状況が生まれます。そこで助けあったり、その地域へ活動の拠点を移したり、そういう余地があります。言い方が難しいのですが、何かの事象が起きた際に心を寄せ、学びながら、日本が一色に染まらないことも、この国土から得られる強靭さではないでしょうか。

四. 仕事はつらいもの?楽しいもの?

  • 立野

    先生もよく海外に行っておられますよね。海外の写真を拝見したりしますが、スケッチはされないのですか?

  • 倉方

    私は設計者ではないので、残念ながらスケッチは…なので、写真だけです(笑)。

  • 立野

    (笑)。先生はもともと建築史家を志していたのですか?

  • 倉方

    もともと建築そのものを理解したいと、建築学科を選びました。高校3年生の時に夏に1ヶ月半、冬に1ヵ月パリに行きました。その時、なぜこんなに街のつくりや建築のつくりが違うのかと初めて建築に関心を抱いたのです。建築というものは理系であり文系、そして人間にも関わってくる。面白そうだなと思い、建築学科に入学しました。建物をつくりたいと思っていたわけではないのです。仮に文学部に入ったとしても、別に文学者になる人ばかりではなくて、文学を理解したい人もいるような感じです。

  • 立野

    そういう人は確かにおられますね。

  • 倉方

    しかし、入ってみると、特に私が通っていた大学は建築家になりたいという人ばかりで(笑)。

  • 立野

    (笑)。先生も模型製作などはやられたんでしょう?

  • 倉方

    それをしないと落第してしまいますので 、仕方なく(笑)。入学時に建築そのものを理解したいと考えていたのですが、そのものズバリの専攻は日本には無かったので、それに近そうな建築史の研究室を選びました。建築史の研究者でも、ものづくりや設計が好きな人はやはり多いので、その点では私は変わっているかもしれませんね。

  • 立野

    なるほど。先生が建築に興味を持ったきっかけ、フランスに行ったとおっしゃっていましたが、そういうきっかけがあるから目指すものがなんとなくでもできますよね。若い方たちが先生のようなきっかけを見つけて欲しいです。

  • 倉方

    そうですね。今の若い人の方が考えていますよね。私は面白いという理由で学科を選択して、理屈や正解は後から付いてきましたが、現在はより「こっちは食いっぱぐれないんじゃないか」とか、「今まで建築学科に行っていたから建設の企業に行かないとつじつまが合わない」とか、1本の筋で最初から理由が説明できないといけないと考える傾向にあるのかもしませんね。その時自分が面白いと思ったらやればいいし、やってみて違うと思ったらそこで方向転換してもいいと思うのですけれど。

  • 立野

    まぁ人生100年ありますからね。私はそれでも学生の時にある程度きっかけや夢みたいなものを見つけることも必要だと思うのです。いろんな経験を若い方にもっとしてほしいと思うのですよ。しかし、今ってそういう機会が全然ないじゃないですか。

  • 倉方

    社会のレールに乗るのが仕事、という考えが強いのかもしれません。小学校卒業、中学卒業、そして高校を卒業したら大学に行く。そして就職をする。そういった当たり前と思われている道筋をなぞっているから、すべて仕事のために人生を過ごしてしまっているように感じます。時には見ていて楽しそうでなく、仕事もこなしている感じに見えたりしてしまって。

  • 立野

    唯一楽しそうなのはオタクになられた方。先生の場合は自分の仕事を楽しみながら歴史の勉強ができる。これは凄いことだと思うんです。

  • 倉方

    そうですね。本来仕事と遊びっていうのはある程度繋がっているものだと思うんですよ。でも自分がやりたい事と関係なくやることが仕事だから、それが終わったら遊ぼうみたいな。もちろんそれは良い事でもあるんだけれども、本来仕事自体が大変だっていう考えがある。自分がやりたいと思っているから私は仕事をするし、遊びの部分も仕事に関係してくる。

  • 立野

    確かにそうですね。

  • 倉方

    そこで大人が「それでもちゃんと仕事になるんだよ」とか、「そういうことでも社会で必要とされるんだよ」とか良い例を若い人たちに見せてあげないといけませんね。大人が「仕事は真面目にやらないといけなくて苦しい」というイメージを、若い人に植え付けているのではないかなと思います。

  • 立野

    長い目で見ると楽しくやらないと続きませんからね。楽しくやるといい仕事ができるし結果もついてきます。そういったことを若い人たちに知っていただきたいですね。

五. 保守的であることから生まれる悪循環を食い止める

  • 立野

    先生ともいつかご一緒したいと思っているんですが、若い方達と建築のツアーをする時、建物が立つまでの苦労や背景を知ることによって、ある程度のビジネス観が若い人につくのではないかと思うんです。

  • 倉方

    建築業界に身を置くものとしてはもちろんお力になりたいですね。私はものづくりができないですが、その分、自分にできないことなので尊敬しています。歴史についてはある程度知識がありますから若い人たちとも良い刺激を与え合える関係になればと。

  • 立野

    先生はもちろん日本の様々な建築を知っているかと思いますが、私も日本建築の魅力を知っているつもりです。でも今はそういった優れた建築がどんどん減ってきている。だから魅力のある建築物をこれから増やしていかなければならない。ずっとこの調子だと、建てる場所もなくなりそうで心配なんです。

  • 倉方

    そこは私も心配ですね。

  • 立野

    私たちも仕事の依頼がないと仕事ができない。趣味でやっているわけではないですからね。もう少し設計者の方も新しいことを我々に要求してほしい。今はもう既製品を多く使っておられますからね。そうするとどんどん技術が衰えていってしまう。

  • 倉方

    そうですよね。かつて1960年代などには、建築の設計者の方から「こういうものが出来ないか」って依頼してきて、それが金物として実現し、それが結果的にカタログ商品になったりしていましたよね。そういった流れがあって建築が完成していくのでしょうが、今はそういうことができるとかやってくれるとか、考えもしないのではないでしょうか。

  • 立野

    これは私が聞いた話ですが、昔は建築するときに建築家が金物から家具まですべて自分で選ぶと。今の設計者にそういう人がいるのかなと。自分の建物に対して思い入れがある方が、少なすぎると思うのです。

  • 倉方

    それはそうですね。オーナーや発注者って昔はもっと知識がなかったし、そもそも情報がありませんでしたから、建築家にいろいろお任せして建築家のルートで家具や金物を選んでもらうという形でしたからね。でも今はある程度情報があるし、中途半端にわかってしまう。だから「この辺りで終わって下さい、後は自分たちでやります」みたいな。もちろん建築家サイドの問題もありますが、オーナーサイドがある程度で切り上げて、後は自分でできるんだと思ってしまって、建築と内装を別にしてしまっている。それを建築家も当たり前だと考えていと、悪循環ですよね。

  • 立野

    やはり昔は無理難題を言われることも多かったですよ。それで技術が向上した部分も大いにあります。今はそういったことが全くないから、これから歴史に残るようなものを建てようと思うのであれば、我々は果たして新たなものを創出できるのかと考え込んでしまいそうで。だから私たちが設計事務所に言うのは、一箇所でいいから凝ったものを作ってくださいと。そうしてくれるなら、私たちは採算が合わなくても頑張ってその建物に似合う金物をつくりますから。そういう挑戦的なものをどんどん注文してほしい。実際はなかなかできないようなのですがね。

  • 倉方

    それが仕事の楽しさでもあると感じます。もちろん大変なことの方が多いでしょうが、楽しさもあって。そういう楽しさは、連鎖していくと思うんですよ。こっちは本気でそう考えているから、採算合わないかもしれないけど乗ってやろうと。

  • 立野

    昔は設計者1人でそういったことが完結していましたからね。

  • 倉方

    というと?

  • 立野

    設計者が仕事を取り、発注し、途中の経過を見に行く。そうしていたから技術が自分のものになっていっていたんですよ。

  • 倉方

    なるほど。

  • 立野

    今はすべて別の人がしていますよね。分業をしている。だから深く物事を知ることができない。なので、建築家の先生たちも今はそういう状況なのかもかもしれません。

  • 倉方

    さっきの学生の話とも関連しますが、仕事とはそういうものなんだという意識が社会に蔓延しているのかもしれません。仕事は分業化されていて、自分の役割の範疇をすでに決めてしまっている。面白くなくても仕事だから仕方なしにやることが大人なのだと、それが仕事だということしか知らないと思うんですよ。だからそういうプロセスのすべてに関わることができたら運命共同体というか、発注した側と最後まで仕事をするということの大切さがわかると思うんです。途中が悪くて、最後が良かったとして、悪かった部分が自分の持ち場じゃなかったらどうでもいいやって罪悪感を持たなくなってしまうと、次の仕事に繋がっていかないですよね。

  • 立野

    仕事は大変だけど面白いもの。そういう意識になればいいのですが。

六. かつて見たことのない建築物をつくること

  • 立野

    先生は、建物を見に行かれて歴史を考察されています。そうすることで各建物についての関心が高まりますよね。

  • 倉方

    そうですね。あと、訪れる人にとってはどこが建築家の仕事で、どこからがインテリアデザインの仕事かっていうのは関係のない話。そうやって仕事として切り分けちゃうとちぐはぐな空間体験になっちゃいますよね。だからそれはあくまでも作り手の都合で、仕事がしやすいように切り分けているもの。そういうのってなんとなくわかるんです。1本の筋が通る、人の情熱のようなものが感じられないなって。そういう情熱みたいなものがあると建築の魅力や価値になるので人の心が揺れたり、感動したりする。

  • 立野

    なるほど。ヨーロッパには街全体にそういうものを感じますよね。京都なんかは昔そうだったのかもしれませんが、大阪なんかは勝手に好きなことをやってしまったような。何か一つのランドマークを作って街をひとつにしていこうとする心意気が少ないと感じます。

  • 倉方

    そうですね。

  • 立野

    建築家の先生もおっしゃるのですが、個性が街に溶け込み、街全体を見たときに素晴らしいと思えるような、そういった街づくりを日本も推し進めていかなければなりませんね。

  • 倉方

    そうですね。1つに上手く溶け合うものを生む秘訣が多分あって、途中で喧嘩したり、摩擦が起こったりしないと一体感は成立しないと思います。結果として、融合しているように見えるものには、過程の中でぶつかりがある。だから衝突を嫌うと、街にしても全体性が生まれない。職業別の言い訳の羅列になってしまいかねない。訪れる人は置いてけぼりです。

  • 立野

    確かに。日本はまだ見たことのない、つくったことのない建築を進めるべきですよね。そうしないと陳腐化が速くなりますから。

  • 倉方

    その通りだと思います。今まで見たことないものを見たいという気持ちが、人間にはあるはず。新旧が混在することを嫌う人もいますが、斬新な建物も質が高かったら、街がついてくる。古い建物の主張があって、新しい建物の主張があって、それが融合して更新されていくものでしょう。

  • 立野

    その建物がないと違和感ができるほどに街になじみますよね。

  • 倉方

    そうです。だから既視感のある建物っていうのはすぐ陳腐化しますね。

  • 立野

    だから万博では、挑戦的な建築物をたくさんつくるチャンスを作ってあげて欲しいのです。今の大阪には、こういった機会が必要だと思いますから。

  • 倉方

    そうですね。昔は外から来た人に何かを与えるのが大阪だったと思うんです。私自身が大阪出身ではないのでそう感じるのかもしれませんが、大阪って大阪に生まれた人たちの物だけではないと考えます。大阪はいわゆる地方都市ではなく大都市ですから。パリやロンドン、ニューヨークだって外から来た人たちが街を形成している。そういった人たちの才能を開花させる力っていうものが、大阪にはあると思うんです。かつて開催された万博にもそういう力がありました。例えば、多くのパビリオンを手がけた黒川紀章さんだって、大阪に所縁がない人でした。大阪だからオール大阪みたいになったら、なんだか大きな地方都市のようで、寂しいものです。

  • 立野

    大阪で成功している人はほとんどが地方出身ですからね。外から来た人が大阪独特の刺激を受けて何かをつくろうとするチャンスがあったのかもしれませんね。今は東京へ行かないと活躍できない風潮もあったりして。

  • 倉方

    そういった意味では日本全体が保守的になっている。大阪がその縮図になってはいけませんね。

  • 立野

    なので向上心のある人に大阪へ来てもらい、一緒にビジネスができたらいい化学反応が起きる気がします。そして新しいものをどんどん発信していきたいですね。

  • 倉方

    2025年に大阪万博が開催されるっていうのもいいタイミングですしね。一方で、外から来た人と、違いを認めた上で交流できるとか、そうしたプラットフォームっていうのは大阪が培ってきた伝統であると思うんですよね。それをもっと広くアジア全体を含めて交流し、新たなものを生み出す。そんな振る舞いのありようは東京よりも大阪のほうが上手だと感じます。

  • 立野

    そうかもしれませんね。建築自体は東京に面白いものはありますがね。

  • 倉方

    そうですね。大阪における大手ゼネコンや組織事務所の仕事の質は、素晴らしいと思います。しかし、それだけではない部分が正直、日本の都市の中で最も存在しません。大阪が生んだ世界的建築家の安藤忠雄さんでさえ、訪れるべき代表作が大阪の都心部にあるかというと…。

  • 立野

    なかなかねぇ。監修はされていますがね。もう少し大きくて面白い建築をつくっていただければいいと思いますがね。

  • 倉方

    これからを担うアーティストやデザイナーにチャンスが少ない街となると、人の流出がさらに懸念されますね。

七. 多くの人にものづくりの側面を周知させる

  • 立野

    昔は関西の人たちが面白いものを建ててくれていましたよね。

  • 倉方

    本当に。今日もここへ来る前に〈綿業会館〉や〈芝川ビル〉に立ち寄ってきました。芝川ビルなんかは窓のすべてに鉄扉つけていて、あれのおかげで空襲も乗り越えることができました。もうすぐ100年が建つ古い建築ですが、いまだに人を呼び稼ぎ続けているから、これだけの投資は高くなかったと言えます。

  • 立野

    今や、かかった費用の元は取れてタダみたいなものですよ(笑)。そこに色んな人が集まってくるんですよね。

  • 倉方

    かつて木造の街並みを考えれば、異様ともいえる建物が完成しました。そんな未来への試みが、今でも人を呼び寄せている。そうした現象が大阪の力ではないでしょうか。私が過去の建築について執筆するのは、昔は良かったっていう話がしたいのではなくて、現在でもチャレンジして良いではないかと背中を押したいということもあります。若い設計者にチャンスを与えてあれだけのものを作ったことが、現在の大阪の伝統の1つになっている。未来へのエールとして、これからも過去の建築に目を向けさせたいと思います。

  • 立野

    そうだったのですね。とにかく、若い人に好きなことをやらせてあげたっていうのは大きいですよね。そういうことをしないと夢がないと思いますから。

  • 倉方

    立野社長はそういったところを気にかけてらっしゃると思うのですが、発注側がちょっと指示しただけで、「そうしなきゃいけないのか」って思っちゃう立場ですよね。なので、そこは意識的に言わないようにしているような(笑)。毎回ある程度の成功に収まらなくても良くて、「ダメな時もあるよね」とか、「そういうものだよね」って構えが大切で。

  • 立野

    そうそう(笑)。地震とかは別にして、放っておいても建築は100年残っていく。100年後そこに人が集まっていくと思うんです。これはすごい財産になる。私はそういう仕事に携われたことが誇りですね。そういうものに我々の商品が付随して、建物と一緒に共存していく。これには建築のロマンを感じますよ。

  • 倉方

    さっき言った、パトロンやパトロネージっていうのは、仕事を頼む人だけがパトロネージを持っているわけでは無くて、設計者もパトロネージを持っています。建築家と設計者が違うのは、目の前にある仕事だけだったらそこまでやらなくてもいいような労力なり期待なりを、そこで新しいものを生み出そうと努力するじゃないですか。それは頼まれてもいないので勝手にやっていることになる。でもそういった心意気があるから、世の中に新しいものができたり前進できたりするんでしょう。

  • 立野

    まさにその通りだと思います。

  • 倉方

    「じゃあ一緒につくろう」っていうパトロネージの連鎖が文化をつくります。

  • 立野

    確かに新しいことにチャレンジさせてもらえるっていうのはありがたいですね。新しい建物に導入してもらわないと、何度も言うように技術が向上していかない。

  • 倉方

    だから建築に関心のある一般の方にものづくりの側面をもっと伝えていきたいのです。建物がどうやってできているか、どんな部材が使われているか、そうした話も知ると楽しいですよね。建築家のアイデアとものづくりが合致して初めて建築が生まれる。そうした事実を周知させていきたいです。

八. 展覧会の来場者数から見る建築への関心の高まり

  • 倉方

    昨年六本木の〈森美術館〉で開催された『建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの』には、5か月で54万人の来場者がありました。

  • 立野

    そんなに多くの人が!すごいですね。

  • 倉方

    そう!建築展としては異例とも言える人数でした。共同企画者として内容を考えることになった時、いくつかの裏テーマを私はしのばせました。

  • 立野

    ほう。

  • 倉方

    1つは建築家っていう存在を知ってもらう。建築家が遠くに投げた考えがあるから新しいものができるんだと。建築家というものをまだ知らない方に「日本は建築家が凄く有名なんだよ」とご理解いただく。音楽や漫画以上に、日本の建築を世界は知っています。安藤さん、黒川さん、丹下健三さんといった建築家の名前は著名です。そんな風に世界をリードしているのが建築というジャンルなのだということを、この機会に広く伝達したいと考えました。

  • 立野

    素晴らしい活動ですね。

  • 倉方

    ありがとうございます。日本の建築家の凄さを、丹下さんの建築模型をはじめとした貴重で幅広い資料で伝えようとしました。「ものづくり」の側面も重要です。構造の模型や、ジョイント、木組みなども、説明を添えて出展。Louis Vuittonの外観を手掛けている青木淳さんとLouis Vuittonのファサードがどうなっているのかとか、村野藤吾さんが手掛けられた日生劇場の天井の石膏模型などを展示しました。そういったものの背後に手作りの試行錯誤があって、それがあるから建築のビジョンが実現していることが分かるはずです。

  • 立野

    なるほど。それにしても建築のイベントで54万人ってすごいですね。

  • 倉方

    ありがとうございます。

  • 立野

    それを聞くと、多くの人が建築に興味を持っておられるのですね。

  • 倉方

    建築に対しての興味の高さが西洋に近づいてきた。そんな希望も持てた結果でした。

  • 立野

    一般の方の建築に対する興味が高まっているのは確かですね。

  • 倉方

    はい。それが動員数に反映されていますよね。それから森美術館の場合、作品の説明書きが必ずバイリンガルで記されています。

  • 立野

    海外からの来場者も多いようですね。六本木という場所にあるというのも大きいのではないですか?。

  • 倉方

    そうなんです。だから通常の現代美術の展示でも外国の方の入場者は多いんですが、森美術館の方も、今回の展覧会がそれ以上に外国の方の割合が大きいことに驚いていました。建築に対する文化的関心の高さに加え、木造の話など、日本文化を知る糸口としてのテーマを重視したことが効いていたのでしょう。

  • 立野

    先ほどの綿業会館と同じで集客力があるんですね。

  • 倉方

    そうです。展示などを見たオーナーやクライアントが、「せっかく家を建てるなら少しチャレンジングなものを」って思ってくれたらとも期待しています。

  • 立野

    素晴らしいですね。

  • 倉方

    ありがとうございます。森美術館を私は、東京でしかありえない美術館と捉えています。あれだけの資金と規模と国際性は東京の領分です。そう気づけたのは、生まれも育ちも東京の私が、大阪で暮らすという機会をいただいたからです。東京だからできることがあります。大阪だからできることがあります。森美術館の「建築の日本展」と、昨年はのべ4万3000人が参加した秋の大阪の恒例イベント「イケフェス大阪」における建築公開とでは、内容も方針もまったく異なります。しかし、場所性を活かして建築の真価に広く触れる機会をつくりたいという点では、私の中で一緒です。これからも、そんな方向性で動いて行けたらと思います。

  • 立野

    それを見た子どもたちが、将来建築に関わりたいって思ってくれたら素敵ですね。

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    (終了のお知らせ)

  • 一同

    ありがとうございました。

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    Planning:宮本 尚幸
    Photography:宮西 範直
    Writing:太洞郁哉
    Web Direction : 貴嶋 凌

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